2012/12/2

国民は、今、何を考えるべきか  思想・哲学

もうすぐ総選挙ですね。皆さんは、何を基準に投票先をお決めになりますか。

物事を決める時に大切なのは、根拠と論理の選択です。

実は、国民が「何を根拠にどういう論理で選ぶのか」ということ、そのものが、

問われている選挙なのではないでしょうか?

我々日本人は、せっかちですから、すぐに結果を欲しがります。そして勝手に失望します。

その繰り返しではあまりに知恵がなさすぎるというものです。

物事は、相互に関連しており、

かつ、その因果関係というものは意外に見えにくいものです。

朝三暮四ということばがありますが、

消費税問題などは、国民が払うべきものを払ってこなかったために、

巨額の財政赤字が積み上がり、その結果、民間に流れるべき資金が国へと貫流してしまい、

より円高になり、漠然とした将来への不安がひろがり、

国内と世界の新たなニーズをとらえ切れなくなり、

ついには経済をさらに弱体化させていく・・・という連関の中で考えるべきものです。

そうすると、今消費税を上げるとか上げないとかいうことも大切だが、

そもそも、

我々国民は自らの力で未来を切り開き自他を豊かにしうる可能性があるのだから、

いつでも適切な時にどうぞ、というスタンスになってくるはずです。

今日の経済と政治の目詰まりは、

私たちの先送り体質と嫌なもの面倒なものは避けて通りたいという気持ちの反映なのです。

目先の利益で判断すれば痛い目を見るという重大な局面です。

ともに自戒して一票を投じたいものです。

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2011/12/5

欧州の危機  思想・哲学

欧州の危機は、儒学的な立場から言えば、当然の危機である。

そもそも、はたして、これは経済学的に解決できる問題なのであろうか。

一つの家族でないのに、一つの家族として経済行動ができるものであろうか。

我が子が他人の子よりかわいいのは自然の道理であろう。

情理という点では、よその家よりまず我が家である。

「大学」の最終章に警告されているように、まず、経済から入って、

ヨーロッパを統一しようという発想にそもそも無理があったのではないか。


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タグ: 儒学  東洋思想

2011/2/8

重厚な礼容  思想・哲学


この世の中には、あらゆる不幸から人々を救う「重厚な礼容」というものがある。

その人の生き方における哲学の有無というのは実に雄弁なものであり、生きられた思想そのものが、その人のありようからにじみ出てくるのである。東洋思想における哲学というのは、結局のところ、その人の存在そのものから「にじみ出るもの」なのである。

深い洞察力といたわりの気持ちが、温顔の長者を作り上げ、他方で、自己への厳しさが威厳となってあらわれる。「中庸」を生きるとはそういうことであり、「易」を読むということはそういうことである。

哲学のない人間たちの悪質な暴力から人々を救う「重厚な礼容」というものは、このようにして形作られるのである。
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2010/11/11

べき分布と易  思想

べき分布と易の関連については、余り論じられることが無いが、繋辞伝の冒頭が暗示しているように、、陰陽は完全に同じ確率にはならない。陽がわずかに多いこと、これが決定的に重要であることは、生命現象や経済現象において顕著であり、これらを通じて易の教える天人合一を我々は実際に確認できるのである。
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2010/2/23

論語の害  

「経学の害」というものがある。

私の恩師、川嶋孝周先生は、[論語の害]という表現をなさっていた。

「君子の中庸は、君子にして時に中す。小人の中庸は忌憚なきなり。」という。

こういう思想をもたないと、人間は自分自身の言葉を持ちえないので、原理原則を踏まえた行動をせず、戦略の誤りを戦術と根性で乗り越えようとして社会を死地へと導く。

時中ということを知らなければ、人は機械的な当てはめに陥り、眼前の坎険を見抜いて引き返す胆力と見識を備えた君子人とは成り得ない。

明哲保身とはいっても、最近、そういう意味で明哲すなわち君子人とであうことがとみに少なくなった。

そういう意味で、今、私は改めて、「時中」すなわ時に中るということについて、考えている。
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2009/6/17

「易学正義」をお勧めします  思想・哲学

 ◎《易学普及協会の推奨品》  〔易学正義〕

「易学正義」現在望み得る最高の易学ソフト

世に数ある易占ソフトとは一線を画する格調と実占を兼ね備えたソフトです。
この「易学正義」は、易学研究のための学習ソフト「易学探求」および「易学案内」と、筮竹による占筮に劣らない高精度の占筮ソフト「六変筮法」「三変筮法」から成りなり、世間によくある単なる占筮ソフトではありません。周易にも断易にも使えます。
初心者から専門家まで、儒教道教の研究者のみならず、一般の方から、心ある宗教家、教育者、経営者、指導者の方まで、政治家にも、意思決定と自己修養自己研鑽のために活用されています。従来の易占ソフトに飽き足らないかたには福音です。
<頒価> オープン価格 

