2015/6/23
♪ へは平和のへ 替え歌は現代の落書き ]U格差社会
(労働情報)現代ユニオニスト列伝15 〜素顔の“主役”たち〜
◆ ジョニーHさん (社会音楽家)
集会・デモあれば参上し、元気いっぱいの替え歌で為政者・偽善者を笑い飛ばし、参加者を元気づける風刺の達人。ジョニーHさんの本名や職業、そのパワーの秘密が初めて明らかに(笑)。でも桑田佳祐と同級生だったとは……。
■ 弱者が強者を笑い倒す
官邸前の再稼働反対行動にも、秘密保護法反対の国会包囲ヒューマンチェーンにも、派遣法の集会にも、築地市場移転反対パレードにも、出没する。ギターをかついだ帽子姿は運動界隈のみなさんにもお馴染みではないだろうか。
“活動家系流し”“替え歌大王”などと呼ばれるジョニーHさんこと疋田哲也さんは、集会やデモあれば、ジョニーさんあり、というほど様々な現場にかけつけ、得意の替え歌で参加者を元気にする。自作や替え歌も含め、持ち歌の数は1千曲を超える。
新入生勧誘のイベントでは「Better Days」のサークルに参加していた桑田と席を隣にしながら、理工学部のジョニーさん属するAmuse(Aoyama Music Unity of Science)へも「人が来ないね」とお互い慰め合っていた間柄だった。
「本当のホウキを持って『歌は心だよね』とダミ声で歌っていた」桑田はコンペで優勝したが、ジョニーさん率いるバンドは残念ながら同じコンペでの予選落ち。
「あいつ、そんなに歌はうまくなかった」と桑田のことを思い出すジョニーさんも、ときにちょっと愛嬌たっぷりにキーをはずす。
音楽が好きで、70年代からロックンロールのバンド「Sway」を組み、高円寺のジロキチなどでライブ活動をした。
「ローリングストーンズのコピーバンドでサックスのアーニー・ワッツを探しているというので、“適当に吹いたら”『いいね』って即採用』」とジョニーさんは笑いながら話す。サックスだって「管楽器やるなら20代までだ」という言葉を信じて、あわてて試演してみたわけだ。
サックスを吹いていたその風貌や雰囲気がジョニー大倉をかもし出していたのか、客席から「ジョニー!」と叫ぶ声。その頃からジョニーHという名を名乗るようになった。
■ 教師との二足のワラジ、パワーに未来が
演奏できる楽器は、ギターだけでなく、サックス、バンジョー、ハーモニカなど多様。
さぞかし本業もミユージシャンなんだろう、と思う人は少なくないし、そうであっても納得もできるだろう。
でもジョニーさん、実は高校の理科の先生なのである。
1980年に中学校の理科教員として初採用されて以来、「ヒッキー」「ポッキー」などの愛称で生徒から慕われた。
その頃はちょうど中学・高校での学級崩壊が問題になり、暴力事件などにも発展したというニュースが頻繁に話題に上った。テレビでは、武田鉄矢演じる「金八先生」が高視聴率をあげ、だれもが子どものことを思う熱血先生になりたがった。
そんな時代に教員になったジョニーさんの学校にも、バイクが学校に突っ込んできたり廊下を走ったりなどの光景は珍しくなかった。学外で音楽活動をしていたジョニーさんのことを聞きつけ、生徒からバンドを組んで音楽をやりたいという希望があがってきた。
「K・ON部」を作って顧問におさまり、図書室や学校の屋上、体育館などでライブを次々と展開。社会からちょつと煙たがられるようなツッパリ男子や女子が熱中するようになって部員は90人を越した。保護者や学校関係者900人以上の前で文化祭の目玉としてライブを開催するようになるほどK・ON部は盛況だった。
異動した先の第二校目では、地元の町おこしイベントで音楽祭も企画した。
ところが2004年、ジョニーさんは分限免職にあう。理由は、本来分限免職処分に値しない体罰だった。これにかんしては反省と研修を経て、世界中の学校から体罰を撲滅するため国連への働きかけにも参画した。
当時まだ理解度が低かったエイズにかんして、全国に先駆けて教育現場で取り上げた姿勢は、NHKで報道されるほど学校外での評価は高く、解雇当日には生徒たちから「ジョニーを返せ」コールが沸き起こるほど学内での人気も集めていた。
分限免職処分取り消しを求めたジョニーさんの裁判闘争は、ドキュメンタリー映画「ジョニーを返せ!」で伝えられている。
