2007/12/28

増田の近現代史講座の感想&次回  \増田の部屋
こんにちは。犯罪都教委&3悪都議と断固、闘う増田です! 重複・長文、ご容赦を!
 以下、熱心な受講者の方の感想&次回ご案内です。「教師冥利に尽きる」!という言葉を思います。

 <増田先生の社会科授業第7回 「民族独立運動と大正デモクラシー」 感想(1)>

 次回は2008年1月26日(土)東我孫子のこもれび近隣センタ―にて。(いつもと違う会場ですのでご注意ください!)
 テーマは「映画『ガンジー』鑑賞&明治〜大正を振り返って」です。


● 東京市電労働者千人ストの真っ最中に明けた1912年。大逆事件で幸徳秋水ら12名が刑死させられた時代の暗雲を突き破るがごとき民衆の台頭!大正はこの年に始まり、治安維持法と普通選挙法制定の翌年に終りました。これらが象徴するとおり、大正時代は民衆と支配者の激しいせめぎあいの時代でした。なぜ民衆は敗れたのか。そのことを突き詰めていけば、今日なお有意義な教訓が得られるに違いありません。大正時代はもはや現代の入り口そのものなのだから、忘却は身の破滅なのだから、私たちはしっかり学んで伝え合っていかなければと思いを新たにするものです。


 古来より人々は、忘れてならない出来事や知恵を延々と語り継ぐことで生き延びてきたのではなかったか。物語りを持たなかった民族は存在しないでしょう、物語りを失った民族はあっても。近代国家が民衆文化を破壊し物語りを奪った犯罪性と、民衆が国家(学校教育)に依存して民(たみ)から民への伝承を捨て去った怠惰を思います。

● もっとも私たちは忘れる以前に、近現代史をろくろく習わなかったのです。でも増田先生の授業を受けていると、公教育が教えたがらない理由がいちいち納得できてしまいます。変わらぬ権力の本質が史実の中から隠しようもなく露呈してしまうし、時代が近い分手の内が丸見えで国民に余計な知恵がつきすぎてしまうし、これはやっぱり非常にまずいのだろうなあと。だから近現代史は時間切れでお茶を濁すことにしたのでは?先生方には古代史をさっさと切り上げて近現代史に時間を割く裁量権もないのかなと思わないでもありませんが、そのこと自体お上の意向に逆らうことかもしれませんね。
 増田先生の授業を受けてきて、はっきりと民衆の立場にたった授業であると感じます。その方法はむしろ淡々と事実(史実、資料)の中から本質を引き出す作業の連続。そして紙上討論。このどこが偏向教育なのか、あえていえば「民衆の立場に立つ」こと以外に考えられません。支配者が民衆の立場を偏向と指差して弾圧する時代に生きていることを、私たちはよくよく自覚すべきでしょう。それはとりもなおさず私たち自身が権力に疎まれていることなのだから。

● 大正期の民衆が置かれていたのは、ただ法の許す範囲で臣民の権利を認められ、団結権、争議権を否定され、警察の弾圧にさらされ、普通選挙権も政治参加のチャンスも奪われ、大戦景気の陰で広がる格差や激しい社会矛盾に直面し、生活苦に喘いでいるという状況でした。そのような状況下でも民衆は諸処でストを打ち、禁止されているはずの労働組合を飛躍的に拡大し(14人から2万人程にも)、女性、農民、労働者、被差別部落の人々それぞれの社会運動組織を続々と設立したのです(共産党も誕生)。「原始、女性は太陽であった」という青鞜創刊の辞、「吾々がエタである事を誇り得る時が来たのだ。・・・人の世に熱あれ、人間に光あれ。」という全国水平者宣言は、彼らの誇らかな人間宣言といえるでしょう。
 それも差別や社会矛盾のただ中で苦闘しつつ手づから獲得した人権意識であるところが素晴らしい。天与の権利を保障された現代人は、却って人権感覚を鈍らせていないだろうか。残念ながら労働権に関しても、辛苦の果て先祖が獲得した権利を、21世紀に相応しく発展させてきたとはいえないでしょう。何故今日の状況に至ったかは今後の授業に学びたいと思いますが、ともかくも当時とは形を変えた奴隷労働がはびこる一方で、労働権の基本のキの字も知らない労働者が放置されているのです(そういう自分も知りませんが)。無知な個人が法の裏表を知り尽くした組織に負けるのは火を見るよりも明らかなのに、中学高校でなぜ労働権をきっちり教えないのか。かねがね不思議に思っていたけど、期待する方が間違っていた、身を守る術はすべからく民衆自身で伝承しなければと今にして思います。

● さて大正時代でさらに特筆すべきは、大戦中の米価暴騰に耐えかねた富山の漁村の女房たちが最初に起した米騒動。彼女たちは賢明にも米価つりあげで暴利を貪る資産家や米問屋に押しかけ、米の廉売を求めてまんまと成功したのです。指導者もなく組織化もされないおよそ自然発生的な騒動は、同時発生的に全国津々浦々に広がって、参加人数は50から70万人。対するに、米さえ買えればおとなしく引き下がる民衆を「鎮圧」すべく投入された「軍隊」は、120地点延べ9万2千人!近代日本史上、民衆運動に対してこれほど巨大な兵力が動員されたことはないそうです。
 この度外れた過剰防衛に、私は支配者の激しい恐怖を感じます。おりからロシア革命への恐怖感もない混ぜになって、組織もされない民衆が自発的に集まり要求を掲げて自力でそれを獲得したということが、気も狂わんばかりに恐ろしかったのだと思うのです。民衆が団結の力、自ら持てる力を識ることも絶対許せなかったに違いありません。もっとも「米騒動は民衆に力の自信を与え、その組織化をもたらした」と資料にありましたけど(出典?)。だからこそ支配者は甘い汁を吸わせてなるものかと(どっちが甘い汁かと思いますが)、激しい弾圧を加えたのでしょう。こう考えてみると権力って、意外と脆い一面があるのですね。私たちが目覚めて権力への依存をやめ、そしてつながることさえできるならば…。

 次稿では権力者の素顔?をさらに追ってみたいと思います。


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