2020/8/13

「被爆者と手を取り合い」の主語が、「私」ではなかった安倍のスピーチ  ]平和
 ◆ コピペ首相 (東京新聞【本音のコラム】)
鎌田 慧(かまたさとし・ルポライター)

 八月十五日。七十五年前、国民学校一年生だった。国民学校は教育勅語による、皇国民育成のための小学校だった。軍隊駐在の町だったから、空襲に備えて強制疎開させられて、山村に移住した。
 ラジオの前で両親が正座して、天皇の声を聞いていた。戦争は終わった。
 それから空襲や原爆、戦地での戦死や餓死、さらには日本軍のアジアでの侵略虐殺、強制連行・強制労働と少しずつ学んできた。

 六月はオキナワ、八月はヒロシマ、ナガサキ。そして敗戦。死者を弔い非戦を誓う月だ。
 六日。松井一実広島市長「核兵器禁止条約」への署名・批准と締結国との連帯を求める平和宣言を発表した。


 九日。田一上富久長崎市長同条約・の署名・批准をもとめ、日本国憲法の平和の理念の永久堅持を訴える、平和宣言を発表した。

 二つの被爆地の式典に参加した安倍晋三首相は被爆者の念願である核兵器禁止条約については一顧だにせず、「被爆者と手を取り合い、被爆の実相への理解を促す努力を重ねていきます」とまったく同文の挨拶をした。
 スピーチライターがおなじだから同文になるのだろうが、手抜きのコピペだ。たまには自分の気持ちをこめて語ってほしい。

 信じがたいのは、その主語が「私は」ではない。双方ともに「わが国は」なのだ。
 国と被爆者が手を取り合えるのか。役にたたない「私」なのだ。

『東京新聞』(2020年8月11日【本音のコラム】)


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