2019/8/21

『田島拝謁記』で裕仁天皇が戦争を反省していたなんて嘘っぱちなことが分かった  \増田の部屋
 ◆ NHK特集:昭和天皇の呆れた「反省」
   &日本国憲法下で「統治権の総覧者&統帥権の保持者」気分?


皆様 こんばんは。増田です。これは、BCCでお知らせしています。重複・超々長文、ご容赦を!以下、見逃した方も多いかと思い、お知らせします。

 NHKは8月17日(土)、8月18日(日)2夜にわたり、初代宮内庁長官・田島道治(たじま・みちじ)の「5年近くにわたる昭和天皇との対話を詳細に書き残した『拝謁記』を入手しました。」として「昭和天皇が、戦争への後悔を繰り返し語り、終戦から7年後の日本の独立回復を祝う式典で、国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望したものの、当時の吉田茂総理大臣の反対でその一節が削られていたことがわかりました。」という趣旨のことを放映しました。


 たぶん、この報道を見ていないで、NHKの見出しだけを見ると「裕仁さんは本当に反省してたんで、それを表明させまいとした吉田茂は悪いやっちゃ」(笑)みたいに見えるかもしれませんが、それが全く逆だってことが、このアーカイブを見ると、よく理解できると思います。

 NHK担当者やコメントした「専門家」さんは、裕仁さんは「戦争への後悔を繰り返し語り」とか「国民に深い悔恨と、反省の気持ちを表明したいと強く希望した」などと言ってます。しかし、この田島の記録を見ると、昭和天皇は、あのアジア太平洋・侵略戦争に対して全く無反省であることが明瞭です。

 「東京裁判で被告訴追を免れるための言い訳」集(笑)である『昭和天皇独白録』(文芸春秋 1995年)と全く同じ…当然と言えば当然ですけど…で、戦争の原因は全部他人のせい(軍部、近衛、アメリカ)のせいにし、「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すれば」!? なんて言っているのが「深い悔恨と、反省の気持ち」という言葉に値しましょうかねぇ?

 しかも、18日のアーカイブによると、彼は日本国憲法下で、自分が「この憲法の定める国事に関する行為のみを行ひ、国政に関する権能を有しない。」(第4条)、即ち国事行為しかやってはいけない「象徴」になった、という事は全く理解できず、ず〜〜っと「日本国の統治権の総覧者にして大元帥」のつもりでいて「日本国憲法尊重擁護義務」なんて、一度も考えたことは無かった、ってことが、この上なく、明瞭になりました!

 以下、アーカイブから、抜き出します。

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 ◆ 繰り返し戦争を回顧 後悔語る|昭和天皇「拝謁記」 戦争への悔恨|NHK NEWS WEB

 ※ 8月17日 NHKスペシャル放映分
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-01.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-02.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-03.html
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/articles/diary-repentance-04.html

 ●昭和27※年4月5日の拝謁では、間接的な原因を結果に結びつけて厳しく批判する意味の「春秋の筆法からすれば」という言い回しを使って、「太平洋戦争ハ近衛が始めたといつてよいよ」とも述べ、日米開戦を防げなかった責任は開戦時の総理大臣だった東條英機の前任の近衛文麿にあるという認識を示した(※1952年)

 ●昭和25※年12月1日「米国が満州事変の時もつと強く出て呉れるか或いは適当ニ妥協してあとの事ハ絶対駄目と出てくれゝばよかつた」(※1950年)

 ●大正10年のワシントン海軍軍縮条約に触れ、「五五三の海軍比率が海軍を刺戟(しげき)して平和的の海軍が兎に角く(とにかく)あゝいふ風ニ仕舞ひニ戦争ニ賛成し又比率関係上堂々と戦へずパールハーバーになつた」と述べたと記されていて、アメリカとイギリスが中心となって日本を抑え込んだ「ワシントン体制」が太平洋戦争の遠因だという認識を示していたことがわかりました。

 そのうえで、軍縮条約締結時のアメリカの国務長官の名前を挙げ、「春秋の筆法なればHuphes(ヒューズ)国務長官がパールハーバーの奇襲をしたともいへる」と述べると、田島長官が「これは此(この)御部屋の中だけの御話でございます」と決して他言しないよう釘を刺したことが記されています。

 ●昭和27※年2月26日の拝謁では、昭和天皇が「実ハ私はもつと早く終戦といふ考を持つてゐたが条約の信義といふ事を私は非常ニ重んじてた為、単独媾和ハせぬと独乙(ドイツ)と一旦条約を結んだ以上之を破るはわるいと思つた為おそくなつた」(※1952年)
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 これが、全くの真っ赤なウソだってことは、1945年2月14日に近衛が「敗戦は必至で、共産革命が心配だから、講和しよう」と内奏したのに「もう一度戦果を挙げてから」と拒否したことから明らかで、この事実は有名です。
 で、以下は真実を語っているので、NHK担当者は、この裕仁さんのウソぐらいは注釈してもいいと思うのですけど…
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 ●昭和27年3月14日の拝謁では「私ハ実ハ無条件降伏は矢張りいやで、どこかいゝ機会を見て早く平和ニ持つて行きたいと念願し、それには一寸(ちょっと)こちらが勝つたような時ニ其時を見付けたいといふ念もあつた」と語ったと記されていて、いわゆる「一撃講和論」にあたる考えを持っていた

 ●最初に昭和天皇が国民へのメッセージに言及したのは講和をめぐる日米交渉が本格化していた昭和26※年1月24日の拝謁でした。(※1951年)
 この中で昭和天皇は「媾和となれば私が演説といふか放送といふか何かしなければならぬかと思ふがその事を考へてくれ」