今年は交渉のタイミングが合わず教える授業のコマ数が激減。経済的にも非常に厳しくなった。
直接雇用の枠以外に、派遣会社からのオファーは多いが、運動のことを考えるとどうしても抗議やデモが頻発する霞ヶ関に近い方を選り好みしてしまうという。
そこはジョニーさん「生活は苦しいけど、その分、時間はいっぱいあるから運動に特化しようと思ってる」と。
週末を含めた週4日と、進学校の高校3年生たちがセンター試験を終える冬から春にかけては、ジョニーさんも思い切り活動に走り回る。
■ ギターかついで、何処にでも参上
隔週のレイバーネットTVのレギュラー出演をはじめ、各方面での社会運動ではそれぞれのテーマに沿って歌を作る。自作の曲もあるが、ジョニーさんといえば替え歌だ。
最近では、憲法の条文をわかりやすく解説する「日本国憲法じゃなけりゃ意味がない」(「スウィングじゃなきゃ意味がない」の替え歌)や、戦争法制への抗議を表す「へは平和のへ」(「ドレミの歌」の替え歌)などが人気だ。
ジョニーさんいわく「単純なのがウケる。デモ行進でみんな疲れちやうんだけど、そういうときに『ジョニーさん何かやってくださいよ』ってよく言われるので、『へは平和のへ』なんて歌ってみるとみんな元気になるんだよね」
替え歌の歌詞を考えつくと、ジョニーさんはまずツイッターやフェイスブックで歌詞をつぶやいてみるという。流れてきたニュースを即、替え歌にしたものには反応がいい。
実に多くの新しい替え歌を次々と紹介するのは至難の技……と思いきや、ジョニーさんにとっては即興でも言葉が溢れてくるそうだ。
「(歌詞を考えるのに)時間はかからないね。会話の中からだったり、いろいろな集会だったり、たくさんのデモや抗議行動に行くので、みんなが何を求めているのかがわかるようになってきた」と話す。
現場で当事者の声を聞き、社会が抱える問題についてアンテナを張る。「最近は社会情勢を即興で歌えるようになってきた」と嬉しそうな表情の裏には、「勉強するというよりも楽しんでいる」という感覚があるからだ。
しばらく前には、毎月第一水曜日夜の「生活保護がないと困っちゃう人たち」による官邸前行動に欠かさず参加していた。
ある日、80年代にヒットした榊原郁恵の「夏のお嬢さん」に合わせて「ナチの麻生さん」を待ち時間の40分程度で作って歌った。
麻生太郎副総理(当時)が「ドイツのワイマール憲法はいつのまにかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と発言したことが問題になっていたときだった。
大いにウケた。「あの時は自分でもすごいと思ったね」とジョニーさんは笑う。
小さいときは学校で演劇をやれば、いつでも主役に抜擢されるような中心人物だった。両親は、戦中戦後を軍歌であふれた青春時代を過ごした年代。
時代の流れに沿って、軍歌から民謡、そしてフォークソングやカントリーなどに目覚めていく中で、ジョニーさんも音楽好きになったという。
小学校5年のときに自分のおこづかいで買ったのは『帰ってきた酔っ払い』。中学2年のときにはソルティー・シュガーのレコードを買った。はじめてのLP版だった。
「自分でも今、その路線になってるな、って思う。ちょうど同じくらいの年代。中川五郎とか、憧れだった人たちと友だちになって、『ジョニーさんおもしろいのやってよ』とか言って、今一緒にライブをやれているんだよね」ジョニーさんは嬉しそうに言った。
小さいときに、よく父親がエノケン(榎本健一)のモノマネをしてくれた。軍隊の将校だった親父は組合活動に積極的な活動家になった。それと同じように、時代とともに軍歌が労働歌に変わった。
『聞け、万国の労働者』など、敗戦によって軍歌はすたれても、青春時代にはそれしかなかった民衆のために同じ曲が、歌詞を新たにして労働歌に生まれ変わる。その途端、また団結する人々ー。
■ 現代の落書きこそ替え歌だ
「みんなが知っている曲で、歌詞の意味を真逆にするとウケるというのがわかったんだよね。そのうえ、まじめな歌よりはくだらない歌が一番いい。楽しくてむしろちょっとくだらないくらいで、でも中身はものすごく相手をギャフンと言わせるとかの方がヒット曲だと思う」とジョニーさんは考えている。
でも、なぜ替え歌なのかー。「言葉を知ってほしいから」とジョニーさんは言う。
