
コレは確か「ドラゴンボール」ちうお子様連にはお馴染みの漫画の中の、亀仙人?かと思う〜もう忘れてしまった。確か30〜40年も前のデヴューなのだ、鳥山明と言う漫画家は。細い線で綺麗な繊細なタッチはプロのデザイナーの証拠、それが漫画家としてストーリー性をも備えて考案し企画し創造!ヤハリ一流だと。鳥山明が作り出したドラゴンボールの作中のキャラクター、その中の1人を立体化したフィギュア、それが画像の50ccばいくのホンダモンキー?いやゴリラだっけ?に跨がるご老人。イイ構図です。シビレル程ナイス!
それはさて置き〜タイトル、女流の大歌人となった斎藤史の歌何首かを賀状に使った。
所が余りにも時間がなくて校正をする暇がなく時間切れで、誤植だらけで何人かは訂正したのを出したのだが、全てを校正すること適わず〜間抜けな1年の始まりを曝け出すこととなった。
彼女自身が戦前の生まれなのでか尚更〜殊更に日本語の美しさに拘り固執する余り、全てを古語とまではゆかないが現代仮名遣いなぞどこ吹く風の全て旧仮名遣い、もとい正字の純粋國語の文体。まぁ和歌を詠む、テ風潮はもはや廃れたのかも知れないがでもご本人たち短歌という短詩型文学に関わる数少ない人士文士らは得てして、いわゆる旧字体に拘る訳で、確かに漢字の持つ美しさや言葉のそれがひいては日本語の本来の美しさの根源根本へと私らを導いてくれるかも。
イヤだからと言って既に戦後生まれの私らはもう戦前までの旧字体や正字、仮名遣いなどは身につけてはいない。
偶々、知り得たそれらの使い手は例えば小説家の中ではあの三島由紀夫であったし、他にも小林秀雄などの評論家批評文にも度々付き合わされたものだから、少しは理解は出来ても、自分がイザ使おうとすれば頗る煩わしい時もある。
所が美しさを求めようとすれば、どうやら画数の多い正字の漢字を駆使した旧字体の文体の方がずっと本来の日本語らしい雰囲気を醸し出すものだと、感じるのだが。
でももうこの先はそうした文体は古語調と言おうか、旧仮名遣いのオール正調の字体の文章は現れては来なかろうと思われる。時代は既にミレニアム、IT全盛の真っ只中へ突入して来た。パーソナルのコンピューター〜パソコンが普及して、それはコンナ片手に持ち運びさえ出来る携帯端末へと小型化軽量化して、しかも腕時計式や眼鏡式、ヘッドフォン式など進化は止まらない。伝達の方式は音声での入力も可能となり識別は指紋認証や声紋認証も普及して来た。つまり人工知能が発達して来たからには、古いシステムは打ち捨てられようとさえする時代、オール自動化は無理とも言えるや〜
マァそうとも限らないのだが、それでもこの古い文体を駆使する人達は確かに少なくなった。恐らくは後30年も経てば人口淘汰の自然な成り行きで廃れる文化でもあろう。
そんなこんな、つらつら書き連ねて来た斯様な駄文にお付き合い願えて幸甚、ありがとうございます〜
てな訳で、賀状の誤字脱字への言い訳なのだ。つまりは無理して転写したつもりの崇高な大歌人の短歌を、間違いだらけのそれへと落とし込めた、罪作りな奴め〜とお叱り受けても仕方ない。
短歌、いわゆる短詩型文学とは一首そのものが一本で屹立した体系。歌の1つが物語だ。
次には彼女、斎藤史の短歌の引用歌を見てみようか。

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