げ、「
銚子電鉄が経営難で運行ピンチ」なんだそうだ。一昨日の夜、帰宅して夕刊(朝日)を開いた途端に記事が目に飛び込んできてびっくり。
運行に使用している電車の法定点検作業が資金不足で発注できず、このままでは運行が危うい状況に追い込まれてしまうのだとか。体力の弱いローカル私鉄ゆえに本業の旅客収入だけではやっていけず、同社が関連事業で売り出している名物商品「ぬれ煎餅」などの関連グッズによる収益こそが、今や路線存続の鍵を握っているというのだ。
個人的に、銚子電鉄というのは大好きな私鉄だ。確かもう十数年前になるが、銚子駅から同社の名物である「トロッコ列車」に乗った際の光景は今も印象深い。
貨車を改造した吹きさらしの客車に乗り込み、犬吠埼のほうから吹き付ける潮風を感じながら列車に揺られるうち、見たところ20歳そこそこの、もしかしたら高校を卒業したばかりくらいなんじゃないかと感じの若い車掌さんが車内検札にやって来た。制帽に青い開襟シャツをきりりと着こなした彼が乗客ひとりひとりに対して「ありがとうございます!」とキビキビあいさつしながら切符を見て回る様子が何とも微笑ましかったが、そのうちに検札を終えて客車の片隅に戻った彼が、いきなり駅弁売り子さんのような大きなカゴ(昔懐かしいラムネの瓶や氷菓子を満載)を首から引っさげ、先刻までの車内検札と同じテンションのまま、
「
車内検札はこれにて終了させていただきましたので、これより車内販売を始めさせていただきます。ラムネはいかあっすかッ! ラムネはいかあっすかッ!」
と、やりだしたのを見た時には思わず座席からズリ落ちそうになるくらいに感動した。さっそく100円玉を取り出し「ラムネだ!」と叫んだ私であったが、あの若き車掌さんは今頃どうしているだろうか……。
――というのが十数年前の話なんだが、その当時ですらそうやって若い車掌さんに本業以外の物販にまで当たらせなければならないというのが、銚子電鉄の置かれている状況だったともいえる。
単純に経済学的な合理性から考えれば、銚子あたりの地方都市で、ああいう規模の小さな民営鉄道を敢えて存続させる意味など、およそナンセンスなことであるに違いない。どうせ地域住民の日常的な足はとっくにクルマへとシフトしてしまっているのだし、免許を持たない中学・高校生にしても、電車が廃止されれば代わりに自転車やバスで通学するだけの話だ。銚子駅から犬吠埼までの、特に起伏もなく道路事情が悪いわけでもなさそうな市域を走る6キロ程度の鉄道路線を廃止したところで、市民生活にそれほど甚大な影響は生じないだろう(というか、そもそも地元市民が乗らなくなったからこそ経営難に陥っているわけであるし)。
ところが、である。実は鉄道路線というヤツはそうしたプラグマティズムだけでは存続の可否が即断できないところがあるのだ。いや、これは何もノスタルジックな感傷やら、隠れ「鉄」のマニアックな思いから言っているのではない。すなわち「鉄道事業」というものを、それ自体で利益が出るか出ないかということ以前の、ようするに「社会資本」として捉え直すべき時期に来ているのではないかという思いが個人的にはあるからだ。
何年か前に『
ローカル線に明日はあるか』という本を読んだ際、文中に出てきた名古屋鉄道の役員の人が著者に対して「
ローカル線というのは公衆便所なんですよ」と発言した下りが出てきて驚いた覚えがある。もちろん、その役員さんはネガティブな意味からそういったわけではなくて、要は「公衆便所もない場所にはヨソから誰も来ませんよ」という、苦労しながら鉄道事業に関わってきた人ゆえの提言だった。
事実、その人が役員を務めていた名鉄は昨年、岐阜市内の路面電車(および接続する郊外路線)の経営からの「撤退」を決めた。「廃線」ではなく「撤退」だったのは、民間企業として存続できる状況にないと判断したからであり、他の事業者への経営譲渡への含みは持たせていたらしい。また、外資系や他県の鉄道事業者が引き継ぎの名乗りを上げていたらしいのに、廃止に拘る岐阜市当局が首を縦に振らなかったという話も聞いた。廃止された電車の終着駅にあった谷汲寺は電車の廃止後、参拝客の激減にさらされて頭を抱えているとも言われる。
確かにデパートにしろ田舎のペンションにしろ、きっちり客を呼び込めるかいなかの鍵は「トイレを清潔に保てるか」であると聞く。もちろんトイレ自体は客引きの条件にもならないし、トイレを使ったぶんだけ金をとるというわけにもいかないが(日本では海外のようなチップ制トイレも全然普及しないし)、せめてそのくらいはインフラ投資として位置付けないと、そもそもお前らのところにヨソから人が来なくなるぜ――という話だ。
(まあ「公衆便所」が言いすぎだというのであれば、「エスカレーター」や「エレベーター」ぐらいの例えにとどめておくほうが良いかもしれない。つまり、エスカレーターやエレベーターのないデパートに足を向ける客はいないが、だからといってエスカレーターやエレベーターの運営用コストを、利用者から金を取って賄おうなどと考えるデパート経営者はいない、ということだ。江ノ島には「
エスカー」という「客から金を取って乗せる」エスカレーターがあるけど)
ただし一方で、ローカル線がまるで自虐的に「俺らは公衆便所だ」ということでやっていくしかないのかといったら、決してそういうケースばかりではないようにも思う。例えば私の地元である静岡には「
静岡鉄道」と「
大井川鐵道」という、まるで対照的な2つの私鉄がある。前者は東京の大手私鉄なみに高い採算性を保っているようだし、後者は地域内の交通機関としての使命はとっくに終えたローカル線でありながらも「SLの復活運転」を武器に30年も生き長らえ、地元の自治体や経済界からも貴重な観光資源としてリスペクトされるまでになっている。
でも、こういうのは、逐一具体的な事例を挙げつつ論証していかないと、誰も振り向いてくれないんだよな。特に「地方」というものを知らない「東京人」というか「東京ローカル」の視座しかもてない在京エスタブリッシュメントの連中には。
というわけで、これを機に
「ローカル線」シリーズも立ち上げてみようと思ったわけですが、どうも私の場合は@とか番号を振ってシリーズを始めたら最後、それっきりというケースがこれまでにも山積しているからな(苦笑)。何とか頑張って書いてみようと思いますが、ともあれ本日はこの辺で。明日は祝日だけど、とある事情から朝が早いもんで……(汗)。

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