
予報通りに夜には小雨が降ったようだ、
ちっとも大寒期らしからぬ気配、何ともはや〜気温は2桁に限り無く近くてオマケに日中も2桁に近い。
それでも冬用のジャンパーやズボン下は履かねばサマにならんのが年寄り。
思い出して不甲斐ない自分〜図書館に借りてた本、古井由吉『忿老ふんろう』を返しに行った。行ったけども未だ何となく読み込めてない、新たな希望者がなかったので再度の再々度の延長をお願いする。うーン、始まりは何の事もないのだが、次第に私を混乱させてしまう文章の不思議、韜晦というし、内向の世代と政治的な新日本文学辺りの小田切秀男から指摘された小説家たちの筆頭格。←コレ、私的〜ね。
★大学教員の時期は、「日常に潜在する苦そのもの」を見た(講談社文芸文庫の自筆年表より)とするフランツ・カフカの研究に加えて、ロベルト・ムージルやヘルマン・ブロッホなどの翻訳をすすめる一方、1968年、処女作「木曜日に」を同人雑誌『白描』に発表、続いて発表した「先導獣の話」、「円陣を組む女たち」で評価される。
1970年3月付で立教大学を退職し、作家業に専念する。
神経を病んだ女性・杳子と登山で出会った男を非現実的・幻想的なイメージを交えて描いた「杳子」(『文芸』1970年8月号)で、1971年に第64回芥川賞を受賞。古井を含むこの時期の作家は小田切秀雄によって「内向の世代」と命名され、「社会的問題やイデオロギーなど外部に距離をおいて、内に向っている作家たち」との批判を受けた(実際はこの一派の作家にそうした現実逃避の傾向は希薄であるとの反批判もある)。ことに古井は「朦朧派」(石川達三)や「退屈の美学」(後年の江藤淳による批判)との揶揄も受けたが、他方で秋山駿や柄谷行人らには擁護された。〜Wikipediaより
あ、安野光雄さんの訃報に接してしまったのを失念してしまいそうだった。
★ “絵本のノーベル賞” 安野光雅さん死去 海外でも高い評価(NHK)

〜絵本や挿絵の画家として知られ「国際アンデルセン賞」を受賞するなど海外でも高い評価を受けている安野光雅さんが先月、肝硬変のため亡くなりました。94歳でした。
安野さんは、大正15年、島根県津和野町で生まれ、東京で小学校の美術の教員をしながら本の装丁などを手がけたあと、オランダの画家、エッシャーの絵に影響を受け、昭和43年に絵本、「ふしぎなえ」を発表して絵本作家としてデビューしました。
また1人の巨人を失った。それはこの新型コロナの疫病が流行り病として全世界に地球規模で蔓延した最中だ。
若い人らはもうコンナ巨匠にすら眼を向ける人々も少ないかも知れないが、ヤハリ日本人にとって忘れてはならない巨人の1人だと思う。
単なる童話絵本作家どころか新しい世界を築いたアーティスト、画家である。
その眼からはコノ様な委縮〜自粛した社会の有り様をどういう風に描くか?〜などとも思いたくもなるが、もうそへも不可能に近くなった。最後の力作が近く刊行されるだろうが、それに少しはコメントがあろうか〜?
この人の絵本に初めて接したのは何だったろうか?何故かいつの間にか仄々とした画風や、トランプの中の絵の兵隊らやだまし絵みたいな面白い絵本作家に接して、おおぅ〜かような絵の書き方もあるんだなぁナドと感心したもの。

0