2012/11/21
大阪:石が叫ぶ「君が代不起立ひろげよう!」12・1集会 X日の丸・君が代関連ニュース
(転送歓迎です)
◇ 石が叫ぶ「君が代不起立ひろげよう!」12・1集会
(「奥野さんを支える叫ぶ石の会」「支援学校の君が代不起立応援団」結成報告会)
日時 2012年12月1日(土) 午後1時半〜4時半(開場1時15分)
場所 PLP会館(大阪市北区天神橋3‐9‐27) 5階大会議室
(地下鉄・堺筋線 扇町駅4番出口より徒歩3分)
ゲスト 根津公子 さん(講演「不起立から得たもの、見えてきたもの」)
*「君が代」被処分者からのアピール
*代理人弁護士より人事委員会への不服申立てについて
*質疑応答、交流や人々からの発言の時間もとる予定です。
*資料代500円
*支援会員(団員)受付
主催: 「奥野さんを支える叫ぶ石の会」 「支援学校の君が代不起立応援団」
「石が叫ぶ」の意味: 聖書の記述から借りました。
イエスのエルサレム入城の場面。イエスを喜んで大きな声を出す弟子や群衆を見て、権力者がイエスに「先生、お弟子たちを叱って黙らせてください」と言います。それに対しイエスはこう答えます。『あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう』(ルカ伝 19:40 より)
○ 昭和天皇が亡くなり「大嘗祭反対デモ」に参加した時、改めて、自分がまやかしの民主主義の国に生きていると感じました。あれから、世界では数々の戦争(紛争)、国内では国旗国歌法、教育基本法改悪、評価・育成システム、大阪の悪条例・・・と、教育が不自由になってきています。
私は教員になってから、ずっと「君が代斉唱」に従っていませんが、今年の3月は、静かに座っていただけで「戒告処分」を受けました。理由は、職務命令違反で非行だそうです。5月に、人事委員会に処分撤回を求め提訴しました。
チェ・ゲバラの次のことばが好きです
「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者と言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ!”と」
帝国憲法下、日本の信仰者は分かれました。天皇崇拝を偶像崇拝としてあくまで拒否する者と自分の信仰と天皇崇拝は別の事として権力に屈した者と。
私は生徒の前で言ってきたことを曲げたくないし、キリスト者として持つ希望を捨てたくない。空気を読んで「現実的な判断をすること」では世界は救えない。常識では出来もしないはずの空想から出発したことが希望をつくりだす。
希望が世界を変える。教師として理想を持たず、今の自分の行動がどんな未来を生むか想像(空想)できないなら、本来の教育からほど遠い道を歩むことになると思う。「私は空想家だ。救い難い理想家だ。」と自己紹介出来たらいいなと思います。
○ 私が教員になったころ、日本教職員組合は「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げておりました。それは言うまでもなく、戦前、教師たちが「お国(天皇)のために命をささげることが最も尊いことだ」と教え、多くの若者を戦場に送り込んだことへの痛苦の反省から出たものです。
当時の私は、この言葉に深く感銘したものです。そして、私自身が戦前の先輩教師たちと同じ轍を踏まないような生き方をしたい、将来の若者たちから「なんであの時、ちゃんと反対できなかったのか」と問い詰められないような生き方をしたい、従って「戦争につながる一切のもの」を拒否する、手を貸さない、というようなことを未熟ながら心に誓ったことを覚えています。
「君が代」は天皇を讃美する歌です。そんな歌をなぜ、学校で歌わなければならないのか。「お国(天皇)のために命をささげることが最も尊いことだよ」と、子どもたちに教え込むための布石だと私には思えます。そんなことに手を貸さないために私にできること、それが「すわる」こと、「うたわない」こと、それしか思い浮かびませんでした。
しかし、たったそれだけのことで、府教委は懲戒処分をしてきました。なんで・・・?
