黒藪哲哉さんが毎日新聞にそう書かれたのだそうだ(下記に当該記事の写真入りで紹介されている)。
「
毎日新聞と伊藤一郎、偽装部数追究のジャーナリストを「自称フリーライター」呼ばわり」(MyNewsJapan 2009年7月22日)
まあ確かにフリーライターという職業は免許や資格やらの公的なお墨付きもいらないし、私もよく「『フリーライター』と書いた名刺を作れば明日から誰だってなれるよ」と他所様に対して言っている。出版社や新聞社やお役所に「こいつはフリーライターか否か」を認定する権限があるわけもないし、英検や漢検のように履歴書にも書き込める「フリーライター検定」略して“フリ検”がどこかにあるわけでもない。とどのつまりフリーライターといったら基本的にみな「自称フリーライター」なのである。
ただ、あえて当該人物を「フリーライター」ではなく「自称フリーライター」などと呼びたがる場合、そこにはそう呼びたがる書き手側の明確な「敵意」と、それと裏腹の「弱腰」があると言ってよい。
実は私も以前、結構アウェーな状況下で訪ねた取材相手に、先方の内部のメディアで「フリーライターと称する人物」が訪ねてきたと書かれたことがあった(一緒に訪ねたテレビ局の報道記者の方も「テレビ局の記者と称する人物」と書かれていた)。
名詞のほかにも過去に私が雑誌に「フリーライター」として書いてきた記事だって、そのテレビ局の記者さんが実際にテレビ局で手がけてきた報道だって容易に確認できる状況にいたはずなのに、それでも彼らは我々を「――と称する人物」と呼んだ。
いや、たぶん記事もテレビも見ていたんだろうけど、要するに「認めたくない相手のことは、とことん認めたくない」から、物理的かつ客観的なデータがどうあろうが断固としてそういう言い方しかしたくなかったのだろう。
まあ、昔からよくフルネームが分かっている相手を批判する場合に敢えて「岩本某」とか呼んだりする書き方はあったわけだが、こういう書き方をする人間ほど、逆に批判した相手から直接やり返されることを極度に嫌う。つまり腰が引けているというか、端から「敵に背中を向けてしまっている」のである。
上の記事の中に出てくる、毎日新聞の伊藤一郎というペンネームみたいな名前の記者(「お前、他人のこと言えるか」と言われそうだが、オレ本名だもんね)も、おそらくそうした手合いなんではないかなと勝手に推測する。黒藪さんに向かって「自称フリーライター」と書いても、一方の自分は毎日新聞という大新聞社(のくせに最近は経営的に大変らしいけど)に守られているおかげで「自称新聞記者」と呼ばれなくても済んでしまうのだから。
ただまあ、こういうのに対して「マスメディアに所属する社員記者がフリーライターを差別した」とか騒ぎ立てるのも大人気ないかなという気はする。それこそ黒藪さんが書いている新聞業界の窮状を思えば、こっちもこっちで先方に対して「どうせお前らも沈み行く泥舟にしがみついてる社畜なんだろ」と見下していることも確かだからだ。
ちなみに、上の黒藪さんの記事の続きは読んでないけど、伊藤某こと伊藤一郎さん、その後どうしてるんですかね。あるいは今頃毎日新聞のロゴに「伊藤一郎」と書かれた名刺を差し出しつつ「いや、あれは実はこういうことで……」とか言いながら歩く日々を送っておられるんでしょうか。

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