2019/8/13

第9回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料から(24)市民・諸団体C  X日の丸・君が代関連ニュース
 ◆ 道徳の教科化をどう受け止めるか
   −教室から見た「特別の教科道徳」−

宮澤弘道

 1.「否定しなくてはいけない」道徳へ

 よく、様々な方から聞かれる質問に、「で、結局今までの道徳と何が違うのですか。」という質問があります。
 たしかに傍から見れば「週1時間の授業で」「今までと同じような教材文を使用し」「話し合う」という構図に変わりはないため、違いが分かりにくいです。またこのことが、道徳の教科化問題を皆で共有できない理由かと思います。
 たしかに教科化されたことによる大きな変化はないように感じますし(内容項目もほとんど変わっていません)、実は教員も多くは質的変化を感じていません。しかし実際には、その性質は180度変わったといっても過言ではないのです。
 結論から言うと[子どもの意見を否定してはいけない道徳]から[子どもの意見を否定しなくてはならない道徳]へとその性質を180度変えてしまったのです。


 例えば授業中にある子がその授業のねらいとする価値とは異なる発言をしたとしましょう。
 従前の道徳の一番のルールは「子どもの意見を否定してはいけない」でしたので、教員の反応としては、理解しようと努力したり、最悪でも「板書しない」といったところまでで止まっていました。

 しかし教科化されたことにより、教えるべき内容が書かれた「教科書」と「評価基準」ができてしまったため、教科書の価値と異なる反応を示した子について無視できなくなってしまったのです。
 とはいえ、「君の意見は間違っている!」とは言えません。ではどうするか。
 同調圧力が最も簡単な方法と言えるでしょう。「○○さんはああ言っているけれどみんなはどう思う?」と問い返すことで、多数派の意見に潰される場面を私自身、多く見てきました。

 2.困らない教員

 もう一つ、1つの価値に子どもを誘導し評価することに関して現場教員はさぞかし困っているのではないか、という質問もよく聞きます。しかしこれも、実は多くの教員は困っていません。
 なぜなら現場には、「教科書」「指導書(1時間ごとの授業の流れや教員の問いかけ、予想される子どもの反応などがかかれた授業台本)」「ワークシート(プリント)」「評価文例集」の4点セットがあるからです。
 道徳の本質に向き合うことさえしなければ、教員は「困らずに」道徳の授業ができてしまうのです。

 教員の中ではこんな声もよく聞きます。「いやー、私、道徳って苦手な教科だったんですけど、教科化されてからは教えやすくなってよかったです。」と。「教えやすい」ということはそれだけ「価値を押し付けている」ことに他ならないにも関わらず…。

 3.道徳の授業をどうデザインするか

 ではこの道徳の教科化に関し、現場はどうすればよいのか。ここでは授業方法と評価方法に分けて、それぞれ可能性を探りたいと思います。

 【授業方法】
 教科書にある読み物教材を中心とした教材では、あからさまに「権力が規定したふさわしい態度・考え方」が示されることになるのですが、それはあくまで教材文を最後まで読んだら、ということです。
 そこで提案したい授業方法が「中断読み」です。

 教科書会社8社全てで採用された6年生の教材「手品師」を例に説明したいと思います。手品師のあらすじはこうです。
 あるところに腕はいいのだが売れない手品師がおり、その日暮らしの生活を送っていた。そんな手品師がある日公園で手品の練習をしていると、父と死別し、仕事で忙しくなかなか会えない母の元で寂しい生活を送っている男の子と出会った。男の子は手品師の手品に感激し、手品師は翌日もこの公園で手品を見せる約束をする。しかしその日の夜、明日行われる大きな手品のステージに立てる依頼が来る。手品師は「迷いに迷って」、結果、男の子との約束を優先し、ステージのチャンスは断る。翌日手品師は男の子の前で「次々と」
 この教材の内容項目は「正直・誠実」です。この物語を最後まで読んで議論する通常の授業法で授業すると、子どもたちの感想は
  「げきじょうにいかないで男の子のほうをえらぶのはいい人だなと思った。」
  「どんなに自分にとって大切なことでも約束は守らなければいけないことがわかった。」
 等、ほとんどの子どもがこの教材の求める価値に寄り添った感想を書いていました。

 しかし「中断読み」で、最後まで物語を見せずに”「手品師はまよいに、まよっていました。」までで読むのをやめて議論させると、多くの子どもは
  「男の子を大劇場のスデージに招待すればいい」
 という意見になり、またその他にも、
  「まよう必要なんてない。貧乏なんだから大劇場に行くべきだ。お金は大切だ!(母子家庭の子)」や、
  「おとうさんがいないのだから、手品師とお母さんが再婚すればいい!そうすれば毎日手品を見られるし、男の子も家族ができてしあわせだ!(再婚家庭の子)」等、
 生活体験を元に子どもの優しさやしなやかさが発揮された面白い議論で盛り上がりました。
 その後、続きの話を一人ひとりに書いてもらい、皆で立ち歩きながら読み合うという授業展開です。
 当然最後まで教科書の結末は見せません。教科書を使っても子どもたちの内心を操作しない指導方法として「中断読み」を提案したいと思います。

 【評価方法】
 評価できない性質の道徳に対し、2つの評価方法を提案したいと思います。

 (1)通知表に道徳の評価欄を設けない
 実は通知表は公簿ではなく、各学校のサービスで出しているような性質のものであるため、通知表の内容は各学校に任されています。そこで、評価欄を設けないことで子どもや保護者に評価を示さずに済むという方法です。
 しかしこれでは結局公簿である指導要録に載ることには変わりがないため、あくまで、本人・保護者に見せない、という方法です。

 (2)価値を入れない評価を行う
 一見内面を評価しているようで、その実、全くその子の内面を評価しないという方法であり、具体的な文面は例えば以下のようになりますが、ポイントは「自分の考えを広げたり深めたりすることができました。」の一文です。
 この一文が入ることで、その子の内心を学校という権力が評価することを防ぐことができます。
 主として他の人との関わりに関することについて、友だちの意見を聞きながら、自分の考えを広げたり深めたりすることができました。
 4.おわりに

 道徳の教科書8社全ての教材に共通していることがあります。それは「自己責任論が貫かれている」です。
 道徳教育は人権教育と異なり、個人の生き方にまなざしが向く教育です。ですからどうしてもあらゆる事象が自己責任に帰結してしまうのです。

 そのため、例えば戦争を扱う教材であっても戦争そのものには触れずに、「戦火の中でも道徳的に正しく生きる市民像」を学ばせようとしています。
 戦争が起こらない社会をつくるのではなく、戦争が起こっても従順で全て自己責任になる社会をつくりたいからに他ならないわけですが…。

 また、たまに、「こうなったら私たちも教科書を作りましょう!」と言われることがあります。
 しかしこれは絶対にやってはいけません
 教科教育は科学だからです。一般化・体系化できるから教科書が作れ、評価ができるのです。
 ですから教科書を作るということは「科学の否定」「権力による内心への介入」に直結してしまうのです(それがどんな内容であろうとも)。

 ですから読者の皆さんにはぜひ道徳の内容の良しあしで語るのではなく、道徳という枠組みそのものを否定してもらえたらと思います。
 そして教科書や評価を伴ってしまう道徳という枠組みの外側で「人権教育」を推進していきましょう。


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