2021/4/12

3.11から10年。世論調査は常に反原発が多数派。それでも原発は止まらない。  ]Xフクシマ原発震災
  =立川テント村通信=
 ◆ 10年目の「3.11」都心の反原発行動をハシゴした。


 10年前福島原発が爆発したあと、反原発を求める声は全国各地で燎原の火のように広がった。初めて運動に参加した人も沢山いたと思う。
 事故の責任をとらせる運動、再稼働を阻止する運動、避難者のケアをする運動、原発輸出をやめさせる運動・・・私たちは、人類と原発は決して共存できないということを嫌というほど学んだ。そのような危険なものを無為に放置してきたことへの反省も。
 全原発が停止した日々も過ごした。やっぱり電力は余っていた。福島第一の廃炉は絶望的で、汚染水は増え続けている。
 世論調査は常に反原発が多数派だ。それでも原発は止まらない。その現実から始めるしかない。それが10年目の「3・11」ということだ。


 ◆ 「無責任の体系」再び

 3月11日、都心の三つの反原発行動に参加した。一つ目は、「3・11天皇出席の追悼式典反対集会・デモ」だ。


 毎年3月11日に政府主催で行われてきた東日本大震災追悼式典。巨大な日の丸が正面に掲げられ、君が代から始まり、天皇や皇族の追悼の言葉をクライマックスにもってくるとんでもない式典である。

 反対集会で講演した天野恵一さんは反天皇制運動の活動家として有名だが、この10年は精力的に反原発運動に参加してきた。天野さんの話。
 「8月の全国戦没者追悼式典は継続中だが、3・11の式典は今年で終わりという話もある。なぜか?戦争は終わったが、震災・原発事故は終わつていないからだ」
 「反天皇制運動と反原発運動をつなぐものは、『責任論』だ。原発事故の責任をとって辞めた中央の政治家は一人もいない。こんな国があるのか。戦争責任を自らの手で取れなかった『無責任の体系』がここでも機能している」

 「『朝日』は連載でかつての原発推進の論調を反省した。しかし反原発の顔になった大江健三郎は、かつての原発礼賛を反省していない。共産党も岩波もそうだ。戦後日本の『革新』は『原子力の平和利用』に深く浸食されていたわけで、そこを自己批判的に切開していく作業が必要だろう」

 ◆ 経産省前で、東電前で

 二つ目は、5時からの経産省前脱原発テントひろばの集会
 経産省前の歩道に広がって、150名ほどの参加。
 10年前のテントの登場は鮮烈だった。5年前にテントが強制撤去されてからも、毎日の座り込みが続いている
 座り込みメンバーを中心にマイクが回る。
 多くの仲間が経産省に向けて「恥」という言葉を口にしていたのが印象的。
 圧倒的に高齢者が多い集まりだったが、誰からも「若い人たちに…」という語りがなかったのが清々しかった。

 夜は東電前の抗議行動。コロナの中、千人近くはいたと思う。
 東電本社と道路を挟んだ角に電飾を施された横断幕が掲げられ、スポットライトがスピーカーを照らし、和太鼓が盛り上げる。
 マスコミのカメラに交じって、老若男女問わずのスマホ撮影。これも10年間で変わった光景だ。
 申入れに対応した二人の東電社員は、ひたすらうなだれて話を聞いていた。原子力村の面々にとっては「反省のポーズ」だけをひたすら磨いたこの10年だったのだろう。
 それでも原発は止まらない。どうすれば本当に止められるのか、大きな宿題をもらって新橋を後にした。

『立川自衛隊監視 テント村通信 第518号』(2021年4月1日)


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