お問い合わせ先 川嶋孝周研究所 TEL 092−574−6648
または、易学普及協会事務局(哲理館東洋思想研究所内)092-865-2389井手心斎まで。
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2009/2/5

歩虚詞  教養


歩虚詞

唐朝 高べん


青渓道士人不識  青い渓流の道士を誰も知らん

上天下天鶴一隻  天を昇りまた天を下り鶴がただ一羽、虚空を舞っている

洞門深鎮碧窓寒  洞穴の入り口は静まり返り碧の窓は冴え冴えと清らかだ

滴露研朱点周易  露を滴らせて易経に注釈を試みる
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2008/2/27

真実の人生を生きる【大學】訳解15  思想・哲学

真の仁者であれば、人の美点を受け容れない人間を社会の中枢から 
○唯仁人、放流之、逬諸四夷、
放逐して彼らが人々に害を及ぼさぬようにし、断固として絶縁する。
○不與同中國。
それは、社会のために公正無私に対応し得る真の仁者でなければ、 
○此謂唯仁人、
真に人を愛し憎むべき人を憎む毅然とした行動ができないからだ。 
○爲能愛人、能惡人。
優秀な人物を知りながら不採用にしたり採用が遅いのは怠慢である。
○見賢而不能舉、舉而不能先、命也。
悪い人間を辞めさせず辞めさせても絶縁できないのは過失である。 
○見不善而不能退、退而不能遠、過也。
私利私欲から、他人の嫌うことを喜び、人々の喜ぶことを嫌うのは、
○好人之所惡、惡人之所好、
人間性を失うことなので、災いは必ずその身に降りかかるのである。
○是謂拂人之性、菑必逮夫身。
だからこそ、社会的な地位をもつ人には必ず遵守すべき道理がある。
○是故君子有大道。
成功への道は、誠実に真心を尽くし道理に従って信頼に応えること/
○必忠信以得之、
で得られるが、驕り高ぶり気ままに振舞えば失われるということだ。
○驕泰以失之。

また、経済的な繁栄のためには必ず遵守すべき道理がある。    
○生財有大道、
財を生み出している者が多く、財を消費だけしている者が少ない。 
○生之者衆、食之者寡。
生産供給は円滑ですばやく、需要消費は量も十分で待たされない。 
○爲之者疾、用之者舒。
このようであれば国の財政は十分であって足らなくなることは無い。
○則財恆足矣。
仁者は財物を利用することによって我が身の徳を盛んにするが、  
○仁者、以財發身。
不仁者は我が身の不徳を顧みないことによって財物を得ようとする。
○不仁者、以身發財。
上に立つ者が仁政を施けば下級官吏や民衆は道義へと向っていく。 
○未有上好仁、而下不好義者也。
道義へと向って社会全体が努力すれば民衆の経済生活は行詰らない。
○未有好義、其事不終者也。
そうなれば公の財産を掠め取る不届き者など出てくるわけがない。 
○未有府庫財、非其財者也。
孟獻子(もうけんし)という魯の国の賢人は次のように言っている。 
○孟獻子曰、
「乗馬がいる大夫の家ならば、鶏や豚を飼って民と小利を争わない。
○「畜馬乘、不察於雞豚。
氷室を備えた上級大夫の家は、牛や羊を飼って民と小利を争わない。
○伐冰之家、不畜牛羊。
戦車百台の領地持ちの卿は、重税を搾り取るような家来は持たない。
○百乘之家、不畜聚斂之臣。
多数の民衆を苦しめるより、主人一人から盗む家来のほうが良い。」
○與其有聚斂之臣、寧有盜臣。」
国家にとって本当に大切なのは金銭的利益ではなく道義なのである。
○此謂國不以利爲利、以義爲利也。
国家の長でありながら財貨を第一義と考える者は、小人物を登用し、
○長國家而務財用者、必自小人矣。
人間社会の本質を知らないで、こういう小人物こそ有能だと考える。
○彼爲善之、
道理を知らない者に国家の経営をさせれば災害が立て続けに起こる。
○小人之使爲國家、菑害並至、
そうなってから道理のわかる善人を登用しても手が付けられない。 
○雖有善者、亦無如之何矣。
この点を国家は財利を利益とせず道義を利益とすると言うのである。
○此謂國不以利爲利、以義爲利也。
                          (終)          
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2007/12/1

