2020/1/19

教育の受益者負担という、欧州から見れば正気の沙汰とは思われない亡国の政策  ]Vこども危機
 ◆ 「無償化」とは程遠い「高等教育無償化」の看板 (JBpress)

 国公立大学の授業料免除に関連して、年末になって「激変緩和措置」が講じられることが発表されました。
 「激変」とか「緩和」とかいうと、分かったような分からないような表現ですが、分かりやすく言うなら、トップダウンで拙速な政策を先に決めてしまい、その結果、中間層で困ってしまう人が出た分は、何とか現状維持できるよう手当をしたということにすぎません。
 具体的に申すなら、現在の制度で「授業料免除」である学生1万9000人ほどが、下手をすると免除から外され、来年から最悪の場合、数十万円の学費を納めなければならなくなってしまうといった矛盾が発生しかけていたというものです。

 授業料免除というのはそもそも、優秀な学生で学費を納めることが困難と思われる場合、申請すればそれが認められるという制度です。


 大学生で成人していれば、そもそも「親の所得」がどうこうという話と無関係に申請出来る性質のものとも思われます。
 実際、今を去ること30数年前、私が国立大学時代の東京大学に在学していた頃、授業料免除を申請し、全免を含めて認められた記憶があります。

 その際、親の所得に関する証明書をどう提出したか定かに記憶していません。大学に入ってすぐに、駒場の寮に住民票を移しましたので、世帯とか家計という意味では親と独立していたようにも思います。

 私たちが学生時代の授業料は年額20万円程度、入学金もせいぜい10万円程度で、合計30万円もあれば国立大学に進学することができました。

 これに対して私立大学は、入学金が25万円程度、授業料は50万ほどで、合計すれば75万円に近く、ほとんど倍額になっていました。

 つまり、私立に1人通わせるお金で、国立なら2人の子供を通わせられる。

 うちは兄弟が多いんだから私立はいけない、国立にきちんと入るように・・・と親から言われるなどという話を高校時代に級友から聞いたのをよく覚えています。

 しかし、それ以上に私が鮮明に覚えているのは、さらにさかのぼって私が中学1年次に耳にした、高校生の先輩やOBの会話なのです。事実その時期に「ある激変」がありました。


 ◆ 国民の大学、X大は・・・

 1977年というと、いまだ学園紛争から10年を経ておらず、大学には立て看板が立ち並び、独特な書体で文字がかかれ、同じ書体の「アジびら」がキャンパス内に普通に散らばっているという時代でした。

 42年前のこの年、私は中学に入学しましたが、中高一貫の学校で、さらにキャンパス内を流れている川を挟んで、大学が併設されていましたので、12歳にしていきなり、学園紛争の空気がまだ残る「大学キャンパス」に、毎日通うという生活になりました。

 私は古いものに興味があり、古墳から発掘される土器や埴輪も好きだったし、地層から見つかる化石の類も素敵に思われたので、中学では最初、「地学」のクラブと「歴史」のクラブを掛けて、入部してみました。

 地学部は「部室」に「2階」が作られており、そこで寝っ転がってマンガが読めました。

 転がっていたマンガは、自販機エロ本とか山上たつひこの「喜劇新思想体系」など、およそ小学生が見るものではなく、結果的に私はこの「地学部」の方に集中することになるのですが・・・。

 中学1年の夏休みまでは、歴史の部にも、特に地方に出かける調査旅行などには意欲的に参加していた記憶があります。

 歴史の部の夏の合宿に、その年に卒業されたOBが参加され、執行部だった高2の先輩と入学金や授業料の話をされたのです。

 もう時効と思いますので実名を記させて頂くと、OBは山口英男さん、高2の先輩は本郷和人さんで、いずれも現在は東京大学史料編纂所の教授を務めておられ、その当時から際立った才知を示しておられました。

 ちなみに本郷さんの学年にはほかにも大津透、後藤治といった我が国の史学を支える俊才が在籍され、この人たちが大変魅力的で私は歴史の部に懐いていたのですが、受験を控え秋の引退以降、何となく行かなくなってしまった経緯があります。

 閑話休題

 このとき山口さんと本郷さんが話していたのは「大学の学費急上昇」への憤りで、学生運動のアジテーションソングの歌詞を変えて、こんな歌を歌っていたので、鮮明に覚えているのです

