2019/10/17

大阪「君が代」不起立戒告処分撤回共同訴訟、最高裁要請行動報告(4)  X日の丸・君が代関連ニュース
 最高裁判所第三小法廷 裁判官 様
2019年10月11日
上告人 奥野泰孝

◎ 戒告処分取消等請求上告及び上告受理申立事件に関する要請書

 ◆ 慣例上の儀礼的所作について

 儀礼というのは宗教的なものです。ですから、「慣例上の儀礼的所作」が、宗教的であるということは自明のことです。
 「慣例」だから、憲法違反にならないというのはおかしいのです。宗教的であるから、それは強制されてはいけないことです。「慣例」という理由で強制が許されるのなら、それは数の暴力です。
 多数派の考えで社会のルールが決まるなら、法律や裁判はいりません。真理に基づいて判断されなければなりません。社会の少数者の人権が守られなければなりません。


 信教の自由の観点から、「君が代」の強制は公務員であってもされてはならないのです。裁判では、少数派の主張によく耳を傾け吟味され、憲法問題を避けずに判断していただきたい。
 一人の人間が、信仰生活も含む自分の人生の観点から、起立斉唱することは自己のアイデンティを否定することになると考えるなら、他者がそれを間接的制約であると言うことは、出来ないと思うのです。それは直接的制約です。その人間の人生を否定しているのですから。

 ◆ 天皇制について

 「天皇制」を宗教と考えるのも歴史的事実から判断して当然のことです。天皇は神とされていたのですから。「天皇制」の下で戦争をし、「天皇陛下のために」死んで行った人々のことを考えると「天皇の支配する社会が反映するように」という歌に敬意を払えないと考えるのは、当然のことです。
 「天皇制」に宗教性があるかないかの判断を回避して、「信仰上、立つことができない」という者の主張を無視してはならないと思います。

 ◆ 特別支援学校での起立斉唱について

 教育委員会は、学校において、一斉に何かを児童生徒、教職員にさせたいということがあったとして、いろいろな状況、それぞれの事情を考え柔軟にすべきです。しかし、卒業式や入学式では、何よりも「起立斉唱」が優先されているような状況です。
 「児童生徒が主役」とは多くの教育関係者の共通認識ですが、「国歌斉唱」時は、天皇が主役になっているのです。この国がかつて歩いた道です。全体主義につながるのです。
 特別支援学校には、身体的に立てない障害を持っている児童生徒が多くいて、また教員が寄り添って教育活動をするために起立しない、と判断するのは当然です。そういう個人の人格形成のための教育を見失わない教育現場に戻るためにも、人権尊重の判決を望みます。真正面から、人権が守られているか、判断してほしい。この基本が守られないと、民主主義の国の公教育は成り立たないと思うのです。
以上



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