そうか、今年は曜日の配列が11年前と同じなんだな。
あの年も昨日(20日)が月曜で、都心は週明け早々の朝から大混乱に陥った。翌21日、おそらく誰もがなんとも居心地の悪い祝日を過ごしたことだろう。さらに一夜が明け、いつものように寝ぼけ眼でテレビをつけたら、富士山麓の原野にやたら大勢の捜査員たちがなだれ込む映像が。「祭り」の幕開けだった。
あれから11年、今年の3月21日の東京は、これ以上ありえないというくらいに素晴らしい春の日和になった。三連休が当たり前になった今では、むしろ珍しい週半ばの1日だけの祝日。半端な休みにみんな出歩く気も起きないのか、拙宅のある中野区内は、普段の日曜などに比べても車や人の通りが少なく、えらく長閑な雰囲気のまま、今しも陽が暮れようとしている。
こういう3月21日もあったんだ――変な感想だが、実際そう思ってしまった。
そんな好天にも関わらず、今日は部屋で終日仕事――のはずが、結局WBCを見てしまった。日本代表はとうとう初代の「世界王者」に。まずはおめでとう。ともあれ今年の3月21日は、そんな歴史に残る(?)出来事があったということも含めて「そこそこ良い一日になったんじゃないかなあ」と勝手に満足する。
どうも11年前の印象が強すぎるせいか、毎年この時期になると逆に身構るかのような心境になったりしたものだが、まあ、こういう3月21日だったらこれからもどんどんやってきてほしいものだと思うな。
とはいえ前日の「3月20日」という日付には、やはり重いものを感じてしまう。今年も新聞には、霞ヶ関駅まで花束を携えてやってきた高橋シヅヱさんの写真が載った。ただ、去年で「10年」という区切りが来たせいか、予想通りメディアの扱い方はさらに地味なものに。
しかも今年は「イラク開戦から3年」もほとんど話題に上らなかった。たった1年前のこの日に、福岡の沖合いで大きな地震があったことでさえ、少なくとも東京あたりではほとんど忘れ去られている。
傾きかけた春の陽の下を歩きながら、「忘却」するのは幸せなことなんだろうか……などと柄にもないことを思った。その日付に楽しい思い出が積み重なっていくのは、別に悪いことじゃない。でも、その影で辛い思い出たちがあっさりと忘れ去られていくのも、何だか怖いことのような気がした。

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