2022/5/28

自民党の教育への政治介入から生まれた必履修新科目「公共」  ]Vこども危機
  =『リベルテ』から=
 ◆ 新科目「公共」と「基本的人権」の記述
菅澤康雄(全国民主主義教育研究会事務局長)

 ◆ 新設理由と内容の構成

 二〇二二年四月から高校公民科で、新科目「公共」がスタートした。
 地歴科の「地理総合」「歴史総合」とを含め、この三科目が高校社会科の必履修科目となり、すべての高校生が学ぶことになった。
 「公共」の新設は自民党の公約である。
 二〇一二年に発表された「J・ファイル2012 自民党総合政策集」に、「国旗・国歌を尊重し、わが国の将来を担う主権者を育成する教育を推進します。不適切な性教育やジエンダー・フリー教育、自虐史観偏向教育は行わせません。規範意識や社会のルール、マナーなどを学ぶ道徳教育や消費者教育等の推進を図るため、高校において新科目「公共」を設置します。」と書かれていた。
 つまり「公共」は、道徳教育の高校版として、自民党が提言した新科目であった。


 「J・ファイル」には憲法に関して、天皇の元首化、国防軍の保持、家族の尊重、外国人地方参政権と夫婦別姓の反対が書かれ、極めて反動的な内容になっている。
 その後、中教審答申、学習指導要領、同解説を経て二〇二一年五月に教科書の見本本が職場に配布された。
 「公共」は3部構成をとっている。
 憲法との関わりでいえば、大項目A「公共の扉」では、「人間の尊厳、個人の平等、民主主義、法の支配、自由・権利と責任・義務」などの基本原理を理解し、
 大項目B「自立した主体としてよりよい社会の形成に参画する私たち」では、Aで身に付けた原理を使って、憲法に関する「見方・考え方」を獲得する。
 大項目C「探究学習」は、生徒が課題を設定し、資料を収集して読み込んで結論を導き出す学習活動である。

 検定に合格した教科書は一二冊であった。
 一二冊を概観すると、規範意識や道徳教育を推進する教科書は見られないが、「基本的人権」や平和主義を軽んじる教科書が目立つ。内容が薄く中学校の公民教科書と見間違えるのは、私だけではないだろう。
 「政経」を学ばず「公共」だけの学習で高校を卒業できることを考えれば、大きな問題である。

 ◆ 問題の多い「基本的人権」の記述

 ここでは基本的人権規定の中で、最も重要な「身体の自由」を取り上げたい。「身体の自由」は他の人権に比べて、憲法に詳細に規定されている。
 憲法を大項目Aに置く教科書とBに置く教科書がある。
 Aに置く場合、Aで完結させる教科書とBにも置き、分けて書くタイプがあった。

 採択率一位(二〇%弱)のX教科書は分けて書くタイプである。XはAで罪刑法定主義、法定手続きの保障、遡及処罰の禁止、一事不再理、令状主義、黙秘権などの用語を並べ「身体の自由」を七行で説明している。
 もちろん、ここでは冤罪の構造には触れていない。しかし、Bで自白主義、代用監獄、取り調べの可視化を記述し、冤罪要因を説明している。
 このように大項目AとBとに分けては、授業で冤罪の要因に迫れないのではないか。生徒の思考方法を考えても分けて書く必要はない
 採択率二位のY教科書は、「冤罪はいまなおなくなっていない。私たちは、刑事手続きに関心をもち、よりよいものにしていく努力をおこたってはならない」と、私たちの心がけに頼っている。
 自白偏重主義、長時間の取り調べ、誤った鑑定に触れなければ、冤罪が起こる原因は理解できない。

 その他の教科書には、
   公務員の労働三権禁止を記述するが、ILO勧告は書かない教科書、
   朝日訴訟でプログラム規定説を述べるだけで、訴訟をきっかけに大幅な保護基準の引き上げが行われたことや法的権利説を無視する教科書、
   婚外子を「非嫡出子」と紹介する教科書、
   外国人の人権保障をまったく取り上げない教科書
など、社会科学の研究成果が反映されていない教科書が多数見られる。
 「公共」は、これらの問題点を克服し、学問水準に依拠した知識に基づく授業が望まれる。「公共」は教員の問題意識が試されている。

『東京・教育の自由裁判をすすめる会ニュース リベルテ 第66号』(2022年5月17日)



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