2006/4/12

教養講座?その2  U藤田掲示板のログ
石原慎太郎をワラウ

日本は民主主義の国か 投稿者:ファシスト慎太郎をワラウ 投稿日: 3月27日(月)20時18分0秒  
 アメリカ合衆国最高裁判所ホームズ判事「憲法で一番守らなければならない原理は、思想の自由――わたくしたちと一致する人たちの思想の自由ではなく、わたくしたちが憎む思想の自由である」は述べました。
 民主主義国家であることは、何よりも言論表現の自由が重視されなくてはなりません。朝鮮人民民主主義国[北朝鮮]は、「拉致事件」をはじめとしていろいろな点で、専制国家?としての歪みがいたるところに見られます。
 その中で、言論統制が、表現の自由が、制限されているところに、問題が見られます。金正日の権威に対して批判する自由、ましてや反対する自由は、そこにはない。言論の自由は、表現の自由は、徹底的に金正日氏の支配の下にあるといってもよい。金正日氏の気に入る意見だけが発表されているといえます。

 かかるあり方を批判することは大切です。しかし、日本は、はたしてホームズ判事が述べた表現の自由。即ち民主主義の根幹にかかわるような「表現の自由」の問題について、はたしで自由といえるかどうかということです。
 憲法の規定がどんなに立派にできていても、表現の自由の価値を守るために、不断の努力を怠るとき、憲法は「絵に描いたもち」にしか過ぎません。
中国の古典に「「他山の石、以て玉を攻(みが)くべし」よその山からでた粗悪な石でも、自分の宝石を磨くのに役には立つというような意味です。
 是非とも、金正日氏の批判をするとき、自分たちの国のあり方はそういうことがないか見つめ直すことも必要ではないでしょうか。形の上だけは表現の自由は認められています。しかし、実質的には、多くのタブーがあるのではないでしょうか。
 「日の丸」「君が代」の強制に反対した教師が理不尽な形で処分を受け学校から排斥されている。また、藤田氏が懲役刑が求刑されました。慎太郎よ あなたは金正日とどこが違うか。某高校では指導主事が遅刻したが故に卒業式が遅れたとも聞いています。
政府や権力者の憎む思想の自由は、表現の自由として許されているのでしょうか。

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平和教育に力を 投稿者:ファシスト慎太郎をワラウ 投稿日: 3月30日(木)19時23分53秒
 明治以降、「日本の近代化」は、「戦争」を抜きにして考えることはできません。
「戦争」は何であったのでしょう。近隣の国々の人々を殺し及び日本国民の多数を殺した。しかし、先の戦争「太平洋戦争」は、自分と関係ないと嘯き、「平和と繁栄」を謳歌し、何一つ反省しない人もいます。
 日本軍が先の戦争において中国大陸、東南アジア諸国、人々に対して行った数々の残虐行為をどう考えたらよいでしょう。
 「731部隊」「南京事件」「『従軍慰安婦』問題」「沖縄・集団自決」これらの問題に対する「教科書問題」どれ一つとっても「戦後」は終わっていない。
「沖縄・チビチリガマの“集団自決”」下嶋哲郎著(「岩波ブックレット」)の中に、「遺族の人たち」は「黙っていたら犬死になる。見て二度と再び戦争はしない。平和を守るのだと考えてもらえたとき、犬死ではなくなる」と証言されている。「生きている者」の責任は「遺族の人たち」のメッセージは胸に大きくのしかかっています。
 「過去は現在の光に照らして初めて私たちは理解できるものでありますし、過去の光に照らして初めて私たちは現在をよく理解する事ができるものであります。人間に過去の社会を理解させ、現在の社会に対する人間の支配を増大させるのは、こうした歴史の二重機能にほかなりません。」(E・H・カー「歴史とは何か」岩波新書)
 現在の私たちのあり方と過去は無縁ではありません。過去は過去で完結していません。異形の死を強いられた「沖縄」の人たち。戦争により、多数の人たちが非命に斃れていった。その人たちの無念の思いが、私たちの心を揺さぶり、もう一歩もう一歩と私たちを歩ませます。
 「戦艦武蔵の最期」(「朝日選書」)の著者渡邊清は、「非命に斃れた死者との対話を忘れたところから日本の戦後は始まった」と。戦後の日本のあり方を悲しく無念の思いで語っています。
 死者との対話、その対話が死者を生かしめる。われわれも生かしめられる相互の営みのあることを忘れてはなりません。
 チャップリンは映画「独裁者」の中で「貪欲が人々の心を蝕み、世界は憎悪の壁で隔てられ、…私たちに貧困と流血をもたらした。」「今こそ、地球上に存在するさまざまな民族の障壁を取り除き、貪欲や憎悪や不寛容をなくするために、自由な世界のために闘おう」と述べています。「日の丸」「君が代」を教員に強制する教育は何を目的としているのでしょう。恐怖を感じます。「人を殺す」こと「死ぬ」ことばかり教えた戦前の教育が理想と考えているのでしょうか。また戦陣訓「生きて虜囚の辱めを受けず」この言葉が、どれほど多くの国民に犠牲を強いたことでしょう。「かけがえのない命」が鴻毛より軽く扱った教育を今再びと考える現実を恐れます。  

