2007/4/13

嘱託不採用賠償訴訟  X日の丸・君が代関連ニュース
 嘱託不採用賠償訴訟の法廷で
                        澤藤統一郎の憲法日記


 今日(3/12)は君が代不起立による嘱託不採用訴訟の原告本人尋問(東京地裁710号、13:10〜)。3名の原告が、それぞれの個性あふれる、立派な証言をした。

 教育という天職に実に真摯に取り組む教師たち。真面目な教師であるがゆえに、「日の丸・君が代」に敬意を表することができない。強制に屈することができない。強制に屈せざるを得ないとすれば、その精神的苦痛はこの上なく大きい。

 今日の証言の中からの名文句。

 卒業式とは何のためにするのかまずその目的を確定して、しかる後に確定された目的にあわせて式をどう組み立て進行するかを考えます。しかし、「日の丸・君が代」は、いかなる意味においても卒業式に登場してくる必然性がありません。卒業式の目的に無関係だからです。
 やや突飛な仮定かも知れませんが、もし、「公務員が結婚するときは、式場に日の丸を掲げ君が代を斉唱しなさい」という規則ができたとすれば、多くの人は違和感をもつでしょう。それは、結婚式の目的が、「日の丸・君が代」とは関係を持たないからです。
 それと同様に、卒業式の「日の丸・君が代」もおかしいのです。


 私より若い総理大臣が、戦後レジームからの脱却などという時代になりました。彼には、戦争へのリアルな感覚が欠けています。その総理大臣の下で、憲法や教育基本法が変えられつつある。そのような時代の学校現場での愛国心教育であり、「日の丸・君が代」の強制です。これを許してしまえば、結局のところ戦前の二の舞、ファシズムへの道を掃き清めることになってしまいます。

 国際交流において、国旗国歌の取り扱いなんて、実は些細なことなのです。大切なのは、他を尊重する心、他文化を受容する寛容さなのです。他を思いやり、異なった文化を受容する心さえあれば、相手が自国民であれ、たまたま外国人であっても、相手を尊重した交流が可能です。そういう姿勢さえあれば、他国の国旗・国家に非礼な行為などあり得ないのです。

 私が社会科教師として実践の中で育んできた教育理念とは、「未来の主権者に相応しい学力と人格を育てる」ということです。そのためには、生徒を含む学校現場に自主・自由・自立の気風がなければならないと思っています。
 歴史的な経験は、「未来の主権者に相応しい人格を育てる教育」の実現のためには、国家や行政による教育への介入の排除を必要としています。「日の丸・君が代」とは、教育現場への国家の介入の象徴と理解せざるを得ません。

2007年04月12日(木)23:58 この記事のURL 日記 澤藤統一郎
http://www.jdla.jp/cgi-bin04/column/sawafuji/


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