
先日に送られて来た雑誌の「東京人」の渋沢栄一特集号、現在さいたま市は旧浦和市在の古い学友で若い頃に近所付き合いもした仲、古本市でこの「王子飛鳥山を愛した」〜って所でもこの私にも是非とも読んでほしいテわざわざ送り届けてくれた一冊。
彼もソレなりにココ北区は王子の旧中山道(なかせんどう、江戸東京の日本橋を起点に、今回新たに調べ直して驚き桃の木山椒の木〜は京都三条大橋まで〜^_^)沿いにある音無橋(おとなしばし)の下に数軒あった赤提灯の馴染み客だったのだ。
マァ言ってしまえば敗戦後の、イヤ恐らくはそのズッと前の関東大震災辺りからのココ滝の川の石神井川本流との合流点付近まで逃げ延びて来た避難民や家無し人〜無宿渡世人やら第三国人など(在日朝鮮人や中国人ほかロシア人も居たりする〜)等が岸辺や極端な場所では水上にもバラック建て屋の名残りかも知れない。代々に使い続けて立て直して所謂屋台飲み屋に変貌したのかも知れない。
兎に角も私が誘われてコノ音無橋の下のドブ川沿いのシモタ屋風の飲み屋に通ったのは、先ずは夜ッピぃて飲み明かし出来るツウ利点にヤハリ鯔背(いなせ)な感じの〜アハ、女なのにイナセは無いわなぁ〜おキャンでお転婆(オテンバ)が良いかぁ〜マァ兎に角も歌にある通りの男勝りの看板娘ならぬママが居た訳である。歌〜演歌は美空ひばり張り〜唄い話は立て板に水で客の誰ソレ1人ずつ性格まで覚えてるし好奇心も旺盛で、一度聞いたら忘れはしない〜アタシゃ学歴ナイけど人情に弱くて人見知りしなく物覚えも悪くないチャキチャキの(江戸っ子じゃないわ〜)16〜7の頃から浅草芸者だったノヨ〜とか息まくり^_^〜。
先ずは私の先輩格の法学部Tヤンが紹介してくれたもの。
どうした訳か勿論ヤクザ崩れも来るし近所の洋服仕立て屋さんや大工、タクシー運転手に靴屋さん、サラリーマンと様々な人情界隈ともなった。終いにはいつの間にか神戸大卒の国家公務員までが出入りしたし明治の学生さん迄来て卒業して遠くの商社に就職しても偶に東京出張だと顔見せしたり〜
春は飛鳥山の花見に夏は外房やママの故郷の福島は海岸通りのいわき平へ海水浴、冬は忘年会に新年会など大きな節目の大宴会の数々。そこ昔帝都の隅っこ北区の十条、赤羽そして王子、この呑んだくれ酩酊船が人生の半分およそ40年余りを過ごした地なのだ。
マ、話は尽きないのでこの辺で止めとこうか〜昭和が終わったのも平成を迎えたのもモウ前世紀の事ながら〜^_^

昨日は東北の三陸沖〜東日本大震災の10年目、節目の日でコンナ方田舎でも昼過ぎの畑打ち中に合図のサイレンが鳴り響き黙祷の一時、3.11/14:46だそうだが、その2時50分頃だった。
その後に襲った大津波での悲惨な大惨事、次に福島の東京電力の原子力発電所の4基かある海岸にも押し寄せたのも私ら東京在は勿論日本国民だけでなく、世界中に報道された。
その中で日米安保同盟を形成するアメリカ軍の中枢部か率先して福島沖へと展開して原子力被曝禍のニッポンを救えと活躍したのも知らない人はいないだろう。
そのトモダチ作戦と名付けられた米海軍海兵隊空軍の合同支援ミッション、その最中に大変に残念な事だが放射能被曝被害が発生、後々に作戦従事者の多くの兵士らの中に白血病や放射能被曝者が出始めたらしいのだ。
画は米国の軍事作戦本部のある国防総省、通称ペンタゴンの一角、フクシマの文字やトモダチ作戦概要などが展示してある様だ。放射能被曝者の支援も同じ様に大事なことは当然だけど、メディアは滅多に報道はしない。偶々NHKが特集を組んだらしいけど。
軍事機密やら政府間交渉ほか問題は多々あろう、けども大震災に有った東北の人々はもとより斯様な軍隊の兵士達までが矢っ張り原発被害に遭ってるって、何かしら実に頭を垂れてしまう。そしてその彼らが軍命としてフクシマに関わりながらも命の瀬戸際にも差し迫ってるなどと誰が一体、慰めてくれようか〜
運命⁈定め⁈〜そう、実際には初めっから被曝するナンテ想像だにもしなかったろう。ヤハリ問題解決にはその後の治療や慰謝料などの賠償金問題へとなろうか?確定した治療薬や方途があれば良いが所謂イワユル原爆病の完治なぞ無しナシ、ソレは米大統領のルーズベルトやトルーマンだってコンナ惨憺たる被害状況に陥る等とは想像だにしなかったろうが現実には直下に目も当てられないヨナ惨状を呈して脳内の良心の呵責すら覚えなかったのだろうか?とも勘ぐるけども、倫理感ナシの戦争参加国の当事者の片割れ、ソンナ時代では無い現在では、ドオなんだろうか?と素朴な疑問は付き纏う。何とか良い手立て方策が待たれるもの。

本の紹介はオイオイするとして、今日は朝から予報通りに雨降り、密やかに降ってるだけなんだが土イジリには不向きで、生業ならば必至に雨合羽着て出掛けりゃイイが、収入の為の野良仕事じゃない、手仕事のお遊びかげんなので晴耕雨読振り。
絵は保存食の唐芋〜さつまいも、昔の呼称では甘薯(かんしょ)で、そう甘い、澱粉タンパク質炭水化物の塊りビタミンミネラル豊富〜なので、出来れば当地の昔ながらの品種〜地物の芋苗を探したい。
沖縄原産らしい紫芋、種子島や与論島などの安納芋、かぼちゃ芋などの他にもモット有った様な気もするけど苗は見当たらない。
今年はチャンとコノおサツ用に肥料を施したいなぁとも考えたり〜^_^

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