
雨、ラジオの投書からも久し振りの纏まった雨が降ったと聞いたが、確かにそんなに激しくも本格的な雨降りでもなかったものの、ほぼずっと曇り空のもとで雨がちの一日だった。
絵の様に子供の頃には火遊びすると夜寝て
しまったから於尻呼オシッコもらすと叱られたもの。〜じゃ無いが空からの於尻呼はショポショポと丸で爺ィのソレのヨニ乾燥した辺りに撒き散らされた。

イヤ既に昨日の内に少しはお湿りありき、だったが昨日のは俄雨、飽くまでもニワカ雨で火を付ければ何とかゴミ芥など燃えそうだったが流石に今日のはダメ。降らないとなればずっと曇りでも乾燥し切って連日だったのに、と又もや愚痴っぽくなる。
空は終日曇り、けども夕真暮れには東の彼方に半円近く欠けた月が浮かび上がった。しかも群ら雲!走り去る雲たち、昨日の空にもチラッと見えたのが、正しくアレは十三夜の月。
つうて五千円札の女、一葉さんの小説に今更などと感激もせぬ〜アレは江戸時代続きの明治の世の月よ〜
昨日
通いのソレはもう人類がソコヘも降り立ち出来る程の新時代
イヤ〜新世紀エヴァが活躍するほどのお月さまなのだ。

十三夜の月が上り出した昨日に頂いた巻き寿司、ウチのアレが作ったノ〜良ければ食べて〜と(^^)
主治医にカリウム制限が申し渡されてるので美味そうな緑一点の胡瓜の棒を抜き取ってささやかな晩餐とした。キューリは捨てずに新ためて火を通して食べるのだ〜^_^

不思議なことがあるものだ、昨日に続いて今夕は家に閉じ籠ってたら、わざ
やさわざ散歩がてら、シメモン(煮〆物)〜関東で云うオデンねぇ〜作ったからタモレ(食べろ)と近所のF子が持って来た。絵はそのまんま、久し振りに顔見てないからネェ〜とか(^^)〜コンナ俺にも未だチャンと食ってるか?心配してくれる人らが例え些細なお裾分けであろうとも存在する事に、仏さま神さまに感謝する次第(^^)
イヤ彼ら彼女たちに!〜だなぁ
嬉しくて昨日はコレも貰ったウィスキーの新しいノを開けたが、今夜は焼酎の共にお湯割り。洋酒はカナディアンクラブの古酒1958年物、焼酎は今年お初の白玉の露、プレミア値でしか手に入らぬ魔王のと同じ原酒を使った芋ネ^_^〜
昔みたいには飲めない、薄いの二合ほど。ホトホト酒が毎日は飲みたくもなくなったが嬉しい時にはヤハリ自然と少しはヤリタクなる。アルコール依存症なのか?
ワインならば一本は開けたろうが、雨で少し寒くも感じられる晩、それでもこの所は気温も2桁台をキープしてる程の温かさ。ストーブのお世話にはなってない。
昨日は午前中のお湿りで畑仕事はせずに図書館へ。
色々と物色〜思い出して一冊、司書さんに探して貰ったのが、夭折の鹿児島の歌人、浜田到はまだいたる歌集(現代歌人文庫、国分社)。この薄いシリーズ本は1980年刊行の5番目、残念な事に順番には発売されなかった気がするので買えなかったもので、塚本邦雄、岡井隆、寺山修司、中城ふみ子、そして浜田到、葛原妙子、石川不二子、前登志夫、安永蕗子、春日井建、山中智恵子、滝沢亘、河野愛子、岡野弘彦、馬場あき子、島田修二、田井安雲、岸上大作、清原日出夫、平井弘、小野茂樹、浜田廉敬、佐々木幸綱、村木道彦、福島泰樹、となっている。1950年から75年迄の問題歌集(完本)と自選歌、及び代表的歌論や作品論など、となっているが、ネットで浜田到のをチラッとチェックしたら、何と音〜ゴ!5000円超え〜‼〜なんだもん、買ってられない!
この浜田到という歌人の唯一の歌集『架橋』(白玉書房)は生前の出版でなくて、死後に故人の歌誌同僚と夫人とで編まれて出されたもの、若気の至りで私は図々しくも手紙を夫人に
無法無謀にも出して辛うじて残っていた本を送って頂いた〜曰く付き物^_^
今度、鹿児島市の文学館でその人となりや歌人詩人の功績を特集するチウので殊更に読み返したくなった。
それから昨日の午後は又燃料を補給しながらヤブ払いの続き、それと隣の川の土堤がカナリ崩れてしまってる、その補修工事を国交省の依頼で近く始めたいと土建屋さんが測量にやって来たのにお付き合い暫し〜アレコレしてたら日が暮れた。
それで昇ったお月さまも観れたのだった。だがその後、雲が広がり少しの雨が降ったらしい、雨音は聞かなかったが
中軒先から落ちる雨音は聞いたし、屋根を叩く音は聞こえなかったのだが〜今朝方に起き出して見たらば地面は濡れていたのだ。
雨はふる降る〜人馬は濡れる〜wと未だ早いか、アレは2月の寒い日の事だったか。
私学校の輩が徒党を組んで騒ぎ始めた頃だったか〜
その同じ頃に、西郷隆盛はこの大隈はこの地の鹿屋市内、イヤ錦江湾の高須の港から近くに上陸していつもの様に狩猟に明け暮れてた様だ。私学校の輩が政府弾薬庫を襲い武器を略奪したという知らせを受け取って、慌てて又高須の港沿いの河口から船に飛び乗ったのも死ぬ前年の今頃だったらしい。コレ、うろ覚え〜ネ。

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