一昨日(5日)の発売号で終わりましたね。
「モーニング」はいつも立ち読み程度で、いつも通うコンビニで連載の1回目を読んだのがつい数年前のような気がしていたけれど、思いかえせばそれも「9.11」前の2000年(まだ20世紀だった)。気がつけば「00年代」を駆け抜けた作品になっていたんですね。
同じ作者が同じ雑誌で、同じ「自衛隊モノ」で80年代末〜90年代半ばに連載していた『沈黙の艦隊』と、予め比較対照されることを自ずと宿命づけられていたような作品。まあ、そこは作者・かわぐちかいじも重々踏まえたうえでのストーリー展開を最後までまっとうしたな、という終わり方だった。
あくまで痛快に歯切れよく最後まで走りぬいた『沈黙の艦隊』に比べ、『ジパング』は終始ドロドロと重い作品だった。登場する自衛隊員も、『沈黙の艦隊』でのひたすらクールでソリッドな士官たちとは対照的に、どこか頼りなく、けれども人間味に溢れている。ただ、作品の終盤で彼らを待ち受けていたのは、あまりに悲惨な末路であったのだけど……(まあ、未読の人にはネタバレになっちゃうので、ここではあまり書かないが)。
『沈黙の艦隊』は、熾烈な戦闘が何度も描かれる割には誰も死なない(確か主要な登場人物で明確にその「死」が描かれたのは1人だけ)し、全編に渡って女性の登場人物がまるで出てこない(結末の残り3ページ目に至って最重要人物たる女性が出てくるが)という、理念を突き詰めていく物語ゆえの潔癖さ(?)が貫徹された作品だった。
その点『ジパング』では対照的に主要登場人物がどんどん死んでいくし、女性も一応普通に出てくる(もっとも、あまりストーリーには絡まないが、これは設定や展開などの都合だろう)。『艦隊』が“理念”の物語とすれば、『ジパング』はあくまで“現実認識”の物語だったのだろう。唯一最後まで生き残った人物が、死んでいった同僚たちと“違う世界”でめぐりあうというオチは、ほろ苦い。作者自身もおそらく、終盤でのカタルシスをあらかじめ排除した物語として描いていたのではないか。
とはいえ(これも読みながら何となく予想できたことだが)タイム・パラドックスをオチに持ってくるのはどうかなという気はした。
なぜなら、そもそもこの『ジパング』において「タイム・スリップ」は設定上の道具ではありこそすれ、主題ではないだろうと思っていたのですよ。
純SFならばともかく、この作品のラストで期待されていたのは、むしろ「もう一つの戦後」をじっくり、どんなふうに書いてくれるかということだったんではないかという気がするのだが。それとも「結局この国は、あの戦争の段階であれこれ動いてもこの程度にしか変わらなかったんだよ(でも、このくらいでも結構違うでしょ?)」というメッセージなのか。
ともあれ、作品の冒頭とは対照的な晴天の横須賀港の岸壁におけるラストシーンが、何だか印象深かったです。ではでは。

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