2005/2/24

東京弁護士会が都教委に警告=性教育バッシング(2)  ]平和
第5 都議会議員の視察の際の都教育委員会の対応について

 申立の趣旨には直接現れていないが、2003年7月2日、都議会において、土屋都議らによる公立学校の性教育の問題点についての質疑応答があり、これを受ける形で、同月4日、前記土屋都議ら7名が、産経新聞の記者を同行して七生養護学校を訪問した。土屋都議らは、七生養護学校の保健室等において、教職員に対して、威嚇的な口調で七生養護学校の性教育に批判的な質問をしたり、侮辱的言辞を発した。また、教材である人形を並べさせて、そのズボン等を脱がし、性器を露出させた状態にするとともに、これを同行した新聞記者に撮影させた。
 都議会には、議員調査権が認められているが(地方自治法100条)、具体的な調査権の行使は、個々の都議会議員に対して調査の派遣という形式をとることになる。しかるに、本件においては、都議会が、調査を決定して、土屋都議らを派遣した事実は認められず、それゆえ、本件訪問は、正式な議員調査権の行使ではなく、都議らが言うように、議員調査権の前提としての「視察」め領域にとどまる行為であると考えざるを得ない。
 教育基本法10条は、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と規定する。同法10条は、戦前我が国の教育が国家による強い支配によって不当に歪められてきたことを反省し、教育の自主性、自律性を尊重することを明らかにした規定であり、具体的には、教育の自主性、自律性を確立するため、教育行政が国家権力・公権力による支配に服することなく行われるように教育委員会によって教育を運営していくという教育行政の仕組みを規定したものである。
 そして、ここにいう「不当な支配」とは、教育の自主性、自律性を侵害するあらゆる支配を意味することから、議員調査及び視察についても、かかる教育基本法10条の趣旨に従って、教育現場・内容への過度の介入は許されないという制約を受けることになる。
 これを本件についてみると、「視察」ということならば当然のこと、仮に調査権の行使であったとしても、授業風景や各教室・校舎その他の設備の見学、中立な立場での質問等にとどめられるべきであり、それを超えて、本件のように教育内容を批判する専政治的意味合いの強い質問はむろんのこと、威嚇的な口調での質問や教材である人形のズボンを脱がすなどの行為は、視察、調査権の行使の域を超えており、これに名を借りた教育現場への行きすぎた介入であると言わざるを得ず、教育基本法10条に反する行為と評価せざるを得ない。
 そして、都教委は、前記のとおり、教育の自主性、自律性を守るべく、教育に対して政治的圧力が加わった場合には、本来政治的支配に屈することなく、これを排除しなければならない立場にあり、当日、都議らとともに来校した都教委指導主事は、都議らの前記教育への問題言動に対して、注意を促し、その介入の程度が著しい場合には断固として抗議して、これを阻止しなければならなかったにもかかわらず、都議らの行動を終始静観して、これを放置していたものであり、かかる都教委の行為は、教育基本法10条に反する行為と言わざるを得ない。

第6 都教委の調査、指導、処分の違法性

1 事前手続きの違法性 (略)