社会の矛盾を詩で表現した添田唖蝉坊(そえだあぜんぽう)のように、耳に残るメロディーに大切なメッセージを込める。ジョニーさんにとって、替え歌は「二条河原の落書き」。14世紀の乱世に対して政治や社会を批判したり風刺したりした落書きと同じ効果があると思っている。
「権力者たちを笑い倒す落書きが基本。弱者が強者をあざけり笑うことによって元気を出す。もしかするとそれで立場がひっくり返るかもしれない。そういう姿勢でいます−−」今日もまた、社会派音楽家のジョニーさんがギターを引っ下げて落書きを歌いに来る。
【ジヨニーH】
1955年生まれ。1980年青山学院大学大学院物理専攻修了、東京都練馬区立中学校理科教諭就任。東京都ヤングサウンドフェスティバルでK.ON部を1984〜93年連続入賞、1988年東京都性教育研究会理事就任、1992年NHK特報首都圏「エイズ授業」出演、1994年世界性科学学会発表者、1996年全国中学校ソフトテニス大会東京選抜コーチ、1998年東京都生活文化局性教育パンフレット作成委員。2004年不適格項目事由の分限免職処分で突然解雇、係争、2012年最高裁不受理却下。2005年〜私立学校非常勤講師。
『労働情報 913号』(2015/6/15)
◆ ジョニーHさん (社会音楽家)
聞き手 松元千枝(team rodojoho)
集会・デモあれば参上し、元気いっぱいの替え歌で為政者・偽善者を笑い飛ばし、参加者を元気づける風刺の達人。ジョニーHさんの本名や職業、そのパワーの秘密が初めて明らかに(笑)。でも桑田佳祐と同級生だったとは……。
■ 弱者が強者を笑い倒す
官邸前の再稼働反対行動にも、秘密保護法反対の国会包囲ヒューマンチェーンにも、派遣法の集会にも、築地市場移転反対パレードにも、出没する。ギターをかついだ帽子姿は運動界隈のみなさんにもお馴染みではないだろうか。
“活動家系流し”“替え歌大王”などと呼ばれるジョニーHさんこと疋田哲也さんは、集会やデモあれば、ジョニーさんあり、というほど様々な現場にかけつけ、得意の替え歌で参加者を元気にする。自作や替え歌も含め、持ち歌の数は1千曲を超える。
♪ へは平和のへ (ジングルベル〜ドレミの歌)青山学院大学時代には、同級生だったサザンオールスターズの桑田佳祐と音楽サークルで張り合った。
(口上)古のおならの都の昔から人はみな屁をひって尻つぼみ屁をひって大笑い笑いは百薬の長へは平和のへ
豆食えば屁が出るよ パンツも破ける屁が出るよ
芋食えば屁が出るよ ズボンも破ける屁のカ
ピッピキピー ピッピキピー ピッピキビキビキビー
押っさえても こらえても 屁が出るよ
ピッピキピー ピッピキピー ピッピキビキビキビー
世界が微笑む 屁の力
へは平和のヘ へは平和のへ へは平和のへ へは平和のへ
へは平和のヘ へは平和のへ へは平和のへ さあ歌いましょ一
どんな時でも へっ 列を組んで へっ みんな楽しく へっ
ファイトを持って へっ 空を仰いで へっ フーフフフフフフー へっ
平和の歌を さあ歌いましょ一
へへヘへヘへヘヘーへっ
新入生勧誘のイベントでは「Better Days」のサークルに参加していた桑田と席を隣にしながら、理工学部のジョニーさん属するAmuse(Aoyama Music Unity of Science)へも「人が来ないね」とお互い慰め合っていた間柄だった。
「本当のホウキを持って『歌は心だよね』とダミ声で歌っていた」桑田はコンペで優勝したが、ジョニーさん率いるバンドは残念ながら同じコンペでの予選落ち。
「あいつ、そんなに歌はうまくなかった」と桑田のことを思い出すジョニーさんも、ときにちょっと愛嬌たっぷりにキーをはずす。
音楽が好きで、70年代からロックンロールのバンド「Sway」を組み、高円寺のジロキチなどでライブ活動をした。
「ローリングストーンズのコピーバンドでサックスのアーニー・ワッツを探しているというので、“適当に吹いたら”『いいね』って即採用』」とジョニーさんは笑いながら話す。サックスだって「管楽器やるなら20代までだ」という言葉を信じて、あわてて試演してみたわけだ。
サックスを吹いていたその風貌や雰囲気がジョニー大倉をかもし出していたのか、客席から「ジョニー!」と叫ぶ声。その頃からジョニーHという名を名乗るようになった。
