
在所の近く、直ぐ上流に密かにと言っても今ではモウ過言でもないかも知れない長谷の観音様へお詣り。
寺社を専属に管理する僧侶尼僧なんぞ居らん、村社に近い存在なのだが、現在の町内会は見向きもしない。
でも去年からこの下の旧道沿いに流れる祓川ハライガワ〜肝属川キモツキガワのじょうりゅうぶ〜(笑)に4つある町内会の内で、中祓川(かつては中方限ナカホウギリ〜なかほぎぃ、と言った)の町内会員らが簡単な掃除を買ってでたらしい。良いことだと感心しながら、自分も一人でも少し丹念に掃除もしたりはしたもの。
頭の天辺に僅か一体のみが残る木製の十三面観音坐像、他の十二体は見えなくなってる。かつてはマダ数体は有った筈だがなぁ〜お堂の管理者が不在、僅かに近隣の老婆がボランティアで華や柴なぞを活けてはくれてるが、廃れた信仰よのう〜
地元と言っても長谷口ハセグチと大園オオゾノの部落の真ん中の僅かに大園寄りのかつては山道に面した中程に位置してて、域外テ存在なのでか、人口減少の故に次第に見向きもされなくなってしまったようだ。
境内に上がる石段は昔のままでも十数段で正確には二十段近くはあるし、遠く垂水タルミズや串良クシラからも篤農家の信仰を集めた程にも観音信仰の1つの中心地でもあったらしいが。

この石塔群も元から有ったのではない。
川を挟んだ対岸の山間の裾野にかつては放置されてたのを、この地へ移設したもので、ご覧のように各々皆バラバラ。実はこの私が倒壊してた石碑の塊を適当に載せて組み立て治し並べたもの。組合せに苦労したものの苔むしたコレラはもう本来の供養の儀は終えたりろうし、
又数も合わないものの、古色然としてるから何とかこうにか絵になってるかも。

こちらは観音さまの長谷の井関の上流上手に掛かる石橋の通称めがね橋。
絵の様に橋の半円状のアーチが見事で、水面に移る様態は確かに眼鏡橋。
それが、後で墓参りし終えて隣の同級生に聞いた話でがっかりした。
先年の集中豪雨被害でこの眼鏡橋の橋桁に流木や塵芥が溜まってしまい、近在の人家に増水浸水被害を及ぼした、ツウ事で、撤去願いが出されて、管理する鹿屋市は文化財指定を取止め、打ち壊すか何処かに移設保存するかの話。
百年以上も持ちこたえてる文化的価値の大いにある建築物、しかも稀少な石造組み上げの見事なゲージュツしてるを、生活に支障を来すからといとも簡単に壊してしまえツウ乱暴な意見。
▼鹿屋市文化財「大園橋」撤去へ : ニュース : 鹿児島 : 地域 : 読売新聞オンライン yomiuri.co.jp
ホンに困った問題で厄介なニュース、鹿屋市は防災の理由でコレ幸いと管理せずに放置してた責任を取らずに、莫大な費用をかけて撤去するとか。でもその費用を捻出するに?
バカな為政者の典型で、だからカゴッマは野蛮な芋ザムライの子孫の田舎、文化文明果つる土人国と揶揄られるのだ。
古来、豊かな河川の流域を開拓し苦労し耕して造り上げた伝統文化の遺産、その物的遺物を邪魔者扱いする心境は、官民あげて物を大事にしないファーストフーズ世代の風潮そのものに見える。
愚かしい限り、新年早々に情けない話も聞きたくも無かったけど、そらも又事実なのだ。だから外の世界を知ってる人等はホボコンナ故郷ナンテ帰りたがらず結局は忘れ去られる環境と
なろう。

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