2009/6/9

土肥校長『提訴にあたって』全文  Y暴走する都教委
2009年(平成21年)6月4日
提訴にあたって
元東京都立三鷹高等学校長
土肥 信雄

 私は生徒のために全力を挙げて教育活動をしてきたつもりです。その証が、退職時にもらった卒業証書であり、卒業生全クラスからの色紙だと思っています。
 教育の主体は生徒であり、教育の目的は教育基本法にも明記されているように、「生徒の人格の完成を目指し、平和で民主的な国家及び社会の形成者として育成する」ものです。そのため、民主主義を教える教育の現場には言論の自由が絶対に必要なのです。言論の自由の中でこそ、教育の主体である生徒が、より民主的で基本的人権が保障される国家、社会の形成者となるのです。過去の歴史を見れば、言論の自由がない組織は全て非民主的であり、最終的には崩壊している事実は歴然としています。私は都教委の全てを否定しているわけではありません。しかも都教委の通達、通知等には従いながら問題点を指摘したり、校長の裁量権を奪うような指導について意見表明をしてきただけです。それに対する都教委の指導は、指導の域を超え、私の様々な権利を侵害し、最終的には非常勤教員不合格という報復措置で私を抹殺したのです。まさに都教委という巨大な公権力が、都教委から見れば目に入ったホコリぐらいの土肥というちっぽけな人権を侵害したのです。
 憲法は公権力(国家、地方自治体等)による人権侵害を厳しく禁止しています
 この裁判を通じて、巨大な公権力である都教委が、ちっぽけな個人の人権を侵害した場合でも、憲法の理念に反していることを証明したいと思っています。それが将来の生徒の人権保障のため、日本の平和のためだと確信しています。
 具体的には以下の理由で提訴いたします。
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「6月4日記者会見」 《撮影:平田 泉》



(1) 不合格の理由を知りたい
 東京都の非常勤教員の採用は、基本的に60歳退職と65歳年金支給の間を埋める雇用保障の制度であり、私の聞いた範囲では、日の丸・君が代の不起立者以外はほとんどの人が採用されています。(日の丸・君が代以外の被処分者についても軽いものであれば採用されており、平成19年度の合格率も98.66%でした。)私は法令違反をして処分を受けたりしたことはないので、なぜ不合格となったかその理由が知りたいと思います。私はいままで、生徒のための教育活動については全力を挙げてきており、生徒、保護者、教員からも評価されています。教育は生徒のために行うのであり、都教委のために行うのではありません。いままでも生徒のため、東京の教育のためと言い続けてきており、退職後も東京の教育のために全力を尽くしたい気持ちでいっぱいでした。

(2) 私の意見表明に対する人権侵害
 もし都教委に対する意見表明が原因であればそれは納得できません。なぜならば、都教委の出した通達や通知(法令)には従っており、なんら悪いことはやっていないのです。例えば、職員会議における挙手・採決の禁止も三鷹高校では通知どおりやっており、職員の意向を聞く挙手・採決は行っていませんでした。ただこの通知が教員の言論の自由に悪影響を及ぼし、ひいては生徒の言論の自由にも悪影響を及ぼす可能性があり、それは将来の日本のためにならないと思い、撤回を要求しているだけなのです。三鷹高校で挙手・採決をしたために通知違反として処分されたと言うことであれば、まだ納得できます。卒業式も通達どおり、業績評価も要領どおりやっています。しかし都教委は一方で卒業式の個別的職務命令は校長の責任と権限と言いながら、他方で校長に強要していること、業績評価実施要領違反の相対評価を強要していることは間違っていると意見表明しただけなのです。間違った指導をしている都教委を正したことを不合格の理由にされるのは納得できないし、社会的にも許されないと思います。

(3) 公開討論の拒否
 都教委はこの問題について私との公開討論を拒否してきました。したがって、ある意味では私の運動は現在のところ、私的で一方的な運動としか見られていません。私が都教委に公開討論を申し入れたのは、この問題は言論の自由に関わる重要な憲法問題であるからこそ公的な問題としたかったからです。公の場で論争することが私の本意です。そうなれば、当然より多くの国民がこの事実を知ることになり、どちらが正しいかを判断してくれると思います。もし裁判所、国民世論ともに都教委が正しいと判断するならば、私は潔くその判断に従いなんら悔いはありません。それが民主主義だと思っています。都教委が公的な場に出ないで、私を悪者に仕立て上げることは断じて許せないのです。

(4) 他の校長への見せしめによる言論統制
 私の不合格は、明らかに他の校長に対する見せしめです。「土肥」のように都教委を批判すれば、退職後の職はないぞ、と脅しているのです。今回の結果を見て、ますます校長は都教委に対する批判が出来なくなり、都教委の言いなりになる校長ばかりになるのは明らかだと思います。そのことはまさにファシズムそのものであり、絶対に認めるわけにはいきません。特に統括校長、校長、副校長、主幹教諭、主任教諭、教諭と完全なヒエラルキー化の中で、校長が都教委の言いなりになればその結果は明らかに都教委による教育の支配が貫徹するのです。そうならないためにも、今回、裁判で納得できるところまでやろうと思うのです。

(5) 生徒に対する責任
 私は政治経済の教員として、また担任として、そして校長、教頭としても基本的人権の尊重を生徒に教えてきました。その基本的人権の中でも言論の自由は最も大切であり、「自分が思ったことは、それが正しいか正しくないかは別にして、きちっと発言しなさい」と常に生徒に言ってきました。「自分が間違っていれば相手は納得しないし、正しければ相手は納得する。自分が相手の意見に納得できる場合は相手の意見に従えばいい。相手の意見も納得できないが、相手も自分の意見に納得できない場合は、もう一度考え直して相手を納得させるよう意見を考えることが大切だ」。仮にそのように教えている生徒から、卒業してから私の所へ来て、「土肥先生の教えたとおり、自分の思ったことを言ったら社会的に抹殺されたよ。土肥先生の言ったことは社会では通用しない。先生の教えたことが間違いなのだから、責任を取って欲しい」と言われた時、私自身が自分の思ったことを自由に言わず、結局権力の言いなりになって、自己保身をしているとしたら、生徒に対する責任は取れません。したがって、生徒に対する責任を果たすためにも、都教委との公の場(裁判)で意見を戦わすことが必要なのです。


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