易の人生哲学3  思想・哲学

3.易を学んで《天地の為に心を立てる》
☯命に至る 「昔、聖人の易を作るや、神明に幽賛してを生ず。…道徳に和順して義をめ、理を窮め性を尽くして以って命に至る。<窮理尽性以至於命>」周易説卦伝第一章
(訳:昔、聖人が易を作ったのは、天下の道理を窮め尽くし、人間の本性を知り尽くして、命に至る〈天命を知る境地にいたる〉ようにと考えたからである。」
 …今の解決策が、後々の災いの種にならないように。
「誠はみずから成るなり。しかして、道は自ずから導くなり。」中庸第二十五章
訳:自分の心を真っ直ぐにして、あらゆるものが、その本性を自在に発揮するように、努力していく働き、これが『誠』の力です。誠の働きは、それ自体自立していて、何物にも寄りませんから、あらゆる物の根本足り得るのです。そして、その点では、「道」も何物にも寄らず自然に働きますから、あらゆるものの根本であり得るのです。
本来、易学・儒学と言うのは、「当たり前のこと」をしっかり受け止めて、「天の与えた道理に従って当たり前に自分らしく」やれば、人生のスケールも輝きも違ってくると言う教えです。その具体策は、己を修めて人を治める。つまり、自分自身をちゃんと統治して、そこで学んだことを他の人との良い共同関係に生かそう、人間である限りは良好な共同の関係を作り出さねばならないという教えです。これが 「明明徳・止至善・新民」の三綱領です。そして、それに至る道筋が「格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下」の八条目です。これは、私たちは誰でも、枝葉にとらわれず根幹を把握しつつ全体を見ることで、混迷することなく誠実なあり方が出来る。そのことが私たちに正しい解決策を教えてくれる。心を正せば、ものの道理が見えてくる。そういうことです。我々現代人は自己統治が貧弱になりました。このことは、「ストレス」「心が傷つく」「なやむ」という言葉が昨今、当り前のように多用されるようになったことに象徴されているように思います。新たに良好な共同の関係を作り出すことを諦め、ただ、やみくもに耐えている人のなんと多いことでしょう。我慢しているだけで心を正すに到らないのです。☯仁ということ 『心』は実体ではなく、人と人との関係の中で生まれるものなのですから、『心術』としての易を用いて、やみくもに『心』現象を実体と勘違いすることなく、むやみに悩んだり苦しんだりせずに、自分を活かして、みんなで幸せになりましょう。

☯世界了解の方法としての易を学んで、人生に輝きを与える性命の理を知る
「天の命ずるをこれ性と謂い、性に従うをこれ道と謂い、道を修むるをこれ教えと謂う。」中庸 第一章 (訳:天の与えた使命を反映しているのが自分らしさであり、自分らしさに従うことが自然な道筋であり、そういう自然さを教えたものが先哲の教えです。)
☯「自己統治」を、どのような心構えで、どういう手段で、どのように実行に移すか。
「一家仁なれば、一国仁に興り、一家譲なれば一国譲に興り、一人貪戻なれば一国乱を作す。その機此の如し。此れを『一言事をやぶり一人国を定む。』と謂う。」大学伝9章3節 
 すべては、日常のなかから、たった一人の気づきとささやかな勇気から、始まります。
☯「昔、聖人の易を作るや、まさに以って性命の理に順わんとす。」周易説卦伝第二章(訳:昔、聖人が易を作ったのは、それによって人々が〈性命の理;人の天性と天命の理法〉に従い、本物の幸せを手に入れるようにと考えたためである。)
☯「天地の為に心を立て、生民の為に道を立て、往聖の為に絶学を継ぎ、万世の為に太平をひらく。」近思禄 二 (張雉瑤里海箸弌ヒ
「万物皆我に備わる。身に反りて誠あらば、楽しみ これより大なるはなし。恕を勉めて行う、仁を求ること これより近きはなし。」孟子 尽心章句上4
(訳:あらゆるものは、気からなる。乾の働きが物に生気を与える。その天の働きを受けて、坤の働きが、その気を天から受けて形に作り上げる。このように、私たちの中に、生まれながらにして天地のあらゆる理法が自然に備わっているのである。そこで、わが身を反省して、心に何んのごまかしもない境地に至れば、これよりも大きな喜びはない。
 かりに、その境地にたどり着けないまでも、常日頃から自分のエゴや私欲に負けないように、真心と思いやりの道を実践すればよいのである。真実の人格・高い人間性をもとめる方法でこれより近道はない。日常の思考と行動が真実の幸せを作り上げるのです。)
 目先の心配や目先の利益に惑うことなく、志を飽くまで高く保つことで、苦労を厭わずに天地いっぱいに大胆な行動ができる。これが楽天知命、易の立心なのです。
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2007/11/28

