「遅まきながら夏の終わりの『ひたちなか海浜鉄道』」
鉄道の話
2ヶ月もの遅まきながらですが、夏の終わりの夕刻にふらりと乗ってきた際の報告をば。
茨城県内には、かつて私鉄がたくさん走っていた。というか現在でも4つの事業者が存在するので全国的に見れば多いほうなんだろうけど、それでも「かつて」と書くのは近年、廃業に追い込まれるケースが続いたからだ。以前に
ここなどにも書いた
鹿島鉄道や
日立電鉄……。
そして今回(個人的に久々に)乗った、地元では「湊(みなと)線」と呼ばれるこの全長約14kmの路線も下手をすると昨年の春には廃止になるところだった。それまで運営していた茨城交通が、道路整備やマイカー普及に伴う利用客の減少、および同社自身の経営難(実際その後しばらくして破綻し、新会社に事業移管)が撤退の意向を表明したからだ。
ところが地元がこれに異議を唱え、最終的には経営母体を、地元自治体も出資する新設の第三セクターに移して存続することになった。それが「
ひたちなか海浜鉄道」。
常磐線に接続する起点駅の勝田は、県庁所在地である水戸の一駅隣り。上野まで約70〜80分で結ぶ特急がほぼ30分おき(しかもその大半は勝田が始発・終着)に出ている。沿線は現在では全て「ひたちなか」市内。終着駅の阿字ヶ浦は海水浴場にもほど近く、かつては夏場に、海水浴客をあてこみ上野駅から直通する臨時列車も出ていたほどだ。
だからいわゆる“ローカル線”の中でも、相対的に見て営業環境はそんなに悪いほうではない。実際、この日(まあ日曜日の夕刻という時間帯ではあったが)いきなり私がふらりと乗りこんだ便も、始発の勝田駅からしばらくは座席が埋まって立客が出るほどの混雑だった。しかも常磐線からの乗り換え客ばかりかと思いきや、途中の駅から乗車してきた母子連れが、数駅先でお母さんがベビーカーをよっこらしょとばかりに抱えて降りていく光景もさりげなく見られたりするなど、「市内交通」の手段としても今でもしっかり機能している様子は伺えた。
とはいえ、やはり駅を含めた施設の年季の入り方と、それと裏腹の1便あたりの短さ(かつては6〜7両編成は停まれたであろうホームに、今や1両ぽっきりのディーゼルカーがちんまり停車)には経営的な難しさも伺える。
例えれば、それなりに読者がいて社会的な影響力も認められながらも、赤字体質ゆえ存廃が版元の社内で常に論じられる総合誌みたいなものか? って、洒落になんねーな(苦笑)。
とはいえ、沿線の地域や人々と共生しながら生きていこうという鉄道の姿勢には私も共鳴するし、実際に地域の外からも様々な働きかけがあるようだった。
各駅ホーム上の駅名標のデザインも楽しかったし、終着・阿字ヶ浦のホーム先端にはドラム缶の上にノートPCを乗っけた、不思議なオブジェが待ち受けていた。
はたして、この次にこの駅を訪ねる時はどんなふうになっているだろう?
というか「はたして俺、再びこの駅を訪ねることがあるんだろうか」と(汗)。まあ、40代も半ばになれば、せいぜい何年かに一度しか来ないような場所でも、そう思う機会が増えますよ。

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