当ブログの運営者は工藤英勝です 近代仏教史家で、とくに近代仏教と東アジアとの関係論に関心があります このブログではとくに朝鮮と日本宗教にかかわる問題とくに植民地布教についての資料とデータを提供いたします 大きな歴史認識や歴史解釈ではなく、諸事象と人間がどう動いていたのかを解析していきたいと思います 資料やデータにかかわる具体的なお尋ねには回答いたします

2018/11/20  20:20

差別は処罰されるべきか  差別と人権

差別discriminationは処罰されるべきか?

今日現在、さまざまな差別discriminationに対して、日本の国内法では、禁止・処罰する法規がありません
あからさまな暴力や侮辱におよぶ行為については、罪刑法定主義(あらかじめ罪に当たる行為とと刑罰を定義)にもとづく刑法処罰が定められています

近世・封建体制までは、仇討ちなどの私刑が部分的に認めていましたが、仇討ちという復讐がいつも効を奏するとは限らず、逆に返り討ちで終わってしまうことも多々あります。日本が近代的社会になっていく段階で、私刑は野蛮な封建遺制として一律廃止されて、処罰の決定と行使を国家組織に委託されています

それならば、差別行為も犯罪と規定してこれに相応しい刑罰やペナルティを課せばいいという考えも一理ありということにもなります

しかし、他の犯罪とは異なり、差別discriminationは、ある恣意的な属性や帰属集団を、単純に善悪・優劣・上下などの価値に短絡するという思想や価値観という問題が背景にあるのです

あからさまな暴行や排斥や侮辱については、従来の刑法による処分が適切ですが、差別は具体的行為以前の認識・判断・意志などの人の意識全般や差異を顕在化する言語活動そのものが関わっています

これを直接に処罰の対象とするということは、ある個人の思想や信条を国家が罰する権力を復活させるというアナクロニズムになります

国家や政治権力は、個人の内心を処罰してはならないという歴史的格率が崩壊することによる被害は甚大です

これはまったく笑えない野蛮時代への退行です

差別を憎む気持ちは同感しますが、この善意がさらに狡猾な政治権力に取り込まれて、ディストピアの出現を約束します

差別への処罰は慎重でなければなりません
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タグ: 差別行為 犯罪 処罰




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