2015/8/25

労働と「奉仕」=ボランティアを一緒くたにする道徳副教材『私たちの道徳』  ]U格差社会
  物いわぬ労働者の育成めざす
 ◆ 「道徳」の教科化

吉田典裕(子どもと教科書全国ネット21常任運営委員)

 ◆ はじめに
 道徳の教科化がはらむ諸問題のうち、「戦争する国」づくりとの関係が強調されます。確かにそれ自体はまったく正しい認識ですが、しかし道徳の教科化のねらいはそれだけではなく、安倍政権がいう「世界で最も企業が活躍しやすい国」づくりとも深くつながっていることも重要なポイントなのではないでしょうか。本稿では、そのことについて論じてみたいと思います。
 財界も道徳教育の強化を要求してきた道徳の教科化を推進してきたのが「日本会議」に代表される復古主義的・歴史修正主義的勢力であることは間違いありません。しかし「教科化」まではともかく、道徳教育の重視を求めてきた勢力はそれだけではありません。


 第三次安倍政権の「任務」の一つである「世界で最も企業が活躍しやすい国」づくりにとっても、道徳教育の強化は欠かせない要求であるといえます。いうまでもありませんが、これは財界・大企業の要求にほかなりません。

 実は日本経済団体連合会(日本経団連)は、これまで何度も教育に対する提言を発表し、道徳教育の重視を含む教育の新自由主義的改革を要求してきました。
 例えば「次代を担う人材育成に向けて求められる教育改革」(2014年4月15日)は次のように述べています。
 「他方、グローバル化への対応を進めると同時に、日本人としての自覚やアイデンティティを育むため、国語教育や日本の歴史・文化等に関する教育を推進することが求められる。また、知育、体育とならんでグローバル人材に求められる倫理観や公徳心、他者への思いやりなどを育む徳育も重要である」

 ◆ 出発点としての「新時代の『日本的経営』」
 もっとさかのぼると、財界が道徳教育の重視を求めた出発点は、ちょうど20年前の1995年に当時の日経連(日本経営者団体連盟。財界の「労務部」的存在だった。2002年に経済団体連合と合併して現在の日本経団連となった)が発表した「新時代の『日本的経営』挑戦すべき方向とその具体策」に行き着くように思われます。
 この文書で日経連つまり財界が要求したのは、労働者を3つのグループに分け、それに見合った雇用形態を導入することでした。すなわち労働者を@長期蓄積能力活用型グループ、A高度専門能力活用型グループ、B雇用柔軟型グループに分け、常用雇用(終身雇用)は@だけとし、Aには年俸制や有期雇用制度を適用し、Bは派遣労働者などの不安定な雇用形態(これを彼らは「雇用の流動化」と呼びます。ものはいいようですね〉にするということでした。
 この20年、財界はこのような雇用形態の実現を執拗に要求し続け、与党がそれに応えようと労働法制改悪案を提出し、そのたびに労働側の強い反対によって阻まれてきました・安倍政権は、今国会で労働法制の改悪(残業代ゼロ法案、労働者派遣法改悪など)を成立させようと執念を燃やしていますが、これは財界のこのような要求に応えるものです。ここに第三次安倍政権の新自由主義的な性格を見ることができます。

 ◆ 経営者と労働者の利益は「トレードオフ」
 経営者と労働者の利害関係は「トレードオフ」、つまり「あちら立てれば、こちらが立たぬ」関係です。儲けを大きくするには、労働者には安い賃金で長時間働かせるのが経営者にとっては利益なので、「残業代ゼロ法案」や「労働者派遣法」の改悪法案が繰り返し提出されるわけです。
 他方、労働者にとっては、それは耐え難く悪い労働条件にほかならず、人間らしい働き方を求めることにならざるをえません。それを実現する組織が労働組合であるわけですが、職場で労働組合はなかなか労働者の意識に上ってきません。しかし労働者の不満が消えてなくなるわけではありません。それが犯罪などの形で暴発するのは、経営者にとっては避けたい事態です。労働組合が要求に基づいて労働条件の向上を要求するたたかいを組織する、場合によっては労働争議を起こすという事態は、もっと、いや最も避けたい事態です。
 ではどうするか。財界は、その解決策の一つを道徳教育の強化に見出したようです。

 ◆ 「自己責任」論で労働者の不満を抑える道徳教育
 財界が求める道徳教育の核心的部分は「自己責任」論だと思います。つまり労使関係から生じる様々な問題を「要求」として形に表して解決しようとするのではなく、「自己責任」、つまり自分が悪いのだとあきらめるメンタリティを持たせるのが経営者にとっては重要課題であるわけです(それを体現していたのが故・松下幸之助だと思います。その松下氏が育鵬社の現行版および新版の公民教科書に載っているのは象徴的です)。それを教育を通じて行えば、国の費用で賄え、対象はいずれ労働者になる子どもたちですから将来的な保障にもなるわけで、一石二鳥です。
 以上のような目で、文部科学省が作成した道徳副教材『私たちの道徳』で労働がどう扱われているかを見てみると、例えば中学校版に「動労や奉仕を通じて社会に貢献する」(p.172−3)という単元があります。
 「勤労」と「奉仕」はともに「社会に貢献する」ものとして等価に置かれています。
 まるで現代版「勤労奉仕」です。本文はまるで詩のような組版です。
 働くことは、自分の夢を実現したり、収入を得て大切な家族の生活を維持したりすることだけでなく、誰か人のために役立ち、地域や日本、世界を発展させることにもつながっている。

 『「私たちの道徳」活用のための指導資料(中学校)』では「道徳の時間」の「活用場面例」として「職場体験活動等を通して、勤労の尊さを考えるとともに、そうした活動がもたらす充実感を知り、働くことによって生きがいのある人生を実現しようという意欲を高め、公共の福祉と社会の発展に努めようとする態度を養うようにしたい」(p.86)と述べています。
 労働は「奉仕」=ボランティア(もともとの意味は「志願兵」です)と一緒くたにされて「公共の福祉と社会の発展」がその目的にされています。
 労働者の権利はまったく出てきません。「どんな仕事でも世のため人のため」だから、どんなにきっくても文句をいわずに働けというメッセージに見えます。
 このことはとりわけ先ほどの分類でいえばBが、財界にとって道徳教育の強化の焦点であることを示しています。

 ◆ 人権に目覚めぬ「理想」の労働者像
 以上のように、道徳の強化や教科化は復古主義的・歴史修正主義的勢力だけの要求ではありません。「戦争をする国」にとって、兵士がいちいちものをいっては戦争を遂行できないので、できるだけ人権に目覚めさせない努力が必要になります。企業の経営者の「理想」の労働者像は、これと似ているのではないでしょうか。
 企業間の競争は比ゆ的に「企業戦争」といわれます。そのような意昧では、道徳の教科化による「戦争をする国づくり」に反対していくことは、労働者と労働組合の重要な課題でもあると思うのです。

 「子どもと教科書全国ネット21ニュース」102号(2015.6)


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