「週末」ったってもはや一つ前の週末だし、いったいどこが「民族派」なんじゃと突っ込まれそうではあるけれども、ともあれ書いておかねばなるまい。6月25日(日)、タミヲさんのお誘いで、千駄ヶ谷の日本青年館で行われた「全国議員同志連盟・社友総会」というのを見に行った。主催したのは「日本青年社」。そう、「民族派」です。
日本青年社といえば六本木に総本部を持つ日本最大の民族派系右翼団体だ。例の尖閣諸島(魚釣島)の灯台を最近まで二十数年間にわたり保守・運営し続けてきたほか、何年か前には『噂の真相』編集部で隊員が編集長らに突然刃物で斬りつけ大騒ぎになった事件でメディアでも大きく名前が報じられた。そういえば私がかつて在籍していた広告業界誌の社長も多少あちらとは付き合いがあったようで、ある時に幹部と思しき方から社長への電話を取り次いだ(たまたま電話に私が出た)後、上司から「お前、言葉遣いに気をつけろ」とたしなめられたような記憶もある。
そういう意味ではマスメディア業界とも結構ご縁というか馴染みのある右翼団体さんらしいのだが、私自身はこれまで右翼方面といえば鈴木邦男さんや、オウム問題を取材していた時に出会った神奈川県維新協議会の方々ぐらいしか御縁がなく、あとは先日の数寄屋橋前で拡声器とデジカムで向かい合った兄ちゃんとかを除けば、正面から取材で訪ねて行ったりしたこともなかった。ところが先日、その方面にはやたら詳しいタミヲさんとmixiでやりとりするうち「日曜日に取材に行くので一緒にどうですか」と誘われたのだ(ちなみに、当日は尖閣諸島に撮影のため強行上陸しようとして海上保安庁と揉めたというカメラマン氏も来るとのことだったが、なぜか欠席でお会いできず、残念)。
それにしても日本青年社ってやっぱり日本青年館で総会やるんだなあ……などとぼんやり考えながら午後二時前に会場の大ホール玄関前に到着すると、予想通り周囲には屈強そのもの、なおかつやったらダンディーにスーツを着こなした男性たちがたむろしていた。ヨレヨレの年寄りとガリガリの貧乏青年しかいない左翼の集会とはえらい違いで、ジーパン&Tシャツ姿なんぞでやってきたヤツはどう見ても私ひとりであった(苦笑)。
タミヲさんもこの日は喪服用の黒いワンピースをシックに着こなしていた。「女性はタミヲさんだけじゃない?」と聞くと「いやあ“極妻”風の人が結構来てますよ」という。一緒に大ホールに入ると、確かに客席のあちこちに高島礼子や川島なお美や杉本彩みたいな感じの女性が結構いた。定員1360名の大ホールは開演時点でほぼ満席。一応プレス扱いということで、これまた屈強な係員さんに前のほうの席まで先導され、恐縮しながら着席。
ところでこの日の総会は「日本青年社」の総会ではなく、あくまで「全国議員同志連盟・社友総会」なのであった。この辺は上記の日本青年社の公式サイトを見てもらえばと思うが、ようするに社友会は日本青年社とは組織面・人員面、また日々の運営面でも別個であるらしく、唯一「日本青年社の思想、信条及び行動理念に理解と共鳴、賛同」する人々が「一般社会の中で日常的な啓蒙活動やボランティア活動に取り組」むことを目的とした組織なのだそうだ。
なお「議員同志連盟」は日本青年社隊員資格を持ちつつ議員として政治活動に携わっている人たちの集まりで、この日も各地の市町村議会などで議員を務めている人たちが結構大勢きていた。ともあれ、こうした二重構造にこそ、今の民族派が置かれている状況がよく表れているようだ。
「総会」といっても株主総会やNPO総会のように何かを議案で諮って決議するというものではなく、あくまで式典のような感じだった。来賓としてやってきた議員さんたちの挨拶や、元「ポパイ」編集者で現在はフリーのテレビディレクターという人が制作したビデオ『激動の昭和 甦る日本人のこころ』の上映など。壇上から誰かが檄を飛ばしたりとか、客席から誰かが声高に何かを叫んだりといったことは一切ないまま、実に粛々と議事が進められていく。客席の参加者はひたすら真剣な表情で聞き入っていたが、中には途中で耐えられなくなったのか、壮絶なイビキをかきながら居眠りこいてる人もいた。民族派右翼の総会ということで、なんというか「絶対粗相があってはいけない!」みたいな緊張感を私も来る前には覚えていたので少々拍子抜けしたところもあったかな。
ただ、客席で黙って聞きながら思わず「ふ〜ん、そうなんだ」と思うことも多々あった。例をあげると、一つは約二時間半の総会の間、「中国」「韓国」「北朝鮮」「左翼」といった、時節柄保守勢力の槍玉に上がりまくりの対象に向けた攻撃の声がまるで聞かれなかったことだ。もちろん竹島問題などの話は出てきたのだが、それにしても「政府・外務省の対応はなってない。あれでは韓国の市民もかわいそうだ」という論理展開で、とにかく悪いのは倫理や道徳を失い、国家をどういう方向に持っていくかという理念や司令塔を亡くしてしまった今の日本にある――という論法で終始貫徹していた。一方で、「天皇」という存在への言及はほぼ絶無。しかも、「国際紛争の解決に『戦争』という手段を用いてはならない」といった文句が何度か出てきたのには「え、みなさんそうなんですか?」と思わず問い質したくなったほどだ。ただ、かつての『教育勅語』が今なお海外でもこんなに評価されています」という御説には、まあ確かにそういうこともあるんでしょうが、今それ言ってどうなるものやら……と思った次第。
「なぜ今、我々はこういうことを言わなければならないのか」
日本青年社としての「基本理念」の宣言の後、最後に挨拶に立った局長さんはこう前置きしたうえで
「世の中から『右翼』と一括りにされてしまうと、どんなに良いことをしようとも非常に差別的な見方をされてしまう。ならばこそ自らを厳しく戒めることで、初めて国民の理解が得られるのではないか」
と言っていた。
その思想の内実に対する是非はともあれ、組織としての公の場でこういうことをきちんと言えること
に対しては、私は率直に敬意を表したいと思った。だってさ〜。一方の「左翼」と一括りにされる連中のほうを見てると「俺はこんなに正しいことをやってるのに、何故わからないんだ!」とかいった具合に自己陶酔的に酔いしれ、そのくせ市民生活の約束事には極めてダラシない連中がウザすぎるくらいに目に付くんだものな。そういう意味では私自身も、これまで会ってきた中では「左」よりも「右」の人のほうに、人格的には好感を持てる人が多かったような気がしております。とはいえ、「国民の理解を得」ようといったって、いまだに街宣車で「バカヤローてめえ!」とか街中でがなってるようでは道は今だ遠しという感じではあるのだけれども。
帰路はタミヲさんと二人で「
いざゆけー、つわものー、にっぽんだんじー♪」などと合唱しながら、千駄ヶ谷駅前のラーメン屋に突入。ビールに餃子・ラーメンでもって、沖縄と日本の将来を案じ、同時に何人かの編集者やライターに対する「ばかやろーお前なんかさっさと死にやがれ」という街宣車的な愚痴のこぼしあいをした後、互いに「ともあれ仕事へ」ってことで、まずは平和的に解散。
ちなみに、以下の写真は受付でいただいた資料袋と「教育勅語(御名御璽)」の収められた筒(卒業式以来だな、こういうのもらうの)、そして丸井のロゴが入ったバックでした。

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