2021/8/2

東京「君が代」第5次訴訟第1回口頭弁論原告側意見陳述B  X日の丸・君が代関連ニュース
2021(令和3)年7月29日
 東京地方裁判所民事第36部合A3係御中

◎ 意 見 陳 述 要 旨

原告ら訴訟代理人
弁護士 平松真二郎

1 本件訴訟においては、まず、原告らは、2014年3月から2017年4月の間に都立学校で実施された卒入学式の際に起立斉唱命令に従わなかったことを理由として科された懲戒処分の取消しを求めています。
 加えて、これまでの第4次訴訟までで減給以上の処分の取り消し判決が確定した者に対して、取り消された処分と同一の事実について、7、8年前の起立斉唱命令違反行為について、さかのぼって処分の対象として科された再度の懲戒処分の取消を求めています。


2 原告らは、まず、教職員に対する卒業式等における国歌の起立斉唱の強制自体、思想良心の自由を制約し、教育の自由を侵害するものであるから、そもそも起立斉唱命令違反を理由とする懲戒処分はいずれも違法であって取り消されなければならない。


 さらに、本件各懲戒処分は、いずれもその処分裁量を逸脱・濫用してなされたものであるから取り消されなければならない。
 これが、原告らの主張の骨子です。


3 (1)「10・23通達」が発せられて以来、職務命令違反を理由として懲戒処分を受けた教職員がこれまでに4次にわたって懲戒処分取消請求訴訟を提起してきました。
 これまでの訴訟においては、結論として減給以上の懲戒処分の取消しを命じるにとどまり、戒告処分の取り消しは認められてはおりません。
 しかし、これらの判断は、あくまでも判決当時の状況を前提にして、「まだなお違法とまではいえない」と判断したものにとどまります。けっして強圧的な都教委の姿勢を肯定したものでもなければ、状況いかんにかかわらず戒告処分が違法とはならないとしたものではないことに留意されなければなりません。
 このことは、「10・23通達」をめぐる訴訟の一連の最高裁判決には,数々の個別意見が付され、その多くが国歌の起立斉唱の「強制」に慎重な姿勢を示していたことからも明らかです。

(2)しかしながら都教委は、これらの個別意見を真摯に受けとめず、免罪符を得たとばかりに教職員に対する圧力を一層強めています。そこにはただただ国歌の起立斉唱の義務付けを貫徹しようとする思惑だけが見て取れます。
 最高裁の各個別意見が、教育環境の改善を図るために寛容の精神及び相互の理解を求めたことについての配慮はみじんもみられません。
 不起立とそれに対する懲戒処分が繰り返される結果、教育現場の環境が悪化しようが、起立できない教職員に対して徹底的に不利益処分を科し、根絶やしにすることに固執する姿しか見られません。このような姿は、最高裁裁判官の各個別意見の真意に沿うものではないはずです。

(3)それを措いても、本件訴訟においては、これまでの最高裁判決の多数意見の判断、結論に漫然と従って判断されてはなりません。
 一連の最高裁判決以降,都教委の再発防止研修の強化など、より精神的自由に対する制約が強められ、原告らに科された各懲戒処分の実質的内容は加重されています。
 これらの事実経過を正確に認識したうえで、憲法19条が保障する思想良心の自由が侵害されているか否かが判断されなければなりません。
 また、都教委による教育内容介入が、教基法16条が禁ずる「不当な支配」に該当しないかが判断されなければなりません。
 そして、なにより懲戒処分を繰り返している都教委の真の意図を直視した判断がなされなければなりません。

(4)さらに付け加えると、一連の最高裁判決は、個人の思想・良心の自由という人権の制約を合理化する対抗価値について積極的に述べるところはありません。結局のところ、最高裁判決の法廷意見は、「秩序維持」という多数派の抽象的な利益を、個人の人権を凌駕する優越価値と認めてしまっています。
 しかも、優越価値と認められた「秩序」は、国旗国歌への敬意表明の場としての学校儀式の整然性であり、そのような国家意識を涵養する「秩序」にほかなりません。このような「秩序」優先の判断は、不正常な憲法感覚にもとつくものであり、人権感覚の欠如と指摘せざるを得ません。

(5)この点について最近の興味深い全国世論調査を紹介いたします。今年の憲法記念日にちなんで、朝日新聞社が世論調査を行いました。
 五つのテーマを選定して、最高裁判決に納得できるか否かを閻うたものです。言わば、最高裁判決に対する世論の側からの通信簿です。この五つのテーマの一つとして、学校現場での国旗国歌強制の問題が取りあげられています。
 この世論調査は郵送によるもので、調査対象者は3000、有効回答者は2175、回収率73%という大規模なものです。
 設問は「公立校の式典で起立して君が代を歌わなかった教師を教育委員会が処分してよい」という最高裁の判断に、「納得できる」か「納得できない」か、を問う形式でした。

 これに対する肯定的な回答は「大いに納得できる」が10%、「ある程度納得できる」の21%を加えても計31%にとどまりました。
 他方、否定的な回答は「まったく納得できない」が30%「あまり納得できない」の35%を加えると計65%となりました。
 最高裁の判断に与するもの31%、批判するもの65%という結果となっています。


4 最高裁による人権否定の判決に対する世論の批判を、最高裁判所だけでなく下級裁判所を含む裁判所全体が真摯に、そして深刻に受けとめなければなりません。
 当然のことですが、人権は多数決によって侵害されてはなりません。社会の多数派の意識が少数者の人権を蔑ろにしようというとき、敢然と少数者の側に立って人権を擁護すべきが司法の役割です。
 法律家や、裁判所とは、そのような事理を弁えた者、一般人よりも鋭い人権感覚を有した者と想定されているはずなのです。

 ところが、本件においては、最高裁の人権感覚の欠如が世論に批判されている体たらくなのです。
 最高裁判決の多数意見の結論のみに漫然と従い、硬直した判断を行うことは、裁判所の判断が、不起立とそれに対する懲戒処分との繰り返しによって教育環境を悪化させる一端を担う結果となるのです。

 訴訟の冒頭に当たって、このことを強調し、貴裁判所には是非とも、真っ当な人権感覚をもっての的確な審理、訴訟指揮を求めるものであります。
以上




※投稿されたコメントは管理人の承認後反映されます。

コメントを書く

名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL




teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