
今朝このブログを更新したのだが又もやミスってしまい消失〜拙い記憶を頼りに取り敢えず再度の画像アップから〜
ツウかもうドオでもエエ感じ、ン〜にゃ、そいじゃイカンど、ヤッパキチンと面倒でも書き直すべし〜

チウても時間が勿体ナカ、良心の呵責じゃ無いが矢張り少数の読者と言えども毎日、それなりに訪問して下さる稀有な(物好き〜と言っても良さそう、或いは
単なる阿呆、アホにお付き合い〜イヤそれは失礼ゴメンなさい。やっぱり例え物見ウサンであったとしても〜)お方も居られる訳で、大ヒットもまた炎上さえもしないが、静かに深く〜イヤ浅くユラユラと揺蕩うてたゆたいヌ小舟、笹舟〜紙の舟なんだなぁ〜ま、まだ泥の舟でナイからええかぁ〜
後は又お後で〜
この本は埼玉の古くからの学友が、田舎に引っ込んでしまったクマに、寂しかろうと(^^)〜コンナの読んでみて、とかマダ読んでない本だろう〜偶には俺がお勧めノをとワザワザ送ってくれた中の一冊。あ〜以前ご紹介はしてたナ。
ちょうど折良く東京オリンピック開催前、新型コロナ禍の最中ではあるが世の中が何やら感染か非感染かで逼迫もしてると聞く。本の帯にはタイムリーで核心を突いたヨナ概略が書かれている。
▼< 刑事たちの執念❌容疑者の孤独 >これぞ犯罪ミステリの最高峰ーー恐怖と怒りに日本中が震えた、東京オリンピックを翌年にひかえた昭和36年、浅草で発生した男児誘拐事件。しかし犯人が求めていたのは、大金でも、子供の命でもなかったーー
▼「何としてでも 吉夫ちゃんを両親の許に戻さなくてはならない」〜昭和38年。北海道礼文島で暮らす漁師手伝いの青年、宇野寛治は、窃盗事件の捜査から逃れるために身ひとつで東京に向かう。東京に行きさえすれば、明るい未来が待っていると信じていたのだ。一方、警視庁捜査一課強行班係に所属する刑事・落合昌夫は、南千住で起きた強盗殺人事件の捜査中に、子供たちから「莫迦」と呼ばれていた北国訛りの青年の噂を聞きつけるーーオリンピック開催に沸く世間に取り残された孤独な魂の彷徨を、緻密な心理描写と圧倒的なリアリティーで描く傑作ミステリ。
「悪さっていうのは繋がってるんだ。おれか盗みを働くのは、おれだけのせいじゃねぇ」
ー警察小説の迫力、サスペンス小説の緊迫、群像劇の共感、すべてのジャンルを超越する感動がここにある!
〜とまぁ丁寧な解説や批評の数々、確かに読了してからも読み刺しの途中でも淀む事なく、主人公の「莫迦」の空き巣専門の根っからの盗っ人・宇野寛治と、もう一方の対する若手の刑事・落合昌夫とのセメギアイが展開される。
犯人の宇野寛治が逃げてしまうのかとも思ったが、ヤハリ容赦の無い警察刑事らの大捕り物劇で最後は締め括られるのだが、残念なのは〜イヤ可哀想で何ともやり切れないのは、ヤッパリ誘拐された男児吉夫ちゃんが殺されて葬式の中へ消失してしまった無念さ。
このプロットや下敷きには、同年に実際に引き起こされた「吉展ちゃん誘拐殺人事件」がある。東京オリンピックはクマなどはテレビ画面でしか観てないし、その前の男児誘拐殺人事件なぞ新聞を見る訳じゃ無い悪たれなんかにゃ馬の耳に念仏〜だった。但しコンナど田舎にあっても、吉展ちゃんを探し求める放送はテレビでも流されてたのが微かに脳裏をよぎる態度には知られた。似た様な幼児誘拐及び殺人事件がまた起こされたし、身代金目当てのソレは厳罰に処す〜と法律も改正されたもの。
犯罪を犯す少年や青年の心理、そこに焦点を当てた〜と言う描き方は逆に犯罪や犯人を擁護しかねない論調とも成り易いもの。それをこの本でも陥ってしまったかにも見えるが、ソコは矢張りヴェテランらしくキチンと書き分けているのが好ましい。但しヤッパ社会情勢の展開面ではチト不合理な労働運動家連合なる正体不明の輩やヤクザ連中の配置など漫画的な書き分けも見られるが、全体に良くまとまってて、ヤハリ読ませる警察小説の傑作とも言える。
殊に犯人の宇野寛治の脳機能障害による症状、失神とか意識朦朧や知能低下、認知機能の欠如による空き巣の常態化などはそこそこに説得力もある。未だ精神鑑定など犯人として逮捕され拘束されている犯罪者の<権利>への視点もまた怠りなく提案はされてる。但し結果的な殺人事件、そこに殺意は無かった〜ツウ甘えはナンピトと言えども殺人を犯した人間は許されるべきじゃない。ヤハリ死をもって贖うべき〜と言う事だ。
人道的には確かにアノ永山則夫みたいな、貧乏ゆえに無知ゆえに〜人を殺めてしまった、良心の呵責に目覚めたからには無期懲役刑として罪を償ってクレっ〜とも思うけれども、ヤハリ情念的には人を殺して良いとは誰にも許されない。死刑廃止、そんな生優しい博愛主義には簡単には落ちない、けれども殺人を正当化するヨナ論評を繰り返す輩が犇いてるのもある意味では危険な傾向でもある。殺人があるから死刑もある、けど死刑制度が真っ当に履行されるから世の中には殺人事件も起きるとも言える。イヤ死刑があるので人を殺してもヨイと言う論理は間違っているが後を立たない。
結局は実際の吉展ちゃん誘拐殺人の犯人は、その後に優秀な刑事らの努力で死刑となった。

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