■ 教師との二足のワラジ、パワーに未来が
演奏できる楽器は、ギターだけでなく、サックス、バンジョー、ハーモニカなど多様。
さぞかし本業もミユージシャンなんだろう、と思う人は少なくないし、そうであっても納得もできるだろう。
でもジョニーさん、実は高校の理科の先生なのである。
1980年に中学校の理科教員として初採用されて以来、「ヒッキー」「ポッキー」などの愛称で生徒から慕われた。
その頃はちょうど中学・高校での学級崩壊が問題になり、暴力事件などにも発展したというニュースが頻繁に話題に上った。テレビでは、武田鉄矢演じる「金八先生」が高視聴率をあげ、だれもが子どものことを思う熱血先生になりたがった。
そんな時代に教員になったジョニーさんの学校にも、バイクが学校に突っ込んできたり廊下を走ったりなどの光景は珍しくなかった。学外で音楽活動をしていたジョニーさんのことを聞きつけ、生徒からバンドを組んで音楽をやりたいという希望があがってきた。
「K・ON部」を作って顧問におさまり、図書室や学校の屋上、体育館などでライブを次々と展開。社会からちょつと煙たがられるようなツッパリ男子や女子が熱中するようになって部員は90人を越した。保護者や学校関係者900人以上の前で文化祭の目玉としてライブを開催するようになるほどK・ON部は盛況だった。
異動した先の第二校目では、地元の町おこしイベントで音楽祭も企画した。
ところが2004年、ジョニーさんは分限免職にあう。理由は、本来分限免職処分に値しない体罰だった。これにかんしては反省と研修を経て、世界中の学校から体罰を撲滅するため国連への働きかけにも参画した。
当時まだ理解度が低かったエイズにかんして、全国に先駆けて教育現場で取り上げた姿勢は、NHKで報道されるほど学校外での評価は高く、解雇当日には生徒たちから「ジョニーを返せ」コールが沸き起こるほど学内での人気も集めていた。
分限免職処分取り消しを求めたジョニーさんの裁判闘争は、ドキュメンタリー映画「ジョニーを返せ!」で伝えられている。
♪ 日本国憲法じゃなきゃ意味がない(スウィングしなけりゃ意味がない)今は、非常勤教師として都内の高校や日本語学校など数カ所で教鞭をとるかたわら社会運動をはしごする。
日本国憲法じゃなきゃ意味がない
ドゥッドゥワードゥッドゥッドゥワドゥドゥッドゥワー
日本国憲法じゃなきゃ意味がない
ドウッドゥワードゥッドゥッドゥワドゥドゥッドゥワー
例えば、戦争オタクの大臣たちが今すぐ戦争しようと言い出したとしても憲法9条がそれを許さない
例えば、権力者が自分の都合いいように憲法を変えようとしても
憲法96条が簡単にさせやしない
独裁ねらう安倍政権には都合悪いかもしれないけど
99条が目を光らせてる
平和の理想をずっと追い求めてる
日本国憲法をどんどん使いこなそう
私たちを守るために権力者に命令してくれる
日本国憲法
ドゥッドゥワードゥッドゥワードゥッドゥワー
ドゥッドゥワードゥドゥドゥドゥドゥドゥワー
今年は交渉のタイミングが合わず教える授業のコマ数が激減。経済的にも非常に厳しくなった。
直接雇用の枠以外に、派遣会社からのオファーは多いが、運動のことを考えるとどうしても抗議やデモが頻発する霞ヶ関に近い方を選り好みしてしまうという。
そこはジョニーさん「生活は苦しいけど、その分、時間はいっぱいあるから運動に特化しようと思ってる」と。
週末を含めた週4日と、進学校の高校3年生たちがセンター試験を終える冬から春にかけては、ジョニーさんも思い切り活動に走り回る。
■ ギターかついで、何処にでも参上
隔週のレイバーネットTVのレギュラー出演をはじめ、各方面での社会運動ではそれぞれのテーマに沿って歌を作る。自作の曲もあるが、ジョニーさんといえば替え歌だ。
最近では、憲法の条文をわかりやすく解説する「日本国憲法じゃなけりゃ意味がない」(「スウィングじゃなきゃ意味がない」の替え歌)や、戦争法制への抗議を表す「へは平和のへ」(「ドレミの歌」の替え歌)などが人気だ。
ジョニーさんいわく「単純なのがウケる。デモ行進でみんな疲れちやうんだけど、そういうときに『ジョニーさん何かやってくださいよ』ってよく言われるので、『へは平和のへ』なんて歌ってみるとみんな元気になるんだよね」
