2013/6/7

美談にはほど遠い佐久間艇長『沈勇』の真実  ]平和
  《澤藤統一郎の憲法日記》から
 ◆ 軍国美談の真実と自衛隊


 美談には、宿命的に胡散臭さがつきまとう。軍国美談となればなおさらのこと。
 かつての国定教科書「修身」数々の軍国美談で満ちているが、そのほとんどは荒唐無稽、現代に通用するものはごく少ない。その中で、佐久間勉艇長の第六潜水艇沈没事件は、例外の最たるもの。今にしてなお、「責任感」や、「勇気」「沈着」「集団の統率」などという徳目を語るにたりる内容をもっている。そう思っていた。昨年まで。
 昨年ある会合で、この分野の専門家である藤田昌士さんと同席する機会があってこの事件が話題になった。そのとき、「実はあの潜水艇事故は艇長の初歩的なミスから生じたものであり、しかも、上官からの指示に違反しての航行だった」「海軍は、直後に徹底した事故調査をしており、その分析は厳格で軍国美談とは異質のもの」「最近の防衛庁の紀要に優れた研究論文がある」と教えられた。


 本日、読みたいと思っていたその論文を読む機会を得た。なんと、インターネットで容易に手に入るのだ。山本政雄氏(2等海佐、戦史部第1戦史研究室所員)の「第六潜水艇沈没事故と海軍の対応ー日露戦争後の海軍拡張を巡る状況に関する一考察」というもの。これを読んで、驚きもし、感心もし、考えさせられた。

 戦前の小学校六年生用「修身」の教科書に「沈勇」という標題で掲載されていた内容は以下のとおり。
 「明治四十三年四月十五日、第六潜水艇は潜航の演習をするために山口県新湊沖に出ました。午前十時、演習を始めると、間もなく艇に故障が出来て海水が侵入し、それがため艇はたちまち海底に沈みました。この時艇長佐久間勉は少しも騒がず、部下に命じて応急の手段を取らせ、出来るかぎり力を尽しましたが、艇はどうしても浮揚りません。その上悪ガスがこもって、呼吸が困難になり、どうすることも出来ないようになったので、艇長はもうこれまでと最後の決心をしました。そこで、海面から水をとほして司令塔の小さな覗孔にはいって来るかすかな光をたよりに、鉛筆で手帳に遺書を書きつけました。
 遺書には、第一に艇を沈め部下を死なせた罪を謝し、乗員一同死ぬまでよく職務を守ったことを述べ、又この異変のために潜水艇の発達の勢を挫くような事があってはならぬと、特に沈没の原因や沈んでからの様子をくわしく記してあります。次に部下の遺族が困らぬようにして下さいと願い、上官・先輩・恩師の名を書連ねて告別の意を表し、最後に十二時四十分と書いてあります。
 艇の引揚げられた時には、艇長飫以下十四人の乗員が最後まで各受持の仕事につとめた様子がまだありありと見えていました。遺書はその時艇長の上衣の中から出たのです。
 格言  人事ヲ尽クシテ天命ヲ待ツ。」

 最後の格言は取って付けたようで拙劣だが、ここで伝えられている事実は感動的ではある。アメリカもイギリスも、軍人の鑑として賞賛を惜しまなかったという。漱石のような近代人をすら感動させたという逸話がある。

その遺書は手帳39頁にわたるもの(原文はカタカナ)で、以下は抜粋。
  小官の不注意により
  陛下の艇を沈め
  部下を殺す、
  誠に申し訳なし、

 されど艇員一同、
  死に至るまで
  皆よくその職を守り
  沈着に事をしょせり

 我れ等は国家のため
  職に倒れ死といえども
  ただただ遺憾とする所は
  天下の士は
  これの誤りもって
  将来潜水艇の発展に
  打撃をあたうるに至らざるやを
  憂うるにあり、

