2021/9/28

グローバル人材育成の手段に貶められた高校国語教科書  ]Vこども危機
  《子どもと教科書全国ネット21ニュースから》
 ◆ 高校国語教科書の特徴と学習指導要領の問題を検討して
   〜高校生に言語能力を高める教科書を

小池由美子(こいけゆみこ・上田女子短大教員)

 ◆ 改定学習指導要領と新しい教科書

 2018年3月に「高等学校学習指導要領」が告示された。戦後培ってきた高校国語教育の大転換を迫る内容である。
 特徴は必修科目に「現代の国語」と「言語文化」の新設、選択科目に「論理国語」「文学国語」「古典探究」の新設がある。

 端的に述べると高校国語の目的が、「改正」教育基本法に基づく愛国心・伝統文化の涵養と、OECD型の資質・能力育成に取って代わられた。
 2021年度に採択される教科書は、必修科目の「現代の国語」「言語文化」である。


 どんな教科書ができ上がるのか暗い気持ちで待っていたが、「現代の国語」から文学が排除された問題はありつつ、2科目合わせると従来の「国語総合」の原型は留めた。
 「言語文化」は戦前の教科書のように、神話が復活し天皇をイメージさせる「我が国の伝統文化」や「崇高なものへの敬意」があふれるかと思ったら杞憂に終わり、教科書会社の良識が示されたといえる。
 しかしながら、看過できない問題点が多々あることを次に指摘しよう。


 ◆ 「現代の国語」に見る問題点

 (1)カリキュラム・マネジメントと「読むこと」の削減
 学習指導要領の「解説国語編」によって、個々の教材が「話すこと・聞くこと」「書くこと」「読むこと」のどの領域に属するのか、「知識・技能」「思考力・判断力・表現力等」のいずれを身に付けることを目的にするか示さなければならず、時間配当まで決められた。
 こうしたカリキュラム・マネジメントによって、教科書会社は「読む」ことに関する教材を一気に削減せざるを得なくなった
 その結果、一本の評論の分量が極端に少なくなってしまった。こうした評論が何本掲載されても、読む力も思考力、判断力も身につかない。
 どの教科書会社の評論も平易なものが多くなり、内容的には随想に感じられる。これでは高校生に見合う言語能力が育てられるのか、疑問を感じる。

 (2)技術に偏した情報と表現力の扱いの問題
 学習指導要領を徹底させるため、教科書会社も情報と表現力を扱った教材を一定配置しなければならい。苦慮したと思うが、そのために陳腐な状況が起きている。大学入学共通テストのプレテストを反映させた影響も感じられる。教科書から事例を挙げよう。

 @道路交通法改正と新聞記事
 この資料の中には「内閣府令」「略式起訴」等の専門用語が出てくる。その上で架空の事例を示し警官の対応は妥当と言えるかなど、改正後の法律の文言を引用しながら説明することを指示している。
 道交法という「身近な文章」と新聞記事から複数の情報を読み取る力を求めているのである。これが一体国語で教える内容なのだろうか。専門用語があり、法解釈にかかわる問題なので公民科できちんと裏付けを学ぶ必要があるのではないだろうか。
 身近な法律と新聞記事を複数の情報としてまとめれば良い、という問題ではない。

 Aグラフや写真の読み取り方
 文化庁「国語に関する世論調査」(平成二八年度調査)をもとに作成したグラフを載せ、絵文字等の記号や標記の使用について、「性・年齢別」に着目させる。絵文字を「使う」と答えた人のみでなく、「使わない」理由をまとめたグラフがないのはどうしてかという視点も持たせる。
 しかし、このグラフそのものがジェンダーのバイアスが掛かっている。ジェンダーについて根本的な問題を思考することを回避して、グラフの読み取りに特化した情報処理能力を育成することには、甚だ疑問を持たざるを得ない。

 (3)「話すこと・聞くこと」「書くこと」偏重の弊害
 「話し合い」では、学校新聞や図書委員会のポスターなど、バーチャルな会話を設定して説明させる教材が散見される。いずれもウソ臭い設定で高校生の実態から乖離しており、教材として扱う意味が理解できない。
 会話から多様性を読み取れるという前提なのだろうが、会話に流され本質を読み取り課題を見極める力を育成することにはつながらない。


 ◆ 「言語文化」の問題点と言語能力の低下への懸念

 学習指導要領から予想すると、神話と和歌・俳句が席巻するのではないかと思っていたが、従来の「国語総合」の古典編に近現代の文学が結合した形にはなった。
 「解説国語編」で、古文・漢文とともに近現代の「文学的な文章」を教材とすると指示されているため、ほとんどの教科書が「近現代編」「古文編」「漢文編」に分類されている。
 古文・漢文で掲載された教材はほぼ従来のものが踏襲された。
 ただし小説は、作品数が削減されてしまった。戦争小説が一編も掲載されていない教科書が多くなっているのは、甚だ残念だ。

 教科書会社が基礎編か上級編に位置づけるかによって、難易度が二極化した。限りなく中学の教科書レベルに近いものから、高校1年で大学受験レベルの高度なものまで、明確に分かれた。
 基礎編においては、中学校のように古典に触れるだけで「良し」とするものもあり、中学校の二番煎じにしかならない。古典に対する興味は持てないだろう。高校生にふさわしい、言語文化に関する学力が育てられるのかは疑問に感じる。近現代文学とどのように結合させるかは、各教科書会社とも試行錯誤中だと言えるだろう。

 以上の様に見てくると、当初文科省が意図していたと思われる愛国心の涵養については頓挫した感がある。「古事記」などの神話が掲載されなかったのは、教科書会社が良識的に判断したといえよう。しかしだからこそ、教科・教科書がグローバル人材育成の手段に貶められたことが浮き彫りになる。
 OECD型の読解リテラシーが上辺だけ取り入れられ、情報の扱い能力育成の教科書に堕してしまった。特に「読むこと」を大幅に削減した弊害は大きく、長いスパンで見た時に、言語に関する学力は低下するだろう。


 ◆ 教科書検定制度のほころび

 今回の国語教科書の検定には、ほころびも感じられる。それは、第一学習社「現代の国語」のある一点のみが、文学作品を掲載していることだ。「学習指導要領」では文学教材は排除しているので、この教科書が合格していることに驚きを感じた。
 文学作品が掲載されれば、従来の「国語総合」と同じで、本来の国語教育に叶う。
 他社も文学作品を掲載する「現代の国語」教科書にチャレンジしてもらいたいところだ。この教科書が検定を合格した意味を、文科省は明らかにする必要があるだろう。そうでなければ検定の公平性が担保できない。
 検定の担当者が混乱したのか。混乱するような学習指導要領そのものに問題があるだろう。基準がぶれたのならどう説明するのか、今後の文科省の動向が注視される。


 ◆ 高校生に言語能力を高める教科書を

 何よりも大切なことは、現場教師が専門性を生かし生徒の言語能力を高められる教科書が編成されることだ。そして高校生がワクワクする教科書を届けることだ。教科書会社も日夜努力している。
 現場教師も良い教科書づくりのために、教科書会社に教育実践を豊かにする教材を積極的に伝える努力が必要だ。
 そして多くの国民が高校生に良い教科書を手渡すことに感心を持ち、世論を形成することが大切だ。高校の教科書は、毎年改訂され採択されることに大きな希望がある。それが「論理国語」「文学国語」にもっながるだろう。

『子どもと教科書全国ネット21ニュース 89号』(2021.8)



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