
訃報ばかりを追ってるのじゃないが、此の所ついつい目にしてしまうものでチト不思議な感も無きにしも有らず。
一応はメモ程度にでも書き出して置こうかと〜そう、もはや掌を合わす術も失った感がしてくる。
昨日の気温はヤハリ20度近く、夜になっても14度ほどと異常な位の暖かさであった。けどもまだまだ春と言うには程遠い。夜の寒気は少しはあり、ジッとしてるとじんわりと寒気がやって来るので又布団に潜り込む仕種。〜始末しまった島津の殿さま島倉千代子〜^_^
【岸邦晴のつれづれブログ】〜故岡井隆先生には、亡妻は大変お世話になって、僕も少しお世話になりました。〜
朝日新聞の天声人語の引用〜歌集『現代百人一首』が刊行されたのは25年前のこと。〈みじかびの きゃぷりきとれば すぎちょびれ すぎかきすらの はっぱふみふみ〉。テレビで耳にしたCM短歌が、斎藤茂吉や釈迢空の歌と同格に扱われ、新鮮な驚きを覚えた▼その選者で、戦後歌壇を牽引(けんいん)した岡井隆さんが亡くなった。92歳。内科医にして歌会始の選者、皇族の和歌御用掛を務めたという経歴からは想像できないほど、その歩みは波乱に満ちている▼〈一時期を党に近づきゆきしかな処女(おとめ)に寄るがごとく息づき〉。慶応大学の医学生だったころ、マルクス主義にひかれた。共産党系の診療所に詰めていた一夜、警察の家宅捜索を受ける。「歌集や歌誌の原稿まで押収された」とかつて本紙の取材に語った▼家庭や名声をかなぐり捨て、若い女性と九州へ逃避行したのは40代。有名歌人の「蒸発」は騒動を招く。だがその女性とは長続きせず、九州の病院で働くことに。〈
女(をみな)とは幾重(いくへ)にも線条(すぢ)あつまりてまたしろがねの繭と思はむ〉。後にそんな官能的な歌を詠んでいる▼「短歌は危機の時を通り越し、廃虚の残骸の中にある」と歌壇の行く末を案じた。「私自身は選歌・添削・講師としてその廃虚に立ち、わずかに再建を夢みている」と繰り返し語っている▼功成り名を遂げたあとも、円熟の歌境に安住することはなかった。ナンセンスなCMから独創的、実験的な作品にまで光を当て、歌の可能性を極限まで広げる。破格、破調の堂々たる生き方であった。
今ではもう何故に未だ生きてる歌人の『岡井隆全歌集』など買い込んだのか、その動機が不可解なのだが、兎に角もわが書棚の塵にまみれてズッシリと重たい分厚さの本が眠っている。
現代短歌への飽くなき挑戦者として見えた巨人の1人者とも目された御仁。
詩人で思想家の吉本隆明との短詩型文学論争を経て、突然の駆け落ち遁走劇から沈黙の果てに発刊された歌集を買ったのは確か池袋のパルコ出版?のある書店だった様な〜あぁ、それも記憶の朦朧帯へと落ち込んでる。
前掲の朝日天声人語の引用の人生の終りにある、歌会始の選者とか皇族の御用掛なぞ宮廷歌人を務めたなど奇異にも思われるが、恐らくはこの国の最も伝統と格式と因習に充ち満ちた天皇一族との係りの中で、最後の和歌の行方を追求しようかと試みたのではなかろうかとも愚考する次第。
昭和の戦前や明治大正期とは違い、敗戦後の復興経済の高度発展期を経て民心の天皇制や家父長制度などからの重圧などは既に消滅の危機に瀕してしまい、僅かに天皇一族など皇族や昔からの富裕層の中にのみ厳然としてるかに見える。
その点では、先の女流歌人の斎藤史が志操はこの岡井隆とは又違う綺羅星であろう。
満天の夜空に燦然と真輝く、ひとしわ明るい星たち。
同じ様に前衛短歌運動なる伝統格式に縛り付けられたかの伝統歌壇への反逆児として名を連ねながら、数々の勲章を受けながら、現代の雲上人らの御用歌人となる‼〜快挙か?愚挙か?〜^_^

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