
予報では今夜辺りから向こう1週間ほど雨マーク、夕方頃から天気は下り坂とか。でも今朝はヤハリ冷えに冷えて摂氏2度と辛うじて整数を保ったのみ、昨日は日中は少しは暖かくホントジャンパーも不要かとも思わせたのに、冷たい北風が時に強く吹き荒れたりもして、それ程は上がらない、それでもどうゆう訳かさして寒くもならなかった久し振りの寒さに凍える感じもない夜だった。
画は土曜日の十五夜の月、まるで満月とも思わせるものの厳密には翌日の夜が満月だったようだ。雨は大した事なかったが風がひどくて外に出る気も起きない寒い夜だった。早々と少しのアルコールと珈琲で暖を取り寝落ちしてしまった。
段々と肉体の衰えが精神を蝕んできたのだろう。夜更まで読書したり飲み明かすのも何だか億劫になりつつある。

近所に不幸が立て続けに二軒もあり、更には北の方の小学校近くの友人と同じ姓の縁戚にもと電話あり。そうしてこんな田舎の過疎地の人が入れ替わる、齢七十の私にシンちゃん^_^ナンテ呼ぶ婆ちゃんが未だ数人も居られるが、爺さんはいなくなった。最近のアニやんは去年に早々と遠くの老人ホームに入ったと昨日、近くの婆ちゃんに聞いた。薄黄色をしたサワーポメロつう柑橘類を食べろって数個くれながら、干し大根もすれば〜と教えてくれる。
絵は福寿草、こんな南国でも確かにこうしたミントグリーンめいた花芽を咲かせてくれる様だ。そう言えばもう、スーパーでは養殖のタラの芽や缶詰か冷凍かの姫竹の天婦羅が出ていたなぁ〜大好きなんだが、カロリーがフライ物で高いのが気になるから控えていたが、偶にはそうした野菜や元々野の草類のテンプラ〜食べたが良い^_^〜
この三日間ズッと少しずつただが三島由紀夫についての文章を、亡くなった村上一郎と調べたら失礼ながら未だ存命中で紫綬褒章や蘭授賞までも受けた桶谷秀昭の本読んでた。
他に吉本隆明の柳田國男論、コレはこれで又ズッと読み終えてもいないのであるが、早く読了すれば良いナンテものじやなし、夏野菜の準備かたがたで畑の藪払い草取りの空き時間に、チョロっと読んでるだけ。
畑は去年ほぼ手入れをしなかった分、シダ類やらヤブ野イチゴなどが根を張り更にはササ竹までが勢力を伸ばしてたから、何とか根絶やし出来たかとも思ったが、奴らはしぶとい。畑の野菜に与えた肥料を求めるかに突然ニョッキリとある日突然にと思わせる程その触手を延ばして来やるのだ。
結局は人の命は短くて、物言わぬ自然の動植物が思考を無視してビマン繁茂して行くだろうナ。わが死にて去りし後には〜
私は思いをこらし考えるのみ、死ぬまでこの世から消え失せるまでの命の活動は、ひょっとして農本主義に達した橘孝三郎などへ傾注するンだろうか^_^〜
あるは、松下村塾の吉田松陰への憧憬かは〜チラチラとそんな先達の思想家に想いを寄せながら、イヤイヤ野の師父たらんとした花巻の宮澤賢治の爪のアカ程にも及ばぬナァとも。
雑草やら諸々の木の根っ子やを引き抜きながら腐った土クレを弄り、離れた所で少し疲れた体を休めていると、何種類かの小鳥らがその上を飛び回っている。振り向いて目を凝らすと、用心してか危険を察したかに動きを止めてコッチを見詰めてる。凝視!コチラが動くとサッと近くの小枝に飛び退いてしまう。知らんぷりを決めて何かをしてると又やって来た、偶には手が届く位に近くまで何やら餌をあさってるようだ。
藪椿の花の蜜を求めてメジロが飛び回る、雀は滅多に来ないが四十柄かヒワかなんか名前を知らない鳥たちが啼き交わしながら飛び回って長閑な冬の日から春の兆しを待ちわびてるようだ。

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