2019/8/15

第9回「日の丸・君が代」問題等全国学習・交流集会資料から(25)市民・諸団体D  X日の丸・君が代関連ニュース
  =「都教委を訴える会」が起こしたオリパラ裁判=
 ◆ 斎藤貴男『カルト資本主義』(ちくま文庫)
   文庫版序章 カルト国家の愛国・道徳オリンピック協奏曲


 ◆ オリンピック裁判
 訴状

1 被告は原告ら(当事者目録記載49・84除く)に対して、
 東京都監査委員が、「東京都教育委員会が2016年3月31日に、自己の作成した『オリンピック・パラリンピック学習読本』・映像教材DVD・教師用指導書を、東京都内の全ての小学校・中学校・高等学校で配布したが、この配布のために金1億6285万4239円を支出した行為について、この財務会計行為が違法無効であった」
 と認定しなかったことが違法であることを確認せよ。
 2017年5月・都内在住の大学名誉教授・高嶋伸欣(のぶよし)(一九四二年生まれ)ら92人が東京地裁で・東京都教育委員会を相手取り、右記の支出は違法であるから東京都に返還するよう求める損害賠償請求訴訟を起こした。


 訴状によれば、理由は前記『読本』のたとえば小学校用の65ページ〈表彰式での国旗掲揚では、国歌が流されます〉や、また中学校用の89ページ〈中央に1位、向かって左側に2位、右側に3位の国旗が掲揚され、1位の国の国歌が演奏される。国歌が演奏されるときには、敬意を表し、起立して脱帽する〉等の記述が、オリンピック憲章に明らかに違背するからだ、という。

 原告代表の高嶋に会った。二〇一八年十一月、彼らが最終弁論の機会も与えられないまま、鈴木謙也裁判長によって強引に結審されて間もない時期だった。
 「オリンピック憲章には、国歌とも国旗とも書かれていません〈優勝者の所属する選手団の歌〉、〈選手団の旗〉なんです。
 IOCに加盟しているのはCountryですから、日本語に訳すときは「国および地域」であって、「国」とは限らない香港グアムなどが参加している事実からも、そのことは明白でしょう。台湾が国旗でなく梅の花をデザインした旗を用いているのも、選手団を派遣している台湾のオリンピック委員会が大会組織委員会に登録したからで、共通ルールと異なる特別規定を適用したわけではありません。
 クーベルタンによって復活された近代オリンピックも、古代オリンピックの精神に立つことを理念とし、それがこの憲章になって示されている。競い合うのは選手間あるいはチーム間の技であり、国家間の競争などではないということですね。個人の人間性や能力にこそ、国家間の政治的対立を凌駕する価値が見出されていた」
 しかるに都教委は、その気高い精神を承知の上で捻じ曲げ、悪質にもオリンピックを、子どもたちのナショナリズムを煽るあからさまな道具として利用した。そういうことになる。

 もっともオリンピック憲章はかなり頻繁に改訂されてきているのも現実で、二〇〇四年版以降の表彰式に関わる条文には、このあたりの規定がやや曖昧にされている。大衆のナショナリズムを刺激することでマーケットを拡大したいオリンピック・ビジネスの意向が反映されたようだが、だからといって国旗・国歌に変更してしまえば開催の意義そのものが消滅する。条文上もそこまでは堕落していない以上、どこまでも「選手団の歌、旗」でなければならないのが当然だ。
 どだい、オリンピックの表彰式で演奏される歌は、旗の掲揚に合わせた長さに調整されている。その旗にしても縦二、横三の比率という規格に統一されている。よほどの偶然でない限り、国歌や国旗そのものであるはずもないのである。

 都教委のやり方に気づいた原告たちは、住民監査請求も『読本』などの取り消しを求める行政訴訟も却下されて、やむなく損害賠償請求に辿り着いた。
 オリンピックをダシにした一大ナショナリズム・ムーブメントは、政財官・教育・マスコミ界が一体となって、挙げ句の果てに歴史修正主義にまで陥ってしまった。
 「以前はここまでは酷くなかった。一九九八年の長野冬季オリンピックの時も、私は大会組織委員会に”国旗、国歌じゃない、「選手団の旗、選手団の歌」なのだ”という要望書を出したのですが、彼らは基本的には理解してくれたし、マスコミの大方もそう書き、放送してくれました。やがて年を追うごとに、”国”を強調したがってきたのですが……。
 でも、同じ東京オリンピックでも、二〇一六年大会の招致活動の時にやはり小中学生と高校生向けに都教委が監修し、東京都とJOCが発行した『未来と結ぶオリンピック〜勇気・地球・共生』は、正しいことが書いてあったんですよ。あの石原慎太郎都知事が言い出して始めた招致だったのに」
 高嶋が苦笑した。こんなところでも強権体制への「忖度」が働いている。
 伝記映画『ハンナ・アーレント』で、主人公のユダヤ人哲学者ハンナが、ホロコーストの最高責任者だったアドルフ・アイヒマン(一九〇六〜六二)の人柄を裁判などを通して知り、ただ上の命令に従うだけの平凡な”普通の人”でしかなかったと認識したくだりを思い出した。
 現代日本における国家カルトの状況と、とてもよく似ている。

 ある日突然に顕れた現象ではない。こうなるに至った萌芽はすでに一九九〇年代後半の企業社会で散見され、私もその実態を書いていた。以下の七章がその報告だ。



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