「めざせ復活!『東京ビデオフェスティバル(TVF)』」
メディアの話
今日も「
TOKYOメディフェス2009」の会合で
アワプラへ。やはり月曜の朝10時からという設定は少々しんどいものがあり(汗)、10時10分に神保町駅に着くや「にゃんとも」姉御から「いまどこよ?」との呼び出しが携帯に。あるいはモーニングコールのつもりだったか。
んなわけで眠かったんだけど(- -)今回は先週末の拡大企画会議の報告のほか、現在までの予算案を叩き台にした諸々の検討(しかし白石さんはこういう話になると本当に見事な啖呵でもってどしどし話を進めていくので毎度ながら感心する)のほか、肝心の「会場」の場所確保などの懸案が。
「メディフェス」の会場は開催まで残り4ヶ月となった今なお発表されていない。が、話は着々と進みつつあり(といっても私は何もやってなくて白石さんや「にゃんとも」姉御任せなのだが)、目下ほぼ最終段階の詰めに入っている。
で、おそらく本決まりになって発表されたら「え、マジにここでやるの?」という街で開催されることになる見込みだ。これは大手マスメディアに対しても結構なアピール材料になるんじゃないかな。ともあれ、まずは乞うご期待。
そんな会合が昼に終わってからも、引き続きアワプラに。午後から今度は牛頭(ごず)進さんが訪ねてくるというので、白石さんと一緒にお会いすることになったのだ。
牛頭さんは今春まで日本ビクターが主催する「
東京ビデオフェスティバル(TVF)」の事務局長を務めていた。ところが、ビクターの経営難やら身売り話、さらには御他聞に漏れずの世界同時不況による打撃にもとどめを刺される形で、1978年以来の歴史と蓄積を持つTVFも、とうとう今春の第31回をもって幕引きとなってしまったのだ。
といっても、それはようするに主催元だったビクターが「もうウチではやりません」と宣言して降りたに過ぎないわけでもある。TVFに過去約30年に渡って残された映像のストックは基本的に著作権も全て制作者にあり、ビクターもTVFについての権利を主張しないという。
一方で長年に渡って審査委員を務めてきた方々、さらには毎回この場を楽しみに作品を応募してきた常連の制作者たちも多く、彼らの間にはある種の同志的な(というか家族的な)つながりすら生まれている。というのも、基本的に「コンテスト」ではなくて「フェスティバル」だったので、互いに「競い合う」というよりも「みんなでこの場に思い思いの作品を出しながら楽しんでいこう!」といったモチベーションに溢れていたのだ。
そのあたりは、結局やめたといっても当のビクター内部にも、このTVFに対する濃厚な思い入れを持つ社員の人たちがいたからこそ今日まで続いてきたと言える。例えばTVF事務局を務めてきた佐藤実さんは1979年の第1回TVFに、当時通っていた高校の仲間たちと一緒に『走れ!江ノ電』という作品を制作のうえ出品し、見事「ビデオ大賞」に輝いたという人なのだ。その後、社会に出るに際してもビクターを就職先に選び、今日まで裏側の事務方としてTVFを地道に支えてきた。
(なお、TVFの過去の「ビデオ大賞」作品は
ここで実際に観ることができますのでぜひ御覧をば。『
漢字テストのふしぎ』なんて、ある意味プロの人が見ても「完璧だ!」というくらいの凄い作品だよ?)。
実際、以前からこのTVFの贈賞式をはじめとするイベントに出席するたび、この場に参加しにくる層の厚さに私も毎度驚かされたものだ。
何しろプロ・アマ問わない無条件参加の映像祭である。その贈賞式ともなると、会場には海外で幾多の紛争地を取材してきた海千山千の外国人ジャーナリストたちと、日本国内各地の中学校や高校で映像制作をしている生徒たち(先生に引率されならが制服姿で大挙して来場)とが懇親会場でごたまぜになって、互いの作品について語り合ったりしているのだ。こんな国際的かつ無差別級バトルロイヤル的な映像祭って他にあるか?
ともあれ、牛頭さんはそんなTVFの復活に向けて目下駆け回っている。ご自身は既に数年前に定年でビクターを退社し「俺ってアルバイトなんだぜー!」と笑いながらTVFや関連のイベントに携わってきたわけだけど、今回のことで却って一念復帰、あちこちをやったら精力的に駆け回っているようだ。そんなこんなでおそらく近々、TVF絡みで何がしかの表立った動きが出てくるはずなので、ここを御覧のみなさんはぜひ注視してくださいませ! ではでは♪

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