なんか久々に「厳冬」になりそうだって話ですね。日本海側では年内にしては雪の降り方が半端じゃないみたいだし、東京の都心もここ数日は歩きながら思わず首をすくめるような感じになっています。来年は2月に新潟の上越市に行く予定があるのだけど、はたしてその頃にはどうなっていますやら。
同じ静岡出身の友人がmixiの日記で「寒すぎる…」と嘆きつつ、夜は布団を掛けまくって寝ているという話を書いていた。
なんでも、布団だけではとても凌げないため、めちゃくちゃ厚着をして床につくという話だった。フリースを着込み、首にマフラーを巻き、遠赤外線の靴下まではいて寝ているとのことだったが――甘い!
つーか「よくそのくらいで凌げるなあ」と逆に感心しました……。はっきりいって、私が毎年冬場に施している防寒対策はそんなものではない。富士山の山頂などを除けば人里では冬にもほとんど雪など降らない地方に暮らす静岡県人は、他の地方の冬場ではほとんど「ヘタレ」になってしまうのだが、中でも私の場合、本当に12月から3月あたりまでは変温動物ばりに「冬眠」でもしたほうがいいんじゃないかという状況が毎年続いている。
今年だって、なにしろ11月の頭には部屋の中でガスストーブを使い始めましたからね。現在の状況はといえば、毎晩寝る時には毛布と厚掛けの間に夏用の薄掛けを1枚はさみ、足元の当たりには防寒用のブルゾンを上から被せている。寝巻きはスェットの上下だが、その下にはTシャツを1枚、その上には何とセーターを着込んでいる。
それでも今の時期はまだいいほうで、たぶんクリスマスのあたりからは厚掛けの下に毛布がもう1枚入るはずだ。なおかつ厚手の靴下を履き、スェットの背中に使い捨てカイロをあて、首にタオルを巻き、枕の両脇には着なくなった古着のセーターを並べて置き、ガスストーブの目覚まし時の気温は「26℃」に設定して、ようやく安らかに眠りにつける――という状況になるはずだ。
たぶん、ここまで読んだ方の多くは呆れるか、あるいは「お前そのまま春が来るまで冬眠してろ」ということだろう。はい、できることならそうしていたいです。
にも拘らず、こういう男が20歳前後の5年間、岩手県の盛岡などという、日本の県庁所在地ではたぶん一番寒い場所(海沿いの秋田市や青森市あたりは、実はそんなに寒くない。札幌にあるのは「道庁」)に住んでいたと聞いても、おそらくにわかに信じがたいという人がいるかもしれない。
実際、盛岡の冬の寒さは半端ではない。豪雪で鳴る日本海側と違って、一応太平洋側に位置する盛岡の積雪量はそれほどでもないのだが(とはいえ40〜50pは平気で積もる)、内陸ゆえ冷え込みは相当なものがあるのだ。1月あたりからは日中の最高気温も氷点下という「真冬日」が延々と続き、最低気温などは下手すると−20℃近くまで下がる。たぶん今でもそうだと思うが、外部に面した窓は霜が凍りついて春先までは開閉不能になるくらいだ。
(6月の夏至の頃でも放射冷却現象が起きて、山間部の村では最低気温が−2℃度なんてこともあった。在学中に市内で最も早く初雪が降ったのは10月中旬。逆に5月の連休の昼間に積雪があってぶったまげた年もあった)
そんな街での5年間を私は大学の学生寮で過ごした。この学生寮というのがまた20歳前後の男ばかり百数十人住んでいるというだけあって、20世紀のいかにも美しくない無型文化財的な空間だったのだが、そんなことを書き出すとまた取りとめがなくなるので今回は省略。
ただしこの寮、さすが北国の建物だけあって暖房設備は強力だった。だいたい毎年11月半ばから常駐のボイラーマンさん(学校が雇ったおじさん)が稼動させるのだが、これがいったん動き出してしまうと一気に室温が30度近くまで行ってしまうのだ。外の気温が−20℃近くまでいくわけだから、変な話が室内と屋外とで温度差が約50℃もあったりするわけだ。ちなみに、寮の中で暖房が効いていたのは居室や食堂だけで、廊下などはスース―だったから、冬場の私たちは部屋の中ではTシャツ1枚、トイレに行く時にはセーターに綿入れハンテンという、考えてみれば極端な状況を当たり前のように送っていた。
もちろん、いくら北国とはいえ、のべつまくなしそんなガンガン暖房を炊いているわけにもいかない。住んでいたその寮でも、冬場にボイラーを焚くのは1日に数回、夜間は止めると言うのが普段のパターンになっていた。
もっとも寮内でコンパがあったりすると、ボイラーマンのおじさんたちも一緒に招かれて飲んで盛り上がってしまう。そのため深夜に入ってもスチーム暖房が止まらず、寮生から「暑くて寝られねー!」とかいう抗議が、私のいた寮自治会の経理部にも持ち込まれたりしたものだった(私もいつだったか、暑くて我慢できなかったため、ベッド脇の窓を少し開け放って寝ていたところ、朝になって枕元に雪が積もってたんで仰け反ったことがあった)。
このように北国では冬場の寒さが厳しいぶん、逆にその間は屋内を真夏の暑さにしてしまおうという力学が働く。こういうのは静岡とかの温暖な地にいるぶんにはおよそ想像すら不可能なライフスタイルだ。
実際、その大学時代は静岡の実家に帰ってきた時のほうが寒くてたまらなかった。いや、屋外を歩いたりしている時には「いったいなんだ? このヌクさは」と思うのだが、部屋に帰ってくると家族が「ま、このくらいだったらいいでしょ」ってことで暖房も入れなかったりするため、逆に家の中で凍えそうになるのだ。
(ただし、卒論のために帰省しなかった年の年末年始は凄かった。基本的にこの時期は寮生も全員帰省してしまうという前提があるためか、暖房が完全にストップするのだ。室内の気温は最低で5℃まで下がったが、それでも部屋に干した洗濯物は凍らないんだなということを経験値としてその時に知った)。
正直な話、東京に引っ越してきてからのほうが、盛岡にいた頃よりも冬場の寒さが身にしみるようになったなと思う。もっとも、それは単純に暖房能力の違いによるものなのか、あるいはもっぱら社会人としての仕事を通じて実体験した東京の風土に起因するものなのかは、今ひとつよくわからない。

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