2011/5/31

「君が代」不起立最高裁判決  X日の丸・君が代関連ニュース
 ▲ 「君が代」不起立最高裁判決

<転送歓迎>(重複ご容赦)
・「都教委包囲首都圏ネットワーク」・「千葉高教組」・「新芽ML」の渡部です。

 本日(5月30日)午後、最高裁第二小法廷(裁判官4人:裁判長は須藤正彦)で、南葛飾定時制卒業式不起立裁判(原告:申谷さん)の判決があり、上告「棄却」でした。
 <理由>の中心的な部分は以下のとおりです。少し長いですが、ゆっくり読んでみて下さい。

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 「職務命令は、公立学校の教諭である上告人に対して当該学校の卒業式という式典における慣例上の儀礼的な所作として国歌斉唱の際の起立斉唱行為を求めることを内容とするものであって、高等学校教育の目的や卒業式等の儀式的行為の意義、在り方等を定めた関係法令等の諸規定の趣旨に沿い、かつ、地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性を踏まえた上で、生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものであるということができる。


 以上の諸事情を踏まえると、本件職務命令については、前記(*)のように外部的行動の制限を介して上告人の思想及び良心の自由についての間接的な制約となる面はあるものの、職務命令の目的及び内容並びに上記の制限を介して生ずる制約の態様等を総合的に較量すれば、上記の制約を許容し得る程度の必要性及び合理性が認められるものというべきである。
 以上の諸点に鑑みると、本件職務命令は、上告人の思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえないと解するのが相当である。」

(*) 本件職務命令は、一般的、客観的な見地からは、式典における慣例上の儀礼的な所作とされる行為を求めるもの。
 それが結果として上記の要素との関係においてその歴史観、ないし世界観に由来する行動との相違を生じさせることになるという点で、その限りで上告人の思想及び良心の自由について間接的な制約となる面があるものということができる。

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 要するに、<職務命令>は、「間接的な制約となる面がある」かもしれないが、
  ・「関係法令等の諸規定の趣旨」
  ・「地方公務員の地位の性質及びその職務の公共性」
 を踏まえた上で、
  ・「生徒等への配慮を含め、教育上の行事にふさわしい秩序の確保とともに当該式典の円滑な進行を図るものである」
 から、
  「思想及び良心の自由を侵すものとして憲法19条に違反するとはいえない」
 と言っているのである。

 さらにこの判決は四人の裁判官が一致したと述べながら、3人の裁判官の「補足意見」がついている。
 しかし、それらのほとんどはいずれもこの判決を補足するような内容である。

 例えば、竹内行史裁判官の意見には次のような部分がある。

「1、国旗及び国歌に対する敬意に関すること一般に、卒業式、国際スポーツ競技の開会式などの種々の行事や式典において国旗が掲揚されたり、国歌が演奏されたりするが、そのような際に、一般の人々の対応としては、通常、慣例上の儀礼的な所作としてごく自然に国旗や国歌に対する敬意の表明を示しているものと考えられる。そして、国際社会においては、他国の国旗、国歌に対する敬意の表明は国際常識、国際マナーとされ、これに反するような行動は国際礼譲の上で好ましくないこととされている。

2、上告人は教員であり、学校行事を含めて生徒を指導する義務を負う立場にあるという点が重要である。国旗、国歌に対する敬意や儀礼を生徒に指導する機会として種々あるであろうが、卒業式や入学式などの学校行事は重要な機会である。そのような学校行事において、教員が起立斉唱行為を拒否する行動をとることは、国旗、国歌に対する敬意や儀礼について指導し、生徒の模範となるべき教員としての職務に抵触するものと言わざるを得ないであろう。本件職務命令による上告人に係る制約の必要性、合理性を較量するに当たっては、このような観点も一つの事情として考慮される必要がある。」


 つまり、
 国旗、国歌に対し不起立するような人間は国際社会からもつまはじきされると言い、まして教員については、「国旗、国歌に対する敬意や儀礼について指導し、生徒の模範となるべき教員は職務に抵触するものと言わざるを得ない」(つまり教員としての資格がない)とまで言っているのである。

 これは大阪の橋下知事が言っていることと同じである。

 しかし、このような考え方は、この間「原発事故」で明らかになった、原発に賛成しないものは<村八分になった>と同じであり、
 戦前の例で言えば、国策に反対するものは<非国民になった>と同じである。
 批判も抗議も許さない。
 それどころか、「諸法令等」と言って裁判所まで一緒になってそういう人間を弾圧する。

 これは実質的なファシズム社会の到来である。

 しかし、「天皇主権の歌」「天皇制賛美の歌」を憲法で「国民主権」が規定されている現在の日本社会で国民に儀礼的に強制し、処分するなどというこれほど<本末転倒>、<非常識>なことがあっていいのだろうか。
 いくら「諸法令」を並べようと、こんな道理は小学生でもわかる。

 もし現在の日本社会で「常識」というなら、それは、「国民主権」であり、「思想・良心の自由」であろう。

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