2022/5/20

憲法21条よりも、憲法13条・14条に基づいたヘイトスピーチ研究論文  Z人権
  =ヘイト・スピーチ研究文献(196)個人の尊厳〔前田朗Blog〕=
 ◆ 奈須祐治「ヘイトスピーチと『個人の尊厳』」
   (『西南学院大学法学論集』第53巻第4号(2021年))


 大著『ヘイト・スピーチ法の比較研究』(信山社)の著者である。
https://maeda-akira.blogspot.com/2019/05/blog-post_18.html
 桧垣伸次・奈須祐治編著『ヘイトスピーチ規制の最前線と法理の考察』(法律文化社)も出している。
https://maeda-akira.blogspot.com/2021/11/blog-post_6.html
https://maeda-akira.blogspot.com/2020/11/blog-post_29.html
 英語圏で出版されたShinji Higaki & Yuji Nasu eds., Hate Speech in Japan: The Possibility of a Non-Regulatory Approach (Cambridge University Press, 2021)の編者である。

 本論文は、川崎市ヘイト・スピーチ事件民事訴訟において、奈須が東京高裁に提出した意見書を基にしている。
<目次>
はじめに
1.事件の概要と地裁判決
2.憲法13条の「個人の尊厳」の侵害
3.憲法14条の法の下の平等原則の合意


4.「尊厳」概念の曖昧性をめぐる問題
5.ヘイトスピーチに関する法規範
6.表現の自由への配慮

 ◆ 若干の感想。

 第1に、ヘイト・スピーチについて、憲法第13条及び14条の意味と射程を丁寧に論じている。オーソドックスで、説得的な論述である。

 これまでこういう論文があまりなかったことに驚かされるのは、不思議な話でもある。刑法学者や弁護士は、ずっと以前から憲法13条と14条を基にヘイト・スピーチについて論じてきた。当たり前のことである。

 ところが、憲法学では、21条の表現の自由だけを論じてきた。このblogで私が批判してきた憲法学者が典型だが、13条や14条を参照することを許さない、ひたすら21条の表現の自由だけを強調する。
 あたかも「そこのけ、そこのけ、日本人マジョリティ様のお通りである。マイノリティは黙っておとなしくしていろ」といわんばかりの憲法学が主流であった。

 これに対して、奈須は13条と14条の意味内容を検討し、ヘイト・スピーチが憲法上いかなる意味で理解されるべきかを論じている。有益な論文である。

 第2に、尊厳概念の検討も参考になる。まず「人間の尊厳」と「個人の尊厳」の関連である。
 国際人権法では人間の尊厳が基本概念であるが、日本国憲法には人間の尊厳という言葉がないため、憲法学の中には人間の尊厳を拒否する論者もいる。
 人間の尊厳を客観的、個人の尊厳を主観的(主体的)に理解する見解など、いくつかの理解が示されてきたが、人間の尊厳を基礎として、その上に個人の尊厳が成立するという理解が普通であろう。
 私自身は人間の尊厳を論じてきたが、「個人の尊厳」という議論をあまりしてこなかった。不特定多数に対するヘイト・スピーチに焦点を当ててきたためだ。
 奈須は、個人の尊厳概念を分析した上で、ヘイト・スピーチは人格権を侵害するという理解について、人格権だけでなく、根底的に個人の尊厳を侵害するという解釈を打ち出す。なるほど、と思う。個人の尊厳の核芯部分を侵害するのだ。

 第3に、尊厳概念は歴史的に古くから使われ、分野横断的に用いられるので、多義的であいまいであることは否めない。アメリカでは、尊厳概念への批判も登場しているので、奈須はそれらを紹介・検討する。
 あいまいさを理由に尊厳概念に否定的な議論もあれば、あいまいさを前提としつつ解釈の明確性を探る議論もあるようだ。
 奈須は、尊厳概念があいまいであることを認めつつ、川崎市ヘイト・スピーチ事件で攻撃された個人の尊厳はもっとも中核的な部分なので、概念の曖昧さは解釈に困難をもたらさないと見る。

 この点では、成嶋隆(獨協大学教授)の議論を思い出す。成嶋は、前田のヘイト・スピーチ概念は外縁が不明確だと批判した。なるほど、この批判は当たっている。だが、外縁が不明確であっても、それぞれの論者がどのように定義をしようとも、どの定義であれ、当てはまるヘイト・スピーチがある。
 そうした中核的なヘイト・スピーチを私は問題にしているつもりだ、と応答しておいた(前田『序説』)。

 第4に、奈須は日本国憲法だけでなく、人種差別撤廃条約及びヘイト・スピーチ解消法もていねいに参照して、結論を引き出す。
 この点も当たり前の思考プロセスだと思うが、憲法学者には必ずしも一般的ではない。国際人権法を引き合いに出すこと自体を激しく批判する論者もいるくらいだ。

 第5に、奈須は表現の自由についても適切に配慮している。

 「憲法21条の表現の自由の根底にある価値についても触れておきたい。同条が保障する表現の自由の基礎にある自己実現や自己統治の価値は、他者をもっぱら自己の欲求や願望の実現の手段として扱う言動や、他者に沈黙を強いる言動を保障することを想定していない。」
 「何人も特定人を攻撃することなしに政治的見解や政策に関する議論を表明することは可能であり、代替的な表現の回路は広く開かれているからである。」

 短いが、力強く、明晰な表現だ。こういう論文が増えれば、ヘイト・スピーチの法的議論が大幅に進展するだろう。

 なお、表現の自由の価値については下記参照。
https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_20.html
https://maeda-akira.blogspot.com/2022/02/blog-post_85.html

『前田朗blog』(WEDNESDAY, MAY 11, 2022)
https://maeda-akira.blogspot.com/2022/05/blog-post_11.html

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