 願わくば諸君益々勉励もって
  この誤解なく
  将来潜水艇の発展研究に
  全力を尽くされん事を

  さすれば
  我ら等一つも
  遺憾とするところなし、

 謹んで陛下に申す、
  我が部下の遺族をして
  窮するもの無からしめ給わらん事を、
  我が念頭に懸かるものこれあるのみ、

 もちろん、マスコミが大いにもてはやした。大々的に公葬が行われ、天皇からの下賜金や贈位も行われた。

 ところが、山本政雄氏の筆の冷静、沈着なることに驚いた。
 当時の軍国主義的風潮を肯定するところが微塵もない。艇長に共感を寄せるところすらまったくない。
 科学者が対象を見つめる、そのような姿勢に徹している。

 山本氏が共感を寄せていると思われる、加藤友三郎(呉鎮守府長官、後の首相)の以下の文章が引用されている。呉の神社の顕彰碑に遺言を刻することに賛成しがたいとする内容である。

 「該遺書ガ一面世間より非常ナル同情ヲ得タルノ一大源因タリシハ申迄モ無之、眼前死ノ迫リツツアル如此場合ニ於テ該遺書ヲ認メタル艇長ノ慎重ナル態度ニハ何人モ異議可無之候得共、一面ニ於テハ遺書ヲ認ムル丈ケノ余裕アラハ先ツ艇ヲ浮揚クルノ手段ニ於テ尚ホ尽スヘキ事ハアラサリシカ、又該遺書ニあまり同情ヲ表スル時ハ将来如此場合ニハ先ツ以テ遺書ヲ認メ、然ル后ニ本務ニ取懸ルト云フガ如キ心得違ノ者ヲ生スルノ恐レハナキヤ(中略)永久的石碑ニハ何等アタリサハリナキ文句ヲ彫シ置ク方隠當ナランカト存候」(原文のママ)

 なんという徹底した合理主義であろうか。「遺言を書くヒマがあったら、最後まで脱出の努力をしろ」というのだ。「これを持ち上げては、ヒロイズムから真似をする者が出ることも困る」ともいうのだ。

 事故の原因調査の査問委員会の経過も厳密に科学的に行われている。これには感心させられた。事故調査は佐久間艇長の人物像を偶像化することをしない。
 その調査結果は、事故の原因において、佐久間艇長の責任は大きいとする。旧海軍には、このような合理主義的伝統があったのだろう。山本政雄氏は、言外に自分もその潮流にあると言いたげである。

 そして、読後に考えさせられた。この修身の軍国美談における精神主義と、査問における合理主義との落差についてである。
 軍事は、科学であり技術であるからには、精神主義では勝てない。しかし、精神主義の鼓舞までを計算に入れての旧海軍の軍国美談作りだったのだろうか。
 そして、今、自衛隊は山本氏のような合理主義派が主流に位置しているのだろうか。あるいは、精神主義派が圧倒しているのだろうか

 佐久間の遺書は、天皇への詫びであり、天皇への要望である。天皇への忠誠という徳目作りが、軍の統率という点で有効であったことが十分に窺える。旧軍の合理主義は、天皇というシンボルを操作をすることの効果を計算して、軍と国民の精神的な統合をはかっていたと言えるだろう。

 では、いま、自衛隊の合理主義は、軍と国民の精神的統合を何に求めているのだろうか。自民党改憲草案のごとくに、再び「天皇を戴く国家」を目指すものではあるまい。今さら、天皇がそのようなシンボルとして有効性を持つとは考えがたい。では、代わって何を。国民・民族・民主々義・自由…。どれも、軍事的な意味での国民統合のシンボルたりうるとは到底考えがたい。日の丸・旭日旗・君が代、しかり。
 本来、彼らが忠誠を誓うべきは日本国憲法であるが、さて‥。

 最も合理主義的な思考は、軍事的な意味での統合のシンボルを不要とする結論に導く。むしろ、積極的に拒絶すべきであろう。それこそが、専守防衛に徹した自衛組織にふさわしいあり方ではないか。理念やイデオロギーを持った軍事組織としてではなく、純粋に合理主義的技術主義的な自衛組織に徹してこそ初めて国民の信頼を得る地歩を獲得することができよう。その意味で、自衛隊に美談は一切無用である。

『澤藤統一郎の憲法日記』(2013年6月4日)
http://article9.jp/wordpress/?p=473


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