2022/5/24

事実歪曲報道・流言飛語を拡散する報道・言論人の責任追及  ]Vこども危機
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  <MBSドキュメント『バッシング』考>
 ◆ 花田紀凱氏は”嘘つき”と暴かれたのに、なぜ今もそのままでいられるのか!?
   皆さま     高嶋伸欣です


 映画『教育と愛国』の上映開始に合わせ、各紙誌には斉加尚代監督のインタビュー記事などが相次いで掲載され、関心の喚起、観客の増加が期待されています。
 でも、マスコミは同映画への共感表明だけで良いのでしょうか。
 映画の上映と並行して、斉加尚代氏の新著『何が記者を殺すのか・大阪ドキュメンタリーの現場から』(集英社新書)が発行され、同書にちなむトークイベントも各地の書店等で開催されています。

 同書は、映画の原版となったドキュメント番組制作の様子が改めて詳しく紹介され、ジャーナリズムここにありという観を深められる書です。
 ただし私の場合、映画『教育と愛国』に係る部分に加えて、別に大いに衝撃を受け、こだわっている部分があります。
 そこに多くの方が注目されることを期待しています。


 それは、「売れる」雑誌作りの「伝説の編集長」花田紀凱氏に嘘つきであることを、斉加氏が認めさせたところです(添付資料参照、同書195p〜)。

 「売れる」ものにするためには、ミスではなくウソと承知で雑誌を作って販売し、読者を欺くことに良心の呵責を覚えない人物が、大手を振って動き回っている。『産経新聞』は他誌(週刊誌)批評のコラムの執筆を同氏に依頼して憚らないなど、同氏とその周辺のマスコミ人の倫理観にはあきれます。

 同時に、私が驚いたのは、花田氏に嘘つきであることを認めさせたのがMBSの番組『バッシング』で、2018年12月16日に放送されたものだったという点です。

 今にして思えば、斎加氏が花田氏にウソを報道している事実を認めさせた、という噂は聞いていたのですが、番組を通じて公知のことになっているとは想像していませんでした。

 なぜなら、そのことが広く知られていたら花田氏は社会的に糾弾され、報道・言論界から排斥されるほどの重大事と連想したところで、同氏は相変わらず闊歩し続けていたためです。

 それが、実は2018年12月には関西地区では深夜放送であるにしても、報道分野の人々からは注目されているMBSの番組で公表されたのだと、今回の新著で初めて知り得たのです。

 だとすれば、関西地区の報道・言論分野の人々は花田氏の社会的責任を追及する取り組みがされたはずで、そうした動きは関東に住む私たちにも伝わってきたはずと思われます。
 けれども、私の個人的体験の範囲内ですが、そうした気配を感じませんでした。
  *そうした動きはなかったのでしょうか?

 『バッシング』は第56回ギャラクシー賞奨励賞、2019年民間放送連盟審査委員特別賞、第39回「地方の時代」映像祭優秀賞などを受賞しているそうです。
 首都圏のTVでも視聴の機会があったのかもしれません。私はそうした放送の事前情報を見落としたのか、視聴できていませんでした。

 その一方で、うわさに聞く花田氏を問い詰めた件を何らかの形で公知のものにしてもらえないものか、と待ち焦がれていました。それだけに、今回の新著で斎加氏が文字化したことで、「してやったり!」という気持ちになりました。

 その気持ちそのままに4月29日の横浜での「今、なぜ?『昭和の日』」集会の情勢報告では、同書の「ここに注目して下さい」と強調しました。ただしそこまでで終わらせていました。
 けれども、現在では2018年12月の時点で関西では公知の事実になっていたという点から、日本社会の報道・言論界への疑問・不満を深めています。

 このような「嘘つき」編集長たちを跋扈させている日本の「社会」が「報道の自由度」国際比較で、前回よりもさらに順位を落としたのは当然と思えます。

 元ニューヨークタイムスの東京支局長だったマーティン・ファクラー氏は著書『吠えない犬・安倍政権7年8か月とメディア・コントロール』(双葉社、2020年)で日本ジャーナリズムの不甲斐なさを痛烈に批判しています。

 花田氏の拠り所だった安倍政権が消えた今、同政権下で報道・言論界にはびこった仇花を排除する動きを、映画『教育と愛国』の支援には積極的なメディアに望みます。支援は当然として、次には斎加氏の成果に基づいて、”毒花”排除は我々が引き継ぐ、という声がいまのところどこからも聞こえてこないのは残念です。