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ドイツと日本について調べた簡単な報告。 投稿者:ファシスト慎太郎をワラウ 投稿日: 4月 2日(日)13時39分36秒
  ドイツと日本について調べた簡単な報告。
 ドイツでは、 日本と違い 戦前・戦中のナチス党員と一般のドイツ人を区別することが比較的容易だったため、 戦争責任をナチスに押し付けてきたという面は否定できません。 もちろん。 ナチスの台頭を許したドイツ国民の消極的な態度についても反省し、 周辺諸国との和解に努めて来たことは事実で、 それなりの評価を受けてきました 。
ところが、 5年ほど前に一般のドイツ市民もナチスに負けず劣らず積極的に侵略戦争遂行に加担したのだという趣旨の厳しい自己反省を迫る書物が出版されて、 ドイツにおける戦争責任論は新しい局面に入っています 。
ドイツにも日本の「靖国礼賛者」「戦争責任忘却族」「自虐論者」顔負けの新ナチス集団がいますが 、圧倒的少数派だというところが日本との大きな違いかも知れません。
 日本と違い 一度ならず二度までも世界大戦に敗れて民族的悲哀を骨の髄まで味わったドイツ国民の平和志向に揺るぎはないと思います 。ただ NATO軍の一員として限定的な軍事行動にも参加していますので、 日本の憲法九条擁護の立場からは問題もあり 掛け値なしに賞賛することはできません 。しかし、ドイツにおける良心的兵役拒否者が年間15万人にも達しているという事実は 若者の間では むしろ日本の憲法九条に示された非武装非戦主義が浸透していることを示唆しているように思います 
 
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真の生きがいを見失い、未来への希望をなくした大人たち。 投稿者:ファシスト慎太郎をワラウ 投稿日: 4月 3日(月)07時54分34秒
 真の生きがいを見失い、未来への希望をなくし、そして人と社会に対する不信、その隙間を埋めているのが、物質的幸福と多忙、大人の姿である。
 バーナード・ショウは「最大の敵と最悪の犯罪は貧困である。」と述べているが、飽食の国に住む私たちは、今や子供たちも糖尿病に蝕まれているという。
 一方途上国の子供たちは、骨と皮ばかりにやせ細り、腹だけ異様に膨らんだ姿をテレビは映し出している。世界の5人に一人が、一日当たり一ドル以下で生活しているという。人間の尊厳、正義はどこにあるのだろうか。とりもなおさず私たち自身の生き方を問い直すことが必要であろう。飽食の時代に生きる高校生は、現実をどうとらえ、生きようとしているのか。彼ら若者は大変虚無的である。
 消費社会は、ものを買うことが豊かさだと教え、学歴社会は受験に成功する子どもが優れている子どもだとささやき、産業社会は出世し儲ける人間が勝者という。そうした価値観に「学校」も「家庭」も抵抗できる力を失っている。
 「競争主義」「物質中心主義」「自己中心主義」の今の世の中にやりきれない思いを抱いているのが今の高校生である。その競争主義の中で彼が逮捕される前のホリエモンは英雄であった。
 ある有名進学校での男子高校生の作文である。「・・・ライブドア社長の堀江貴文氏である。とあるテレビ番組で見たのだが、小学校の卒業文集で堀江氏は死について書いていた。『どうせ死ぬんだから…』といった内容であった。・・・現役東大合格を成し遂げたかと思えば数年後中退し、今では野球チームを買おうとしたり、テレビ局を買収しようとしたり、選挙にまで出馬した。高校時代に彼は中世後期の無常観を持ったのだと私は思う。つまり、すべては幻なのだから人生やりたいことは何でもやろうとする考えだ。
・・・私は、堀江氏の生き方はとても良い生き方であり、このような生き方をしたいと思う。」と。
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二度と戦争しない 投稿者:ファシスト慎太郎をワラウ 投稿日: 4月 3日(月)18時02分20秒
 二度と戦争しない、という首相の言葉の下に、靖国神社に公式参拝を繰り返す小泉の言葉を、国民が、世界の人々が信頼するでしょうか。政治家の言葉に信頼性を失ってから久しい。信頼性の醸成が何より必要です。小泉は戦争を美化している靖国参拝を続け、政治家としての信頼を根本から崩したのです。中国からの批判に対して「一国民の精神の自由、心の問題であり、日本の言論人、知識人、外国政府が批判するのは理解できない」と小泉は語ります。
 国民の心の自由や、心の問題を権力の力で踏み潰している人が、語るのだからあきれます。小泉といい、石原慎太郎といい、実に他者に対する思いやりの心が全く欠如した,自己中心主義の傲慢な人間は、政治家として最低ではないでしょうか。マスコミはおべんちゃらしか言えないようです。森正蔵によると「満州事変以来、新聞記者の活動が窮屈になって、つひには発表ものだけで新聞を造ると云ふ程度に押し込まれて来た。記者はそこで特に勉強しなくてもやってゆけることいふことになり、殊に取材の苦心、記事の書きこなしなどといふことは知らなくなってゐる。若い記者の養成が当面の大きな問題となって現れてきたのである。」(『あるジャーナリストの敗戦日記』<敗戦、混乱、そして復興へ、毎日新聞社会部長昭和二十年から昭和二十一年の日々をつづった貴重な日記>ゆまに書房P36)
 朝日新聞は、石原慎太郎のページがあるのはなぜでしょう。石原ページの反対側には押しつぶされている人の意見を吸い上げて同程度に扱うべきではないでしょうか。不偏不党の新聞ということをおっしゃるなら。
 やはり戦争前と同じように、大本営発表をそのまま書いていませんでしょうか。記者クラブの存在は、官公庁が操作する記事を鵜呑みにして発表しているだけで、大新聞の記事はどこも同じです。
 権力の側に立った報道しか許されていません。ホリエモンの記事も、すべて検察庁発表による操作された記事であって、新聞記者が真実を発掘するために、石にかじりついても努力して真実を書こうとしている記事とは思えません。記事に血と涙の跡がないのです。それどころか最近の朝日新聞はどこに記事があるかと探さなければならないほど広告のページに満たされています。記事が薄っぺらになり、スポーツ紙と全く変わらなくなりました。

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