 「国民の大学X大は 安くて広くて最高だ」

 「??じゃ 高すぎる 〇〇じゃ・・・(以下略)」

 実際調べてみると、この当時の国立大学の学費は

 1975年 授業料 36000円 入学金50000
 1976年 授業料 96000円 入学金50000
 1977年 授業料 96000円 入学金60000

 と、前年の76年=昭和51年に突然3倍ほどに跳ね上がっていることが分かります。山口さんが合格された年には入学金がさらに1万円、値上げされていました。

 転機のあった昭和51年に国立大学に進学した中には、現在の東京大学総長、五神眞さんも含まれています。

 つまり、今日の国立大学法人執行部にあたる60代前半の世代以下、「国立はそれなりにお金がかかる大学」に突然変異したことが分かります。

 ◆ うなぎ上りの「国立大学授業料」

 この1977年以降、国立大学の授業料は毎年、急速にウナギのぼりしていきます。ちょうど左右の足で階段を上るように、入学金と授業料のどちらかが毎年必ず値上げされていくのがよく分かります。

 1978年 授業料 144000円 入学金60000
 1979年 授業料 144000円 入学金80000
 1980年 授業料 180000円 入学金80000
 1981年 授業料 180000円 入学金100000(合計28万)
 1982年 授業料 216000円 入学金100000(合計31.6万)
 1983年 授業料 216000円 入学金120000(合計33.6万)

 私が小学生時代には、入学金5万円で授業料はそれよりも安い3万6千円、合計しても8万6000円に過ぎなかった国立大学は、私が中学高校生にあたる上記の時期に急速に値が上がり、高校を卒業する頃には30万円を超える高額なものに変質してしまっている。

 これと並行してもう一つ指摘しなければならないのが「入試制度改革」です。

 今現在もその両者が組になって扱われていますが、当時の経緯もこうしてみると手に取るように分かります。

 文科省のホームページ(https://www.mext.go.jp/b_menu/hakusho/html/others/detail/1318393.htm)に即して確認してみると

 1977年5月 国立学校設置法一部改正 大学入試センターの設置
 1979年1月 第一回共通一次試験実施(5教科7科目1000点満点時代)
 1987年 中曽根政権による制度変更で5教科5科目800点満点に制度移行
 1990年 大学入試センター試験に移行

 私自身はこの中では、一番古い「5教科7科目1000点時代」の受験生ですので、いまや化石みたいなものだと思いますが、要するにコンピューターを導入して教育を「マス」でコントロールする、米国由来の「大学経営」にシフトした時期が、1970年代後半だったことが分かります。

 この時期の文部大臣を確認して、さらに状況がよく分かりました。
 1974年、三木内閣で登用されたのは、珍しく民間人の永井道雄氏で、この方もお目にかかったことがあり人物は分かるのですが、文科省が役所として延々進めてきた

 「米国型共通一次導入」
 「関連する諸費用も含めた授業料見直し」さらには
 「教育の受益者負担」

 といった「政策実務面」については、いきなり連れてこられた民間人大臣ですから、ただハンコを捺すしかなかったのでしょう。

 これらと並行する学生運動の根絶と関連しては

 1973年 筑波大学の設置
 1978年 東京教育大学の閉学

 といった出来事も、リアルタイムでよく覚えているのは、大学は筑波大学になりましたが、付属の中学高校は「東京教育大学」が残っていた時期は「教育大学付属」だったのですね。

 私たちが小学校6年生だったときは「東京教育大学付属駒場中学校」は「教駒」と呼ばれ、私はこれを受験して落ちた経験があります。

 2年ほどして「教駒」が「つくこま」と改称され、何とも発音しにくい名前だな、と思った。その年度に準備され、初回が施行されたのが「共通一次試験」であったわけです。

 1960年代の学園紛争が落ち着くとともに、グローバル経済は変動相場制に移行。

 オイルショックなど社会的な影響も出る中、日本の「国立大学」を米国型の大学(アイビーリーグのような名門もあれば、各地に林立したリベラルアーツ・カレッジもある)を参考に、電算化し再編を試みたのが、1970年代の岐路であったことが分かります。


 ◆ 改めて高等教育の「真の無償化」重要性

 私自身、国立大学法人に籍を置く教員ですので、以下のような内容は非常に慎重、かつ大胆に検討すべきものと思います。

 現在掲げられている「高等教育の無償化」は、全く無償化ではない、羊頭を掲げて狗肉を売る現状があると、とりわけドイツ、欧州と日本の大学のアカデミック・ディプロマット、学術外交官を長年務めてきた立場からは強調せねばなりません。

 文科省はホームページも作って「高等教育の無償化」と謳っています。

 しかし、それは「高等教育を受ける学生の一部に対して、その対価を無償にする」という意味であって、およそ「高等教育全般を無償で提供する」というシステムにはなっていません

 翻って、ドイツ連邦共和国では、基本的に大学で学ぶ学生の負担は「タダ」、これは留学生であっても同じで、授業料というものは納めません。

 日本国内では、こうした議論が出てくると「国民の血税をどうして外国人の教育に充ててやらなきゃならんのか?」という意見が出てきます。

 しかし、ちょっと待ってください。

 米国の大学は、全世界から優秀な頭脳を集め、その結果、欧州出身の科学者が米国で業績を上げてノーベル賞を取ったりしている。こういう状況は周知のことでしょう。

 では、日本の大学が、フランスやカナダから教授を引き抜いて、その人たちがノーベル賞を取ったりした場合(そういうケースはいまだ出ていないように思いますが)どれくらい「日本の大衆」は喜ぶのか? 

