
冷たい雨の一日だった昨日は、よるになってから止んだらしくて今朝は雲が多かったが、今はもう朝日がキラキラと輝いている。いい気なもんだな〜ハハ、お天気野郎め。
ま、女心と秋の空ッて昔からの合言葉である。それか今じゃ、ソンナこと言い出したらば男尊女卑!女権復活〜とばかりにフェミニンの方からばかりか普通の!女の子からも、アラ!男だってぇ〜と黄色い声を振りかざされかねない。イヤ実際、戦後強くなったのは女と靴下ストッキング〜などと女亡国論を吐いた某有名保守系作家ばかりじやない、老いたるコノトウヘンボクでさえもヤッパ女は強い!ッと感心するのだ。
ンなの当たり前で、人間そのものが皆が皆〜女の股から生まれてきた存在、決して男の股からは生まれ出ぬもの、地球誕生以来の摂理であり不変不倒の〜ハハハ母から生まれ出でし生物存在なのだ。母は強くて当たり前!
何を書きたいのか?忘れてしまつたわい〜
あ。そうだ〜季節はズンズン流れ行くもの。いつもの借り物の画、南方へ渡り飛ぶ鳥の編隊は、関西や関東へ行けば北行くかりがね雁行の事か知らねども当地じゃあ、サシバの群れ。本土最南端の佐多岬を飛来しながら更に南へ飛び去って沖縄琉球諸島をよぎり、国境の島の宮古島などでは万を数えるサシバが空を真っ黒く覆ったとも。

それはそうと、始まりはこの小説家のエッセイであつた。見よ、この人を!〜ッつうダンディな格好で酒場にてカッコ付けた表紙。
かつては私も買いたかったバーバリィの灰白色のコートを背中に羽織り、社長用の椅子に足を組む蝶ネクタイにシルクハットの男、右手にウヰスキーグラス、左手にシガレットを持って微笑むとも睨むとも何方にも取れる居住まい。紺のスーツは勿論金色の三つボタンに同じく誂のヴェストに同色の靴下を着けて寸分の隙も無さ気に足を組んでる。履き慣れた感じのビジネス風の革靴がいつでも相手してやるぜ〜めいてコチラに爪先立ってるのが憎たらしい。
始まりは確かに開高健のサンデー毎日かの週刊誌に載せた記事で読んだのだが、どうしてもそのコラム記事を集めたホンが見つからん。
見つからないが、やっと紹介された薄田泣菫の3巻本『茶話』上中下が揃って届いた。
石川県羽咋市からと個人主の送り主は、ダンディライオンとか言う洒落た名前のマンションからだった。

「冨山房百科文庫」って私が学生時代には無かったのだが、冨山房なる大きな古本屋ビルは昔から千代田区は神田神保町の交差点角に存在してた、と記憶するのだが〜
確かこの本を書いたのは、(以下〜Wikipediaより引用)【薄田 泣菫(すすきだ きゅうきん)】1877年(明治10年)5月19日 - 1945年(昭和20年)10月9日、日本の詩人・随筆家。本名、淳介(じゅんすけ)。
『暮笛集』『白羊宮』などで島崎藤村、土井晩翠の後を継ぐ浪漫派詩人として登場。また、象徴派詩人として蒲原有明と併称された。大正以後は詩作を離れ、『茶話』『艸木虫魚』などの随筆集を書いた。
そう、コラムニストとしての誉れの高い名作としてこの膨大な博識を文庫化してくれたのか、冨山房と言う古書店が出版社としての活路をも見出した所以かも。いや以前から出版社としても有ったのかも知れないけど。
兎に角も、確かこれらの新聞コラムは大正時代、大阪日日新聞だか毎日新聞だかに載せられてそれが何年も続いたらしい。
そして、大阪の人々はこのコラム欄を毎朝読んでからニタっと笑い、さぁ〜今日も一丁稼いだるでぇ〜などと呟いた、〜かどうか。
確かにもう今では時代遅れの感も無きにしも有らずの何やら訳の分からん台詞や話題や政治家が登場するが、それも世相の四方山話^_^〜暇つぶしにはちょうど良いかも。
折良くキッパリと500円でチト読みふるした感じもしないでもない上巻を除けばキレイな古本、安いモンだな。送料が380円と高く付いたのが滑稽だけどね。多分に一冊百円辺りでも昔は売ってたかも。
まぁ、名著の部類なのだから仕方無い。どうも調べたらば、岩波文庫にも抄本として発売されたらしいけどね、コチラは元本で完本なのだ。

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