元オウム信者の裁判に関連して、滝本太郎さんがご自身のブログに「映画A2の罪」なる記事(
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/161.html)を書いておられます。
彼が既に脱会しているということをようやくお認めになったうえで、逮捕時に彼を「現役信者」と断定したご自身の判断を撤回。さらに5月27日付の当該記事(
http://sky.ap.teacup.com/takitaro/68.html)にも修正(実名の掲載された新聞記事からの引用を削除)と謝罪を追加されたことについては、私としても率直に敬意は表しましょう。「A2」については滝本さんと私とで当然評価は異なるわけですが、滝本さんご自身のスタンスから批判を展開されること自体は大いに結構だと思いますし。
ただし、そのやり方において若干「フェアではないな」と思ったところも正直に言ってありましたね。
@まず――些細なことだけど――5月27日の記事それ自体に修正と謝罪を入れるのは良しとしても、ブログの場合は少し前の記事でもずっと奥に入ったままスルーされてしまいがちですよね。きちんと修正・謝罪を告知するのであれば、最新の記事できちんと明示したほうが読者にとっても親切です。しかも、せっかく彼の裁判についてわざわざ記事を書かれたわけだし、その中において言及されたほうが筋に適ったのではないでしょうか?
Aその修正版5月27日の記事中で、当初彼を現役信者と断定した(なおかつ実名の出た記事をそのまま引用した)理由として「当時は未だ脱会の真偽が他からは明確でなかった」と書かれていますけど、これって読みようによっては「根拠がなくても『疑わしきは現役信者』だからそう書いてもいい」とおっしゃっているようにもとれますよ? 弁護士としての見識を問われそうな御発言だし、そのあたりはもう少し詳しく説明されたほうがよいのではないかと愚考する次第。
(まあ、その一方で相変わらず「A広報部長」などと書かれていますし、『実名or匿名』についての判断基準を支える滝本さんご自身のロジックが少々破綻気味でいらっしゃるというのは他の事例からも存じ上げていますので、私からはこれ以上突っ込みませんが)
B 以上のことへの御自身の見解を先に示さぬまま、従前同様の「A2」批判を頭に持ってきたというのは(批判の中味自体はともかくも)単なるヤツアタリじゃないのかといった印象が、どこか拭えないところですね。ようするに「潔くない」。
ちなみに、私自身が特定のオウム信者や元信者について書く場合の「実名or匿名」の判断基準ですが
(1)本人の意向次第(本人が「書いてもいいよ」と言った場合は書いても可。「書かないでほしい」と言った場合には書かない)
(2)私の意向次第(私が「彼については実名出すべし」と思った場合には、私自身に火の粉が降りかかってくるのを覚悟で書く)
という極めてざっくりとしたものです。いい加減だとの批判もあるところでしょうが、逆に杓子定規に「こうだ」と決めちゃうほうが、むしろ後々つじつまの合わないことになりがちですよ。
――などと言いながら、私自身も「これはずっと黙ってるのはフェアじゃないな」と思っていたので今さらのようにここでかこつけて書きますが、私は元信者の先の逮捕劇について本ブログに書いた記事2本(5月27日付と6月17日付)を7月初めの時点で削除しています。理由については事情により「上記(1)に準ずる理由」としか申し上げられませんが(まあ、誰かそのうち気づくかなとも思ってたんだけど)、ようするに私自身も、紋切り型に構えるよりは「引くべきところは引く」姿勢だということです。

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