 オリンピックについては、そろそろ様々なハイブリッドの日本人がメダリストとして活躍することを容認しつつあるように思いますが、学問については「鎖国の壁」はいまだ相当高いように思います。

 私はここ20年ほど、断続的ですが、東京大学の学術外交担当者として、海外大学との「単位互換」などの議論を続けて来ました。

 この点で日本は大変中途半端なのです。ハーバードMIT(マサチューセッツ工科大学)など、米国型の「私立大学」は300万円、400万円といった年額で授業料が非常に高価です。

 翻ってミュンヘン工大フンボルト大学などドイツの大学は学費がかかりません

 この状況で、東大と「単位互換」を考えると、特に米国など高価な大学とは微妙なネジレが生まれます。
 つまり、東大の年額50万円程度の授業料で、ハーバードやMITの単位が全面的に取れる、ということになってしまうと、「いったい本国での高い授業料は何なんだ?」ということになってしまう。

 翻ってドイツ、欧州であれば、そのような事態は発生しませんが、場合によると、ドイツの無償教育制度で学籍を持つ人が、「どうして日本の高い国立大学の学費を払わないで、単位を貰えるのか?」という国内からの疑問が出てきても、不思議ではない。

 紙幅も尽きてきましたので、ここでの私の結論を申し述べるなら、どこかで大きく舵を切って、日本はヨーロッパ型の「完全無償化」を徹底し、東アジアやオセアニアなど、周辺各国からも優秀な人材を集めて、新たな最高学府を構築すれば、学術に未来があると思います。

 これは16〜17年前、東大に着任した直後に沖縄科学技術大学院大学の設立をお手伝いしていた頃から、ずっと一貫して述べていることです。

 しかし、実際にはおよそその逆方向(米国型の高価な大学へのシフト)にしか進んでおらず、私の理想は1ミリも動きませんが、多分ダメでしょう。つまり、その方向での日本の大学の繁栄は期待しにくい。

 2019年11月29日「大勲位」中曽根康弘元首相が101歳で亡くなり、日本の風土として亡くなった人を顕彰する風の記事を、師走に入って目にしました。

 一個人の逝去には弔意を示したいと思いますが、中曽根さんという人が残した仕事には、明確に功罪両面があると思います。

 米国共和党型の「新自由主義」を日本に導入し、様々な格差固定化を進めた中曽根康弘氏の責任は、棺を覆った後にも追及される必要があると思います。

 専売公社がJTになったのも、国鉄がJRになったのも、みな中曽根政権の新自由主義政策ですが、果たして正しかったのか?

 経営優先でローカルが廃線、消えた町の消息などを聞くとき、現在進行形の水道民営化と、千葉大停電で明らかになった断水リスクその他、経営優先で考えると途絶するであろうライフラインなど、考え込まざるを得ない問題が莫大にあります。

 JRJTも、また入試制度のアメリカナイゼーションも、中曽根氏が残した側面がはっきりあります。

 私が徴兵に適していたティーンの頃、「ロン・ヤス」同盟を背景とする「不沈空母」発言などがあり、大いに恐怖させられた政治家でありました。

 最晩年に、安倍晋三政権のあまりの乱脈に苦言を呈したあたりでは、中曽根発言がまともに見える、と感慨を新たにもし、また海軍時代を含め共通の背景を持つ、俳人の金子兜太さんから伺った中曽根さんの素顔には、メディアを通して知るのとは違う面もあり、この人もまた人物ではあったのだろうと思っています。

 しかし、中曽根さんの逝去とともに、日本が卒業すべきものは、はっきりあると思います。

 彼が音頭を取った「教育の受益者負担」という亡国のノリトは、もうやめなければダメでしょう。教育を銭ゲバの草刈り場にしてしまったら、その国に未来はありません。

 中曽根さんを送った2019年とともに、教育の受益者負担という、欧州から見れば正気の沙汰とは思われない政策から全面転換し、本当の意味での「高等教育の無償化」が成立するよう、予算編成の根本から、国の考え方が改まることを、心から願って「已みません」。

 伊東 乾

『JBpress - Yahoo!ニュース』(2019/12/31)
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20191231-00058801-jbpressz-int


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