2 処分理由とその合理性

 以下では事前手続きに引き続く処分の理由とその合理性について検討する。
(1)行政による教育内容への介入の是非及び範囲について
 教育基本法10条1項は「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負って行われるべきものである。」と定め、同条2項は、「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目的として行われなければならない。」と定める。
 この条文から、法は行政による教育内容への介入(教育行政)は「教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立」を目的とするものに法文上限定される。
 そして、憲法26条がすべての者に教育を受ける権利を保障し、公教育がここに言う教育を受ける権利、究極には子どもの学習権を保障するための条件整備としてなさせるものである以上、ここに言う「教育の目的」とは子どもの学習権の充足=子どもの成長発達を意味すると考えられる。言いかえれば、行政による教育内容への介入は、子どもの学習権保障を目的とするもののみが認められるのである。
(2)旭川学力テスト事件最高裁判決(最大判昭51.5.21)
 旭川学テ事件最高裁判決は要旨以下のように述べる。
 「子どもの教育はもっばら子どもの利益のために行われるべきものであるが、何が子どもの利益でありまたそのために何が必要であるかについては意見の対立が生じうるのであって、関係者の教育の自由の範囲についてはそれぞれの憲法上の自由の根拠に照らして各主張の妥当すべき範囲を画するべきである。
 その観点からは、まず親には主として家庭教育・学校選択においてその自由が行使されるし、また私学教育や教師の教授の自由もそれぞれ一定範囲で認められる。それ以外の領域については、国は、子ども自身の利益の擁護のためにあるいは子どもの成長に対する社会公共の利益と関心にこたえるために必要かつ相当な範囲において教育内容についても決定する権能を有する。
 ただし教育内容に対するこのような国家的介入はできる限り抑制的であること要請されるし、また子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は憲法26条、13条の規定からも許されない。」
 ここに国の教育内容への介入が認められると述べる部分は、上記(1)の趣旨に解するべきであって、つまり行政による教育内容への介入は旭川学テ事件最高裁判決によっても当然に認められたものではない。あくまで、各介入行為につき、その介入目的(究極目的としては子どもの学習権保障目的に限る)及び介入範囲(=大綱的基準の設定に留まる)という点の審査が必要になる。
(3)伝習館高校事件最高裁判決(最判平2.1.18)
 伝習館事件最高裁判決は、「(高等学校)学習指導要飯は法規としての性格を有ずると解することが、憲法23条、26条に違反するものではない」と述べる。
 しかし、この判示部分は前述旭川学テ事件最高裁判決の「学習指導要領などによる教育内容への介入は大綱的基準の設定の範囲に留まるべきである」という部分を前提とするものであって、子どもの学習権保障のためという制約目的を前提とする。しかも「大綱」的基準の設定にとどまるものであって、無条件に学習指導要領による教育内容への介入を認めたものとは到底解されない。
(4)教師の教育の自由について
 子どもの学習権に資する教育の自由は、恵法23条のほか、憲法26条を根拠に認められる。旭川学テ事件最高裁判決に言う「一定の範囲」の具体的内容は、この観点で解釈されるべ華である。
 そして、「子どもの教育が教師と子どもとの直接の人格的接触を通じ、その個性に応じて行われなければならないという本質的要請に照らし」(旭川学テ事件最高裁判決)て考えると、現場の具体的要請に応じて教師によって具体的になされた教育内容については最大限尊重すべきであり、それに対して行政が介入をなす際には、介入をする側で、教育内容につき上記制限を越える不合理な教育内容であることを十分に示す必要がある。すなわち、介入は上記の限度、すなわち学習権保障の目的による大網的基準の設定に限られる(この点で旭川学テ事件最高裁判決のうち「教育内容に対するこのような国家的介入はできる限り抑制的であることが要請されるし、また子どもが自由かつ独立の人格として成長することを妨げるような国家的介入は憲法26条、23条の規定からも許されない。」という部分が想起されるべきである。)。
 旭川学テ事件最高裁判決は「教育に対する行政権力の不当、不要の介入は排除されるべきであるにしても、許容される目的のために必要かつ合理的と認められるそれは、たとえ教育の内容及び方法に関するものであっても、必ずしも同条の禁止するところではない」としている。この最高裁判決を上記の趣旨で解釈し補充すると、「目的の許容性、必要性、合理性」については、行政側が積極的に必要性、合理性をしめすことが要請されるというべきである。
(5)本件厳重注意の違憲違法性
 すでに認定した諸事実によると、本件厳重注意については、そもそもその合理性を疑わせる事情が認められるといわざるを得ない。
 まずそもそもの焦点であった七生養護学校の性教育「心と体の学習」については、その不必要性・不合理性は即断できないこと、むしろ逆に、教育内容に合理性あることをうかがわせる事情が多いことは、すでに述べたとおりである。
 七生養護学校は知的障害児に対する教育を目的とする養護学校であり、特に専門性が強く、また十分な教育効果をあげるためには教育現場の要請を重視する必要性が特に強い。このような知的障害児教育に関する教育の自由の特殊性からみると、普通学級の教師について考える以上に現場教師の自由を尊重すべき要請が強く、その点も介入の合理性判断の際には十分に斟酌されるべきである。
 また、行政(都教委)例の対応についても、介入の合理性について十分な反論・立証があるとは認められない。この点について今回の人権救済申し立てに基づく調査の際に都教委側に対し反論・立証のための機会は十分に付与したものの、都教委側の説明は従前発表した書面類を参照するよう述べるにとどまるものがほとんどで、調査に対する誠実性すら疑わざるを得ない対応であった。
 ここでなお行政による介入の合理性を判断するに、行政の反論・立証の骨子を従前の書面類から読み取るに、@学習指導要領に記載がないこと、A生徒の発達段階にそぐわないこと、の2点が大きな理由と思われる。
 しかしこれに対しては、学習指導要額の法的性質が「大網的基準」(旭川学テ判決)であることからして、学習指導要領に記載がないことはそれだけでは介入を可とする理由にならないことは明らかであり、当蔵内容の合理性を個別に検討する必要がある。
 そして当該内容の合理性についてはすでに述べたとおり、その教育内容の合理性をうかがわせる事情は複数認められるのに比して、その不合理性の十分な反論・立証はなされていないと認めざるを得ない。
 このように検討すると、七生養護学校における性教育「心と体の学習」について今回都教委がなした「厳重注意」による教育内容への介入は、その介入の合理的根拠が示されているとはとうてい言えないものであり、教師の教育の自由、ひいては子どもの学習権を侵害するものとして、憲法26条に違反の疑いが極めて強く、教育基本法10条等に違反する違法なものといわなければならない。

第7 教材等の原状回復の必要性 (略)

第8 結論
 (略)

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