2005/6/23

澤藤弁護士の事務局長日記より二題  ]平和
  澤藤統一郎弁護士の日記です。
  

2005年06月21日(火)

板橋高校・刑事弾圧事件公判にて

「日の丸・君が代」・靖国・教科書・戦後補償・教育基本法・イラク派兵・有事法制・日中・日韓・慰安婦報道規制‥。すべてが、通底する問題である。そして、そのすべての集約点として改憲問題がある。

日本は、60年前に痛恨の反省から再生した。再出発の基礎にあった理念は、不再戦の誓いである。侵略戦争による近隣諸国の民衆に対するに加害の反省と、沖縄地上戦・東京大空襲・広島長崎に象徴される被害の悲惨さ。この惨禍を繰り返さないという決意から、日本国憲法が作られた。

なぜ、旧体制は侵略戦争を起こしたか。なぜ、国民はこれを防止できなかったのか。近隣諸国民を差別し、自国民の人権を軽視したから。戦争を抑止する民主主義が未成熟だったから。そもそも国民に主権がなかったから。国民精神を戦争に総動員する装置として、天皇を神とし、神である天皇のために戦えという教育が徹底されたから。メディアが権力の下僕となり、検閲が横行したから‥。

しかし、それだけではなかろう。多くの国民が、このような体制の理不尽に対する抵抗を放棄したから、ではないのだろうか‥。旧体制を支えたものは、実は、国民の権力への協力や迎合、そして抵抗への諦めではなかったか。反戦平和や人間の平等を主張し、他国への侵略に反対した勢力を非国民として非難する大合唱に加わった民衆にも、責任の一半は免れない。天皇や財閥・軍部の戦争責任を曖昧にしてはならないことは当然としても‥、である。

日本国憲法は、このような反省の上に制定された。国民には、自覚的な主権者であることが要請される。「国民の不断の努力」の必要が説かれる所以である。

本日、板橋高校・威力業務妨害被告事件の法廷で考える。この起訴は、お上にまつろわぬ者に対する見せしめである。「従順に、日の丸・君が代強制に従え。従わない者は懲罰を覚悟せよ」という露骨な権力の意思表示なのだ。

都教委と警視庁公安2課と東京地検公安部の醜悪な合作によって練り上げられた「事件」。お上に逆らう「不逞の輩」への刑罰権発動の濫用は、実は、権力の暴走に抵抗を諦めない最も自覚的な主権者に対する言論の封殺である。これこそ、憲法が擁護すべしとする言動に対する弾圧そのものではないか。

権力の意思が、理非曲直にかかわりなく一筋に貫徹する社会。それは、旧体制の愚と恐怖とを再現する社会ではないか。歩一歩、旧体制への退行を許してはならない。この刑事訴訟は、憲法の理念を守る具体的な運動でもあるのだ。

2005年06月18日(土)

小林直樹先生を囲む勉強会

小林直樹と言えば、60年安保当時の代表的文化人であり、オピニオンリーダーであった人。当時、東大法学部教授としては最もリベラルな立場だったろう。私も同氏の「憲法講義」上下2巻を教科書として学んだ。当時としては珍しい横書きで、論理的に明晰な記述が快かった。

本日、その人の矍鑠たる講義に耳を傾けた。84歳であるというお歳が信じがたい3時間に近い熱弁であった。私も将来こうありたい。

聴衆は予防訴訟弁護団と原告ら。予防訴訟の準備書面に目を通していただいての演題は「現代日本の病理とたたかうためにー君が代訴訟に即して、民主主義の建て直しを考える」というもの。骨の太いお話となった。以下に、その概略をご紹介する。

訴訟の意義について
※君が代の強制は、ヤスクニ参拝・教科書問題とともに、戦後日本の「国のかたち」を変えつつある、復古的運動の象徴的事件である。
※その思想的根底は、改憲・教育基本法改訂に通底している。
※したがって、君が代訴訟の意義は、護憲運動と深く同調して、民主主義を回復し育てていくところにある。草の根からの民主主義運動の一端である。

この訴訟の法的眼目について
※教育における多様性の重要性。今日では、自然界における生物相の多様性、社会文化の多様性の必須も強調されている。
※学習指導要領を根拠とする強制は、憲法秩序に対する下克上的な破壊行為であり、法の支配に対する腐蝕行為である。
※偏狭なナショナリズムの権力的強制は、反倫理的行為であり愚行である。

改憲思想の根底にあるものー強制側の思想の貧困
※視野狭窄。独善的であり、普遍性を持たない。地球的・人類史的観点に立て。
※短見性。過去や未来を、長いスパンで見通す視点に欠ける。
※権威主義的愚民観。強者に卑屈、弱者に傲慢。
※形式主義。ホンネとタテマエを使い分け。
※したがって、強制政策は、旧体制への退行をもたらし、主体性に欠けた面従腹背の国民を輩出する。独善的な管理・統制社会に転落する。

暗い袋小路からの脱路をどう切り拓くか
※困難ではあるが、護憲運動とリンクして、国民に訴え続けること。

お話を聞いて考える。どうして、戦後民主主義が、馬鹿馬鹿しいほどに低レベルの復古的運動に押されつつあるのだろうか。戦後民主主義を支えた労働運動・進歩的文化人・良心的ジャーナリズム・社会主義政党は、どうして元気を失ったのだろう。いま改憲派・「日の丸・君が代」強制勢力が狙っているものは、戦前の天皇制への復古なのだろうか。コントロールされた軍事力の有効性を肯定する立場は、戦前回帰なのか、それとも新しいものなのか。そもそも、憲法は外から与えられたものとして真に国民に根付いたことはなかったということなのだろうか。どうすれば、この憲法を国民が自らのものとなし得るのであろうか‥。

小林先生に手際よく全体像をまとめていただいて、さらに疑問のふくらんだ、意義の深い3時間であった。


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