 学校現場では、こうした花田氏たちによってまき散らされた”ウソ”・流言飛語の類が、教育委員会や管理職、時には保護者や生徒自身などからの”中立であれ”という締め付けの根拠に援用されている状況があります。
 
 『教育と愛国』を支援する姿勢を一斉に示しながら、これら”嘘つき”を糾弾する報道・言論には無関心で、彼らを野放しにしている”良心的メディア”も、結局は収益優先という点で、彼らと同列なのかという疑問が湧いてきます、とは言い過ぎでしょうか。
   *それほど彼らの周辺にいるWEBのヘイト集団がの影響力は大きい?

 まずはともあれ、多くの方が『何が記者を殺すのか』のp195からを読まれるよう、お勧めいたします。
 特に教員の皆さんはこの部分を確認し、不条理な圧力に対抗する素材として職場等での共有情報とされることを、お勧めいたします。
 教委事務局や管理職などにも読むように求めたいところです。

   *どなたか『映像'18 バッシング』を録画したDVDをお持ちでしたら貸して頂けないでしょうか

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  *ちなみに、私にも花田氏の「伝説の編集長」ぶりを体験させられたことがあります。

 私と林博史氏(関東学院大学)で取り組んでいた陸軍第5師団(広島)によるマレー半島での住民虐殺事件掘り起こし活動を、『中国新聞』の御田重寶記者が長期連載『B・C級戦犯』(延べ245回)で、”自虐史観”による歪曲調査と決めつけた件においてです(1990年)。

 私たちが「御田氏こそ記事に資料を改ざんして引用している」と指摘したのを受け、同新聞社は再度の申し入れ後に社内調査に着手しました。
 1991年10月16日(新聞週間初日)に、その結果が広告なしの15段ぶち抜きの紙面で詳細に報告されました。
 多数(延べ一千か所以上)の誤記誤植や引用資料等の改変が確認されたことから事実上”改竄があった”と認められる旨が明らかにされ、読者や私たちへの謝罪の意を表明しました。

 これで、とりあえず一件落着のはずでした。
 ところが、花田氏が編集長の月刊『諸君』の92年9月号に御田記者による「改竄記者に仕立てられた私」と題した15pもの長文記事が掲載されます。
 そこでは、引用資料の多少の改変は業界での許容範囲だったなどと、時代錯誤の感覚を吐露しただけでなく、改めて林氏と私を誹謗中傷していました。

 私たちは、その事実確認の杜撰さにあきれ、反論の掲載を花田氏に申し入れまました。すると、「直接話をしたい」と私の勤務校にわざわざ出向いて来ました。ただし、「反論は読者投稿掲載で、細大1p分のみ」と言い張られ、拒否されるよりはましと考え、そのように対応(10月号に掲載)することにしました。

 この時の話し合いで分かったのは、9月号の御田氏の記事は花田氏が依頼したものだったということです。
 その根拠となった判断(要旨)は、次の通りということでした。
 「91年10月16日の『中国新聞』の報告と謝罪の記事を見て、自分が知っている御田記者はがそのようなことをするはずがないと考えた。そこで、こうした結果になったのは、御田記者からすれば納得のいかない、何か不当な力が作用したにちがいないので、恩田記者にもそれなりの言い分があるはずだ」

 「自分が知っている御田記者」とはこの事件以前の同記者を指すことになりますが、この事件を契機に過去の業績についても点検がされ、引用資料の改変、それも否定を肯定に転換させた事例などの存在が多数掘り起こされていました。

 花田氏は、報道・言論界の状況認識において真実の確認・誤りの排除の大原則に無頓着な姿勢があったことで、「売れる」雑誌作りの「伝説の編集長」になり得たのだと、今にして納得がいきます。

 この意味で、改めて斉加氏が花田氏に”嘘つき”を自認させた『バッシング』の社会的意味の重さを感じます。

 *花田氏については私以上に、大原則無視の言動に翻弄された事例が多数あるのではないでしょうか?

 *花田氏を先例として、事実歪曲報道・流言飛語拡散をする報道・言論人の責任追及の恒常的な社会的な機運の造成の契機として斉加氏の成果を引き継ぐ機運の醸成のために、映画『教育と愛国』を礼賛している各メディアがさらに一歩を踏み出すことを期待しています。

 *私は勿論、声を上げ続けます。

 以上 高嶋の私見です。ご参考までに
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