今、憲法を変え、戦争ができる国に日本を変えようとしている「勇ましい」人たちがたくさんいます。そんな中ですが、「教え子を戦場に送らない」ために何ができるか、多くの人と一緒に考えていきたいと思います。
◇ 石が叫ぶ「君が代不起立ひろげよう!」12・1集会
(「奥野さんを支える叫ぶ石の会」「支援学校の君が代不起立応援団」結成報告会)
日時 2012年12月1日(土) 午後1時半〜4時半(開場1時15分)
場所 PLP会館(大阪市北区天神橋3‐9‐27) 5階大会議室
(地下鉄・堺筋線 扇町駅4番出口より徒歩3分)
ゲスト 根津公子 さん(講演「不起立から得たもの、見えてきたもの」)
*「君が代」被処分者からのアピール
*代理人弁護士より人事委員会への不服申立てについて
*質疑応答、交流や人々からの発言の時間もとる予定です。
*資料代500円
*支援会員(団員)受付
主催: 「奥野さんを支える叫ぶ石の会」 「支援学校の君が代不起立応援団」
「石が叫ぶ」の意味: 聖書の記述から借りました。
イエスのエルサレム入城の場面。イエスを喜んで大きな声を出す弟子や群衆を見て、権力者がイエスに「先生、お弟子たちを叱って黙らせてください」と言います。それに対しイエスはこう答えます。『あなたがたに言うが、もしこの人たちが黙れば、石が叫ぶであろう』(ルカ伝 19:40 より)
○ 昭和天皇が亡くなり「大嘗祭反対デモ」に参加した時、改めて、自分がまやかしの民主主義の国に生きていると感じました。あれから、世界では数々の戦争(紛争)、国内では国旗国歌法、教育基本法改悪、評価・育成システム、大阪の悪条例・・・と、教育が不自由になってきています。
私は教員になってから、ずっと「君が代斉唱」に従っていませんが、今年の3月は、静かに座っていただけで「戒告処分」を受けました。理由は、職務命令違反で非行だそうです。5月に、人事委員会に処分撤回を求め提訴しました。
チェ・ゲバラの次のことばが好きです
「もし我々が空想家のようだと言われるならば、救い難い理想主義者と言われるならば、出来もしないことを考えていると言われるならば、何千回でも答えよう、“その通りだ!”と」
帝国憲法下、日本の信仰者は分かれました。天皇崇拝を偶像崇拝としてあくまで拒否する者と自分の信仰と天皇崇拝は別の事として権力に屈した者と。
私は生徒の前で言ってきたことを曲げたくないし、キリスト者として持つ希望を捨てたくない。空気を読んで「現実的な判断をすること」では世界は救えない。常識では出来もしないはずの空想から出発したことが希望をつくりだす。
希望が世界を変える。教師として理想を持たず、今の自分の行動がどんな未来を生むか想像(空想)できないなら、本来の教育からほど遠い道を歩むことになると思う。「私は空想家だ。救い難い理想家だ。」と自己紹介出来たらいいなと思います。
奥野泰孝
○ 私が教員になったころ、日本教職員組合は「教え子を再び戦場に送るな」というスローガンを掲げておりました。それは言うまでもなく、戦前、教師たちが「お国(天皇)のために命をささげることが最も尊いことだ」と教え、多くの若者を戦場に送り込んだことへの痛苦の反省から出たものです。
当時の私は、この言葉に深く感銘したものです。そして、私自身が戦前の先輩教師たちと同じ轍を踏まないような生き方をしたい、将来の若者たちから「なんであの時、ちゃんと反対できなかったのか」と問い詰められないような生き方をしたい、従って「戦争につながる一切のもの」を拒否する、手を貸さない、というようなことを未熟ながら心に誓ったことを覚えています。
「君が代」は天皇を讃美する歌です。そんな歌をなぜ、学校で歌わなければならないのか。「お国(天皇)のために命をささげることが最も尊いことだよ」と、子どもたちに教え込むための布石だと私には思えます。そんなことに手を貸さないために私にできること、それが「すわる」こと、「うたわない」こと、それしか思い浮かびませんでした。
しかし、たったそれだけのことで、府教委は懲戒処分をしてきました。なんで・・・?
今、憲法を変え、戦争ができる国に日本を変えようとしている「勇ましい」人たちがたくさんいます。そんな中ですが、「教え子を戦場に送らない」ために何ができるか、多くの人と一緒に考えていきたいと思います。
山口 広