 このとき昭和天皇は、自らのメッセージの内容について「困る事が二つあると思ふ」と、懸念を語った

 ●その1つは領土の問題だとして小笠原諸島と沖縄を返還しないというマッカーサーの方針に言及し、「そうすると徳川時代以下となる事だ。これは誠に困つた事で たとへ実質は違つても、主権のある事だけ認めてくれると大変いゝが…」
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 よ〜〜、まぁ、しゃ〜しゃ〜と、おっしゃいますことよねぇ…裕仁さんが、自分の地位を守るために、マッカーサー宛に送った1947年9月20日の沖縄売渡メッセージが、後でバレルなんて夢にも思ってなかったんでしょうね…
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 ●さらに、「今一つは再軍備の問題だ こゝで私の責任の事だが従来の様にカモフラージュでゆくか ちやんと実状を話すかの問題があると思ふ」
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 これには笑っちゃいますよね…「私の責任の事だが従来の様にカモフラージュでゆくか」!? 裕仁天皇には、あのアジア太平洋戦争の「最高責任」が法的にもしっかりある、ってことを「カモフラージュでゆく」ことにしてきたことを正直に告白してます!? もちろん、死ぬまでも死後も現在まで「カモフラージュでゆ」きましたが…
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 ●昭和27年1月11日の拝謁では、昭和天皇が「私は例の声明メッセージには反省するという文句ハ入れた方がよいと思ふ/此前(このまえ)長官は反省するといふと政治上の責任が私にあるやうにいいがかれるといけないといつたが私ハどうしても反省といふ字をどうしても入れねばと思ふ」と述べたと記されています。

 さらに昭和27年2月20日の拝謁では「反省といふのは私ニも沢山あるといへばある」と認めたうえで、「私の届かぬ事であるが軍も政府も国民もすべて下剋上とか軍部の専横を見逃すとか皆反省すれば」
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 これが「深い反省・悔悟」!? って、理解できますか? 評判の悪かった東久邇の「一億総ざんげ」を当の裕仁さんが言う!? 「反省といふ字をどうしても入れ」たい、ったって、その「反省」の内容ときたら「一億総ざんげせよ」って…
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 8月18日(土)のアーカイブには、ただ、もう、唖然・茫然です!

 ◆ 東西冷戦下 再軍備や改憲にも言及
https://www3.nhk.or.jp/news/special/emperor-showa/?tab=1

 ●「(昭和27※年3月14日)では、昭和天皇がおことばを通じて国民向けのメッセージを発する平和条約発効の記念式典が、日本国憲法の施行5周年を記念する式典でもあるため「式辞の中ニ憲法の事ニ 少しもふれぬとふ訳ニはいかぬと思ふ」と述べたうえで、「憲法中 必しも賛成でない条項もあるのだから憲法の総ての条項に賛成ととれぬやうに書いて貰ハないと困る。」!?(※1952年)

 ●「アメリカのダレス特使が来日し、講和をめぐる日米交渉が本格化していた昭和26年2月15日の拝謁では、田島長官が「再軍備の声がありますれば 警察でも軍でも あゝいふ性質のものは中心の人を欲しますが 米国ハ大統領が元首で首相でもありますから司令官ですが 日本では如何なりませうか」と尋ねると、昭和天皇は「それは元首象徴だらうねー」と述べて、その場合は自分が司令官になるのではないかという認識を示したと記されています。
 そして田島長官が「政治ニ天皇は関与されぬ御立場上 如何(いかが)でございませうか」と言うと、昭和天皇は「あれは政治ではないだらう 治安といふ事は政治とハいへぬだらう」と述べ」!?
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 昭和天皇は、自衛隊の大元帥になるつもりだったんですねぇ!? とにかく、日本国憲法なんぞ、全く頭に入ってなかった…「象徴」=「日本国元首」=「統治権&軍隊統帥権の保持者」と天皇裕仁さんは思い込んでいた!?
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 ●「昭和27年3月8日)で、田島長官が「吉田は矢張り憲法と再軍備で陛下の御心配の点で今度はひつかゝりましたようでございます」と言うと、昭和天皇が「改正すればいゝではないか」と述べたと記されています。田島長官が「国会ハ多数でありましても国民投票が十分見通しがつかぬ為ではございませんでせうか」と述べると、昭和天皇は「そんなものが入るか」と驚き、田島長官が「今度の憲法ではそうだと存じます」と説明したと記されています。」!?
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 昭和天皇は、全く、日本国憲法を読んだことが無いんでしょうか? つまりは、初めっから日本国憲法を守る気なんぞ全く無かったんですね…吉田首相に対し「再軍備せよ」と政治干渉しようとしたのです。以下の記述も、この上なく、このことを証明してます。
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 ●「昭和27年3月11日の拝謁では、昭和天皇が「…侵略者のない世の中ニなれば武備ハ入らぬが 侵略者が人間社会ニある以上 軍隊ハ不得已(やむをえず)必要だ…」と心情を吐露したと記されていました。 これに対して田島長官は「その通りでありまするが憲法の手間そんな事ハいへませぬし 最近の戦争で日本が侵略者といはれた計(ばか)りの事ではあり、それは禁句であります」と 苦言を呈した」
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 昭和天皇は初めっから、日本国憲法を守る気なんぞ全く無く、昭和天皇自身が命じた侵略戦争への「反省」なんて、これっぽっちも無かった!?
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 でも、NHKの、この報道を担当した人たちは、本当に不勉強ですよね。
 山田朗・明治大学教授や吉田裕・一橋大学名誉教授や豊下楢彦・元関西学院大学教授の昭和天皇研究の成果に全く無知なのではないでしょうか。
 せめて豊下氏の『昭和天皇・マッカーサー会見 (岩波現代文庫) 2008年』ぐらいは、読んでから番組を作ってほしいものだ、とつくづく思いました。

タグ: 増田都子


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