替え歌の歌詞を考えつくと、ジョニーさんはまずツイッターやフェイスブックで歌詞をつぶやいてみるという。流れてきたニュースを即、替え歌にしたものには反応がいい。
実に多くの新しい替え歌を次々と紹介するのは至難の技……と思いきや、ジョニーさんにとっては即興でも言葉が溢れてくるそうだ。
「(歌詞を考えるのに)時間はかからないね。会話の中からだったり、いろいろな集会だったり、たくさんのデモや抗議行動に行くので、みんなが何を求めているのかがわかるようになってきた」と話す。
現場で当事者の声を聞き、社会が抱える問題についてアンテナを張る。「最近は社会情勢を即興で歌えるようになってきた」と嬉しそうな表情の裏には、「勉強するというよりも楽しんでいる」という感覚があるからだ。
しばらく前には、毎月第一水曜日夜の「生活保護がないと困っちゃう人たち」による官邸前行動に欠かさず参加していた。
ある日、80年代にヒットした榊原郁恵の「夏のお嬢さん」に合わせて「ナチの麻生さん」を待ち時間の40分程度で作って歌った。
麻生太郎副総理(当時)が「ドイツのワイマール憲法はいつのまにかナチス憲法に変わっていた。あの手口を学んだらどうか」と発言したことが問題になっていたときだった。
大いにウケた。「あの時は自分でもすごいと思ったね」とジョニーさんは笑う。
小さいときは学校で演劇をやれば、いつでも主役に抜擢されるような中心人物だった。両親は、戦中戦後を軍歌であふれた青春時代を過ごした年代。
時代の流れに沿って、軍歌から民謡、そしてフォークソングやカントリーなどに目覚めていく中で、ジョニーさんも音楽好きになったという。
小学校5年のときに自分のおこづかいで買ったのは『帰ってきた酔っ払い』。中学2年のときにはソルティー・シュガーのレコードを買った。はじめてのLP版だった。
「自分でも今、その路線になってるな、って思う。ちょうど同じくらいの年代。中川五郎とか、憧れだった人たちと友だちになって、『ジョニーさんおもしろいのやってよ』とか言って、今一緒にライブをやれているんだよね」ジョニーさんは嬉しそうに言った。
小さいときに、よく父親がエノケン(榎本健一)のモノマネをしてくれた。軍隊の将校だった親父は組合活動に積極的な活動家になった。それと同じように、時代とともに軍歌が労働歌に変わった。
『聞け、万国の労働者』など、敗戦によって軍歌はすたれても、青春時代にはそれしかなかった民衆のために同じ曲が、歌詞を新たにして労働歌に生まれ変わる。その途端、また団結する人々ー。
■ 現代の落書きこそ替え歌だ
「みんなが知っている曲で、歌詞の意味を真逆にするとウケるというのがわかったんだよね。そのうえ、まじめな歌よりはくだらない歌が一番いい。楽しくてむしろちょっとくだらないくらいで、でも中身はものすごく相手をギャフンと言わせるとかの方がヒット曲だと思う」とジョニーさんは考えている。
でも、なぜ替え歌なのかー。「言葉を知ってほしいから」とジョニーさんは言う。
社会の矛盾を詩で表現した添田唖蝉坊(そえだあぜんぽう)のように、耳に残るメロディーに大切なメッセージを込める。ジョニーさんにとって、替え歌は「二条河原の落書き」。14世紀の乱世に対して政治や社会を批判したり風刺したりした落書きと同じ効果があると思っている。
「権力者たちを笑い倒す落書きが基本。弱者が強者をあざけり笑うことによって元気を出す。もしかするとそれで立場がひっくり返るかもしれない。そういう姿勢でいます−−」今日もまた、社会派音楽家のジョニーさんがギターを引っ下げて落書きを歌いに来る。
【ジヨニーH】
1955年生まれ。1980年青山学院大学大学院物理専攻修了、東京都練馬区立中学校理科教諭就任。東京都ヤングサウンドフェスティバルでK.ON部を1984〜93年連続入賞、1988年東京都性教育研究会理事就任、1992年NHK特報首都圏「エイズ授業」出演、1994年世界性科学学会発表者、1996年全国中学校ソフトテニス大会東京選抜コーチ、1998年東京都生活文化局性教育パンフレット作成委員。2004年不適格項目事由の分限免職処分で突然解雇、係争、2012年最高裁不受理却下。2005年〜私立学校非常勤講師。
『労働情報 913号』(2015/6/15)