易の人生哲学2  思想・哲学

2.道の本質を太極図説にみる
☯ 太極図説  道の本質とは何でしょうか。それは一見無原則なものの中に偉大な法則性がある(無極が太極だ)と言うことです。太極が動くと陽が生まれます。動きがきわまると、今度は静かになります。静かになって陰が生まれます。しかし、静かさがきわまると、再び動くのです。動いたり静かになったりする事が、互いに原因となり結果となって、陰に分かれ陽に分かれて、陰陽の二つの働き(両儀)が生じるのです。陽が変化させる働きとなり、陰は固定する働きとなって、水、火、木、金、土という五つの五気のあり方を生じます。この五気が順序良く配布されると、春夏秋冬の四つの季節が移り変わるのです。つまり、五行の気は、一つの陰陽なのであって、陰陽は一つの太極なのであり、太極はもとは無極なのです。五通りの気が生まれるとき、それぞれ独自の性(理法)をそなえています。そこで、無極というありのままの実相の働き(太極の働き)と、陰陽五行の清純な気が凝り固まるのである。天の働きは男性的な働きをし、地の働きは女性的働きをし、この二つの気のありようが、それぞれに影響しあってあらゆるものを生み出します。このように、あらゆる存在は変化に終わりがないのです
 ただ、そのようななかで、優れた気を受けることができて最も霊的存在なのが人であり、肉体が形成されると精神が発動して最も明確に自意識を持ちます。五つの気のあり方(仁義礼知信)が発動して、善悪の差も生まれ、あらゆる行動となるのです。
 そこで、易で心を洗い清めた聖人は自分の言動を定めるのに仁義中正〈鈍感でなく平等で、程良く是非をわきまえる〉を用い、欲に心を奪われることのない静かさを主とし、人間として当然のあり方(人極・人間がよって立つべき道・人における太極)を確立するのです。
このようなわけで、聖人は易で心を洗い清めて、天地とその徳を同じくし、太陽や月とその心の明るさを同じくし、季節の循環とその順序を同じくし、先祖の霊や天神地祇と吉凶を同じくするのです。
 立派な人物は欲に心を奪われないで以上の中正仁義の道を修めていくので結果は吉になるが、小人は、この道を軽んじて欲しいままにふるまうから凶に至るのです。
このようなわけで、易経「説卦伝」では、「天の道を立てて陰陽(の気の存在)といい、地の道を立てて柔と剛(という気の形態)といい、人の道を立てて、仁義(という天の与えた使命)という。」といっているのです。また、だからこそ易経「繋辞上伝」で「始めを訪ねて(気の集まる様子を易で学び)終わりにかえる(気の散っていく様子を易で学べば、天地の理法へと回帰できる)ゆえに、死生の説が分かる。」と言っているのです。        以上、井手訳
☯【太極圖説】 周濂渓(周敦頤)
無極にして太極。
太極は動いて陽を生じ、動くこと極まって靜かなり。
靜かにして陰を生じ、靜なること極まって復た動く。
一動一靜。互いに其の根と為り、陰に分れ陽に分れて、兩儀立つ。
陽變じて陰合して、水、火、木、金、土を生じ、五氣順布し、四時行はる。
五行は、一陰陽也。陰陽は一太極也。太極は本無極也。
五行の生ずるや,各其性を一にす。
無極之真と、二五之精と、妙合して凝る。
乾道は男と成り、坤道は女と成り、二氣交感して、萬物を化生す。
萬物は生生して、變化は窮まること無し。
惟だ人のみは、其の秀でたるを得て最も靈なり。形既に生じ、神發して知る。
五性感動して、善惡分れ、萬事出づ。
聖人は之を定むるに、中正仁義以てし、〈聖人之道は、仁義中正而已矣。〉
而して靜を〈無欲故に靜。〉主として、人極を立つ。
故に聖人は天地と其の徳を合せ、日月と其の明を合せ。四時と其の序を合せ、鬼神と其の吉凶を合す。
君子は之を修めて吉なり。小人は之に悖って凶なり。
故に曰。天之道を立てて陰と陽と曰ひ、地之道を立てて柔と剛と曰ひ、人之道を立てて仁と義と曰ふ、と。
又曰く。始めを原ねて終りに反る。故に死生之説を知る、と。
大なる哉易也。斯れ至りなり。

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