2008/12/30

ビデオカメラが映し出す平壌市民  ]平和
 ▲ ビデオカメラが映し出す平壌市民

 12月の冷たい雨が降る日曜の午後、千石図書館2階のアカデミー千石で開かれたハンクネットの「ほんものの和解を――人道支援と戦後補償、そして日朝国交樹立」という集会に参加した。
 ハンクネットは1999年に食糧難の北朝鮮への人道支援を民間で始めた団体で、2000年4月に第1次粉ミルク360缶を送付し、今年8月第17次粉ミルク支援2560缶を成功させた。

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写真は前田朗さん

 まずハンクネット共同代表・米津篤八さんから現地でのビデオ記録を放映ながら訪朝報告があった。
 8月20日から25日に訪朝した。往路は大連、瀋陽経由で空路平壌を訪れた。粉ミルクは新潟港から船便で発送した。平壌は以前より自動車が増えており、女性警官が交通整理していた。
 21日午前、育児園(日本の孤児院)でエビオス20キロ缶を手渡した。年齢別のクラス編成で、3歳くらいの子どもたちが歓迎してくれた。ハンクネットの粉ミルクは状態の悪い乳児に与えているが4−5か月しかもたないそうだ。その後は豆乳や豆乳ヨーグルトにしているとのことだった。午後訪れた小学校では合奏で歓迎された。日本ではいまは珍しくなったアコーディオンの名手の女の子がいた。ウォンサン(元山)のカンウォン道育児院やテガン共同農場を訪問し、帰りは鉄道に乗り瀋陽、大連経由で帰国した。


 ビデオ映像の飛行機の窓からみえる平壌郊外の水田の緑が鮮やかだった。育児院の子どもたちは元気そうにみえた(2002年に訪朝したときは、もっと健康状態が悪くみえたそうだ)。
 テドンガン(大同江)と思われる川べりを散策する人々の映像があった。北海道の夏のように涼しそうでさわやかな空気のなか水辺でつりをしている人、家族で散歩する人、職場単位で持参した弁当を食べる人など、見たところ平和な光景だった。
 テレビでみる北朝鮮の映像というと、軍事パレードか、おどろおどろしい音楽とともに腹を空かせた子どもが市場をさまようようなものが多い。しかし、ここで見た市民の暮らしはかなり違っていた。
 世界のどこであれ人間が生活しているのだから基本は同じだ。当然の話である。赤ん坊も子どもも老人も、家族もカップルも、同じようにいる。人道的支援は、人間として自然な行動に思える。
 なお屋外では空港から平壌のへの途中などでビデオ撮影禁止の場所はたしかにあったが、基本的にはビデオを回しっぱなしにしても特に規制はなく、国境でもビデオの検閲はとくになかったそうだ。

 続いて前田朗さん(東京造形大学教授・ハンクネット顧問)から「日朝国交樹立に向けて 戦争責任問題の真の解決とは」というテーマで講演があった。
 戦争責任を国際法、とくに国際人権法を参照軸として考えたい。
 今年10月30日、国連の自由権規約委員会は日本政府報告書に関する最終見解を発表した。日本軍性奴隷制問題に関し、日本政府の対応は不十分とし、政府は被害者の尊厳を回復する方法で謝罪すべきとした。これはアジア女性基金の「償い金」では不十分ということを意味する。また政治家やマス・メディアが被害者を貶めたり、事実を否定し続けていることに関心を持ち、こうした試みには制裁を課すべきとしている。
 こうした日本非難は96年の国連人権委員会のクマラスワミ報告、98年のマクドゥーガル報告に始まりここ数年アメリカ、EU,オランダ、カナダで次々に議会決議され今年5月には国連人権理事会の定期審査で勧告を受けた。その集大成が日本政府に厳しい姿勢を示した10月の自由規約委員会の勧告である。
 国際人権法は、国際慣習法とみなされる世界人権宣言(1948年)や2つの国際人権規約(社会権規約と自由権規約)(1966)、人種差別撤廃条約(1965)、拷問等禁止条約(1984)などを含む。
 1976年に発効した自由権規約20条1は「戦争のためのいかなる宣伝も、法律で禁止する」となっており、2項は「差別、敵意又は暴力の扇動となる国民的、人種的又は宗教的憎悪の唱道は、法律で禁止する」という差別唱導の禁止項目である。かつてプロパガンダは戦争につきものだった。しかし人種差別発言は戦争宣伝になる。こういう観点からすれば2000年4月陸上自衛隊記念式典で行われた石原都知事の「三国人発言」は自衛隊員に対する呼びかけなのだから「戦争唱導」しているのと同様で、国際人権法違反の立派な犯罪である。
 日本の戦争責任、とくに植民地責任論について述べる。ポイントは4つある。
 まず植民地化したことについては、1905年の第二次日韓協約および1910年の韓国併合条約が有効かどうかという、ここ10年議論になっている問題がある。
 2番目に植民地化して何をしたかという点ではコリアン・ジェノサイドがある。日本では関東大震災朝鮮人虐殺と呼ばれているがジェノサイド政策と呼ぶほうが国際的に理解されやすい。
 3番目のポイントは植民地化のプロセスで、4番目はその後の歴史的問題である。
 宗主国が植民地を失ったとき、たとえばフランスのアルジェリア喪失では悔しいとか反省の感情が湧きあがった。ところが日本は敗戦と同時だったこともあり喪失感は薄い。多くの国の憲法には「わが国の領土」を明記しているが、日本国憲法には記述がない。天皇の支配が及ぶところが「領土」という解釈なのかもしれない。いまの日本人の多くはポツダム宣言後の収縮した領土を、ずっと以前からそうだったと思い込んでいるかのようだ。しかしそれはごまかしの議論である。

☆2007年3月「表現者はリレーする いま、語り描き写し歌い舞うとき」という集会でドキュメンタリー映画「ディア・ピョンヤン」(ヤン・ヨンヒ監督 2005年)をみた。父は済州島生まれで大阪の朝鮮総連幹部、母は在日2世、3人の兄は1971年に北朝鮮に「帰国」した家族の物語で、おとなになった妹が平壌の兄を訪問する映画だった。たしかに停電もたびたびあり厳しい冬はつらそうだった。しかしそんななかで10代の甥っ子が弾くリストのピアノ曲は感動的に上手だった。冗談も言えば怒ることもある。離婚する人も再婚する人もいる。この映画をみたときにも、北にも普通の人間の暮らしがあると感じた。

『多面体F』(集会報告 / 2008年12月19日)

http://blog.goo.ne.jp/polyhedron-f/


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