2019/11/7

ベルリンの壁崩壊から30年。民衆が立ち上がった変革の思想を学ぼうとしない日本  ]平和
 ◆ 崩された壁 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 三十年前。八九年十一月九日。ベルリンの壁崩壊
 市民がコンクリートの壁に鶴嘴(つるはし)を打ち込む映像が全世界に流された。
 東西ベルリンを貫通する大通りを閉鎖していたブランデンブルク門が開かれ、血も凍る(ほど厳しかった)国境検問所「チェックポイント・チャーリー」は変哲もない道路に戻った。通り抜け自由

 社会主義の未来を信じた人たちに疑念を抱かせたのが、六八年のチェコの民主化運動「プラハの春」に戦車を差しむけた、ソ連軍侵入だった。
 わたしはベルリンの壁崩壊の三カ月ほど前、労働ペンクラブのグループ旅行で、モスクワ、ワルシャワ(ポーランド)、東西ベルリン、プラハ(チェコスロバキア)、ブダペスト(ハンガリー)など、ペレストロイカ(改革)の現場を回っていた。


 そのあと「ハンガリー共産党政権の崩壊」(「潮」八九年十一月号)と予想して書いたが、ベルリンの壁の土手っ腹にアリの一穴、それでソ連邦が崩壊するとは思わなかった。
 「日本が改革を歓迎しているのは、たぶんに企業進出や商取引の拡大を狙うからであって、民衆が立ち上がった変革の思想を学ぼうとしないのは、この国の退廃の深さを示している

 長期政権党の傲慢(ごうまん)放縦、官僚たちの迎合と出世主義。不自由な裁判所。マスコミの無気力。このぶざまな壁は民主化運動で崩された。日本は例外なのか。

『東京新聞』(2019年11月5日【本音のコラム】)


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