


予報は当たった。
夏の終わり、そう早も秋の気配濃厚とも予感された頃に聞かされた今年の冬の長期予想、どちらかと言えば暖冬。
でも未だ冬の初めなのだ。晩秋。当地ではこれから野山にも紅葉黄葉の色が濃くなって来ようが、まだまだ緑の色が辺りを支配している。それでもこんなに暖かい朝を迎えるのはヤハリ暖冬なのだろうと予感される。今朝の気温は摂氏14度、先週の低温なぞは何だったンだろうかとも振り返って見るのだ。いやいや見返る程の事もなかろう、夕暮れが近付いて来た訳じゃない、未だ朝日も昇らない時刻。夏の最中ならば疾っくに暑さが感ぜられるのに、この季節は日の出も気温が上がるのも遅い〜おそ松クン。
★成り行きに任す暮しの返り 鯨井孝一
▼〜季語は「返り花・帰り花」で初冬。かえり咲きの花。暖かい小春日和がつづくと、梅や桜、桃の花が咲くことがある。狂い花とも。
岡本敬三の小説『根府川へ』(筑摩書房)を読んだあとだけに、この句には身につまされる。会社にリストラされ、妻には別れられ、「成り行きに任す暮し」を余儀なくされている初老の男の物語だ。彼は一年中、寒い季節に生きているようなものなのだ。しかし、そんな彼にも、たまにはポッと返り花が咲く。目立たないささやかな花ではあるけれど、社会的にも経済的にも零落した者でなければ見られない花が咲くのである。その花は、羨ましくなるくらいに美しく味わい深い。何かをあきらめた人間には、あきらめた分だけ、それまでには気づかなかったきれいなものが見えるのだろう。句の作者は零落者ではないだろうが、そういうことを言っている。小説に戻れば、こんな場面がある。久しぶりに静岡の根府川から上京した高齢の叔父と、主人公は神田で酒を呑む。彼のポケットには全財産の1500円しかない。飲んでいるうちに、叔父も1000円しか持っていないことがわかる。どんどん注文する叔父にはらはらしながら、さて、どうしたものか……。叔父の機転でその店からは無事に脱出、つまり飲み逃げをするわけだが、お茶の水駅での別れ際に、叔父は「うっかりしていた」と白い封筒をさしだした。生きていくことはほんのちょっとしたペテンだ、と言い添えながら……。開けてみると、その薄い封筒には指の切れそうな一万円札が五枚入っていた。あわてて彼はさきほどの店に取って返し、勘定を払おうとするが、女将はもう済んでいるという。たとえば、これが成り行き任せの暮しに咲いた返り花。そして、この金を返しに主人公が叔父を訪ねて根府川へ行くのも、またもう一つの返り花だ。著者の岡本敬三君は、実は私の若い友人です。読んでやってください。面白いこと受け合い、ペーソス溢れるいぶし銀のような都会小説です。『現代俳句年鑑』(2003・現代俳句協会)所載。(清水哲男)
また長い引用、流石はプロの歳時記、読ませる。
<増殖する俳句歳時記>という1人一句でお気に入りの現代俳句を紹介する処、偶に私も検索で利用してる。今回も何か気の利いた俳句の一つでも〜と覗いたら、やはり皆さんプロの目キキは心地良い。
偶々、庭先でこの秋になって見かけたのが梅桃ユスラウメ、桜、小手毬コデマリの帰り花。
時の花じゃない、裕次郎の狂ひ花なのだ。殊に梅桃はほんのり紅アカいのも良し、桜も良くよく見ればヤッパ薄紅をチィッとひいた様な気配、されど去年見つけた桜島の袴腰港の公園の桜は未だみたいだった。気が付かなかっただけかも知れん、わが部落の墓所の桜や保育園の桜も今年は未だ見てない。同じ木が毎年の様に咲くのでもナイのかなぁ^_^ 確かにそれでは風情も無かろうか〜^_^

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