しかしなあ、やっぱり「
刺す」とか「
殺す」とか「
死ね」とかいう言葉が公けの場ではだんだん言いにくい世の中になっているんだろうか。いや、まあ確かにあんまり日常空間において聞かずに済むのであればそのほうがよさそうな言葉群ではあるのだけど、でもフィクションとか歌詞の世界にまでそれが出てくることに過敏になるってのは、どうもな。
で、ふと思い出したのだが、
「
麻原殺せ――――――――――――――――!!!」
とか白昼堂々、一般市民たちがよだれを垂らしそうな恍惚とした表情で叫び、家族連れのデモ参加者がそれをニコニコした表情で聞きながらオウム教団の施設前までデモ行進するという光景を、私は数年前の取材で連日のように見聞きしていた記憶があるのだけれども、ああいうのは特に問題視もされなかったようだ。ようするに「
殺せ」も「
死ね」も、その言葉を向ける相手が誰であるかによって許容される範囲が異なってくるらしい。
そういえば「
殺虫剤」なんてのは、商品名としてみんな普通に言ってるよね。殺すのが人間でなければいいのか。でも「
屠殺場」ってのは駄目なんだっけ? 何でかなー? サッカーでは「
自殺点」って何時の間にか言わなくなったけど、野球じゃ平気で「
併殺打」って今でも言うじゃん。あれなんか塁上で殺されるのは人間(それも一度に二人も)だよ? しかもごく稀に「
三重殺」とかってのが出ると新聞でも大きく取り上げられるし。
「
刺客」ってのも「四十八人の刺客」がベストセラーになってた時は誰も何にも言わなかったのが、こないだの選挙で「刺客」「刺客」って言い始めたら、途中から「やめましょうよ」って話になったし。
昔、広告業界誌のサラリーマン記者をやってた時代に印刷所と電話で「あ、ゲラでました? でもこっちに元の原稿がないんですよー。じゃあ仕方ない。
めくら校正で」と言ったら、横で聞いていた上司にこっぴどく怒られた覚えがある。でも一方で、電通とか大手広告会社の社長が年頭挨拶とかで「昔は
士農工商代理店とよく言われたものですが」と得意げに発言していたものだけど、すぐさま広報担当者が「あれは出さないでください」と焦ってあちこちに連絡しまくっていた。何でだろう?
「
殺してやらあ――――――――!!」
高校時代、剣道部の同僚と喧嘩になった際にそう言われたことがある。素振り用の重木刀(鉄の芯が入った10kgはありそうなやつ)が鼻先を掠めて床に大音響とともに直撃、彼の目は血走っていたから、たぶん本気で私を殺すつもりだったのだろう。当たっていたら本当に死んでいたかもしれない。おかげでよい経験をした。
「大丈夫です!!!」と日本テレビの緊急特別番組に出てきた解説者は興奮した声で言った。今から4年前の9月11日の深夜のことだ。「いまこの時にアメリカの政府中枢が
つんぼ桟敷にいて
めくらや
おしになってることはありません!!」
たまたま聞きながら仰け反り返ったけど、あの混乱状況下では誰も指摘する人はいなかったようだ。
「刀を持ってるだけでも駄目なんです。『暴力的だ』ってことで」
数年前に小学館の「ポケモン」担当者に、海外進出の難しさについて聞いた際に聞いた言葉だ。とにかく暴力やセックスに絡む描写には神経を使うらしい。「なにしろ『
スカートが短すぎる』ってだけでも駄目なんです」
「
『ドラえもん』のしずかちゃんのスカートはどうなるんですか?」
「
あれはね……長いんです」
「……」
そんな台風が来たぐらいで略奪行為や暴力犯罪が多発する国の連中に「どれが適切or不適切か」なんて判断をされたくないと思うのだけど。まあ仕方がないか。
文句があったら言いにくればいいんだものね。でも不幸にして文句が言えないという人は――刺しに来い、というしかないのか……。

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