この辺りを縄張りにしているオオタカ。この数年、ここで見かける野鳥に興味があって気になる鳥を見つけては私のお気に入りオンライン野鳥図鑑
「yachoo!」で勉強させてもらってます。
ちなみにこのオオタカ夫婦、毎年どこかへ移動するのにこのシーズンは留まっていました。
私にとってこのオオタカは、身近に見る自然界で生き抜いて行く強さと気高さの象徴。
前にもこのブログで
オオタカがハトを狩ったという記事を載せましたが、昨日も馬の運動を終えた頃西側の開けた草地でオオタカがハトを捕らえたところを目撃!!(私はなんてラッキーなんだ!)
しかしその直後、2羽のカラスが横取りしようと飛んできて(それはまるでライオンが捕らえた獲物を横取りするハイエナのよう)オオタカはあえなくその場を去りました。その瞬間、まだ余力のあったハトは飛び立ち事務所裏の木に逃げ込んだ。カラスは1羽は諦めて飛んでいったけど、もう1羽は追いかけていた・・・・・
馬場からでは私はそこまでしか見えなくって、あのハトは逃げ切れたのかどうか気になり、足早に厩舎に馬を戻し現場に直行したら残念なことにハトはカラスに捕食されていた。私に気付いたカラスは羽をむしりコンパクトになったハトを掴んで遠くへ逃げ去った。
もう少し早く来ていればあのハトは助かったな。パートナーのハト(大体ハトは一夫一婦でいる)はどこかからこの現実を見ているのだろうな・・・でも、ここで私が助けるというのは自然に逆らうことなんだ。とか。まあ、いろいろ考えるけれど行き着く結果は自然の連鎖には手を出さない。がモットー。
カラスはこの石の上で食べていた。むしられた羽は散乱し、血は点々としていた。なぜか血のついた乾燥したトウモロコシも数粒あった。そしてこの石のすぐ下には切り落とされたハトの頭があった。瞳はまだ潤っていた・・・
こういう現場はショッキングだけれど興味はある。それはただ単に怖い物見たさではなく自然の営みを肌で感じて、自分だって自然の一部だということ、生きるためのモチベーションを高めているのかもしれない。
ハトなんて、そこらじゅうにいて何の苦労もないように見えるけど、実は今日を生き抜くということも保証されていない、厳しさの中に置かれている。そう考えるとこんなハトさえも勇敢で美しく見える。
人間も、本来はこうあるべきなのか?
昨夜の夕食に作った焼うどん。あの中にあった豚肉も少し前は生きていた豚。それを誰かが殺してさばいて、薄くスライスしてくれている。だから私は自分の手を汚さず生々しい光景を見ずに美味しさにありつける・・・
ん〜、こんな飽食の時代。もし食べるためには自分で全てやらなきゃいけないといわれたら果たしてどのくらい私は肉を食べれるのかな。
そしてキレイなところしか見せないこの世の中・・・・
ちなみにこの光景は怜奈にはまだ見せない。でも物心付いた時には動物を通して現実を教えるつもり。今はまだお話だけ。その話に怜奈は「ハトがかわいそう」と言っている。「それでいいのだ!」(バカボン風に)

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