昨日は「成人の日」(それにしても何で1週間も早まったんだろう?)。午後に中野駅で新宿まで行く電車を待っている際、サンプラザの前にスーツや晴れ着をまとった“新成人”たちが大勢群れ集まっている様子がホームからも見渡せた。雪国じゃ今日あたりも大変だったろうが、東京は午後からすっきり晴れ渡り、あでやかな晴れ着が汚れる心配もなし。
それにしても、今でもやっぱり20歳になると、あんなにたくさんの人が成人式ってヤツに行くんだねえ。私の場合は「何がめでたいんだかわからん」といった理由から成人式には行かなかったので、具体的にそれがどんな催しなのかというのが感覚的に今ひとつよくわからない。
今朝の朝日新聞を読んだら、千葉の浦安市では東京ディズニーランドで成人式をやったそうで「1207人の新成人がミッキーマウスに迎えられ、大人の仲間入りを祝った」と書かれてあった。どこが大人なんじゃいという気もしてくるところだが、まあ、ようするに成人式ってのは七五三の延長線上の催しなんだろうね。あくまで子供たちが無事に二十歳まで育ちましたということを周囲の親やら役所の側が喜ぶ儀式なんであって、お客さんとして自分はわけもわからず祝福される“新成人”はここでも無邪気にきゃっきゃとはしゃぎまくるばかり。
そういえば昨日は三宅勝久さん(ジャーナリスト)からメールをいただいた。といっても成人式のお祝いではなくて(当たり前だ)単なる事務連絡。「共謀罪ブログ」(
http://wave.ap.teacup.com/kyobozai/)を見たらしい京都の弁護士会の方より「3月に共謀罪を考える市民集会を企画しているので、三宅さんにシンポジストとしてご参加いただきたい」との依頼メールが同ブログ管理人の私あてで先日来たため、それを転送しておいたのだ。
返信には講演の件を了解する旨と、現在四国にいて数日後に帰京予定だということが簡潔に書かれてあった。それにしても、成人の日に四国滞在中の三宅さんからメールをもらうというのも、何だか感慨なしとしない。
というのは、寺澤さんのブログでも去年の暮れに紹介されていた(
http://incidents.cocolog-nifty.com/the_incidents/2005/12/6br_0b09.html)ように、三宅さんはもともと岡山市に本拠を置く山陽新聞の記者だった。それが何でフリーランスのジャーナリストに転進したのかというと、一つのきっかけが他ならぬ「成人式」での体験だったのだ。
5年前に香川県の高松市で、成人式に出席した“新成人”たちが大暴れをして全国ニュースでも取り上げられたことを覚えている方も多いだろうが、実はあの成人式に報道関係者として立ち会ったばかりに、現場で騒ぎに巻き込まれた挙げ句“新成人”たちから殴る蹴るの袋叩きにあった記者というのが三宅さんだったのだ。さすがにその後しばらくはPTSDともいうべき肉体・精神状況に陥り、やがて記者職からも外され、翌年の春には退社。フリージャーナリストとしての道を歩み始めることとなる。その後は在職中から追求していたヤミ金融の問題についてのルポを発表したり、例の武富士問題では熾烈な訴訟攻撃にもめげることなく健筆をふるってきたのはよく知られるところだ。
ちなみに、その問題の成人式には三宅さんの山陽新聞だけではなく、当然他のメディアの報道陣も取材にきていた。以前に飲み会で話を聞いた際、その暴行に遭っている間に他のメディアの記者たちは何をやっていたんですかと三宅さんに聞いたところ、
「みんな逃げた」
と苦笑していた。なるほど、それってある意味では身体に直接受けた暴力以上に傷つくよねえ……。暴行を働いた“新成人”たちも、そうした大人たちの硬直性や事なかれ主義を暗に感じ取っていたからこそ、そこまでの乱暴狼藉に走れたのかもしれない。
ともあれ、本当に人間っていつどこで運命の分岐点がやってくるかわからないと思わせる三宅さんの話だが、おそらく5年前のその日に暴れまくった“新成人”たちの多くは、今頃すっかり“いい大人”として結婚して家庭を持ったり、そこそこの職について結構まともな社会人をやってるのではないかと推測する。その一方で成人式で痛い目にあった三宅さんや、成人式など目もくれずにすっぽかしたような私(まあ、三宅さんに比べれば全然軟派なんで同列にするのは自分でもおこがましいけど)は、彼らの倍の年齢になっても良くも悪くも「大人」になれないというか、大人社会相手に喧嘩を売るような記事を書き続けているのだなあ――ということをぼんやり考えた今年の成人の日でありました。はい。

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