そうそう、下のコメント欄にも書いたんだけど、先日の「
8耐シンポジウム」ではパネリストで登壇した
野中章弘さん(
アジアプレス・インターナショナル代表)が、こんな面白いエピソードを披露してくれてね。
野中さんが最近、受け持っている大学での授業で学生たちに「
石原慎太郎は右派だと思うか左派だと思うか?」と訊いたんだそうだ。そしたら
大半の学生が「左派だ」って答えたんだとか(笑)。
これにはさすがに他のパネリスト各氏はもとより、会場の参加者の多くもショックを受けたようで、しばらくの間、苦笑混じりのどよめきが場内に低く響き渡っていた。「ようするに体制に向かって何かを言っていくのが『左派』ということだろう。今はそこまで左右の概念が溶解した」と、確か野中さんは後からそんな見方を述べていた。
――それにしても、これってみなさんはどう思います? いや、私自身は別に呆れたわけでも反感を覚えたわけでも全然なくて、実に率直に「ふむ、なるほどなあ〜」と思ってしまったほうなのですよ。んで、そのうえでいろんな人に上の話についての感想を聞いてみたいと思ったくらいだ。
たとえば当の石原慎太郎氏自身は、若い学生たちから自分が「左派」や「左翼」だと思われていると聞いたら、いったいどんな感想を持つんだろう? あるいは、先の都知事選で「反・石原」の立場から戦った(そして敗れた)人々はどう思う? あるいは自らを「左派」や「左翼」だとお思いになられている方々は、ご自身が石原氏の「同類」と見なされることについて如何なる感想をお持ちですか?
また一方で、上記のように答えた学生さんたちに対しても、これまた極めて素朴にこう聞いてみたい気がする。「『左派』『左翼』の定義とは(あるいは、それらと『右派』『右翼』との違いとは)何だと思いますか?」。
いや、だってね。いま「左派」とか「左翼」っていったら世間的にもイメージ最悪じゃないですか。何を隠そう、そう訊いている私自身「左翼」が大嫌いだし(笑)。
いや、ほんとそうなんだ。だって、連中っていい加減でだらしないヤツばっかし目につくんだもん。むしろ以前に何人かお会いした「右翼」と称する方々のほうが、ずっと礼儀正しく人間味あふれる感じだったものな。んで、石原慎太郎って選挙であれだけ圧勝したじゃないですか。あんなに大衆から圧倒的な支持を受けている人が、どうしてイメージ最悪の「左派」とか「左翼」なんですか?
(※まあ「左派」と「左翼」とではこれまた微妙にニュアンスが異なってくるんだけど、その辺はとりあえずここではひとまず措く)
あ、それとも学生さん、あなたがたは「反・石原」の立場なんですか? 石原に対して批判する文脈から彼のことを「左派」と言ったわけですか? だとするとあなた方は「右派」「右翼」なんですか?
……等々、いろいろと訊いてみたい質問が頭の中に湧き起こってくるわけなんだが、あるいはいずれ直に上記の学生さんたちに話を聞く機会が来ないとも限らないし、今の段階であんまり勝手にこっちで答えを推測したりはしないほうがよいだろう。
ただ、こうした学生たちの見方に対して「今時の若いヤツは右と左の区別もつかねーのか」「いくらなんだって不勉強すぎるぞ」「トンチンカンもいいとこだ!」と切って捨てにかかる方々も多いんじゃないかとも推測するのだが、もし実際にそういうことを言う人がいるなら「それは違う」と私は思う。
もちろん、学問的な見地やら思想史的な流れなどからして「石原慎太郎=左派」との認識がはたして妥当なのかという議論はあるのだろうが(私も不勉強なのでそこはわかりませんが)、少なくとも今の学生たちからそういった見方が出てきていることの背景については、よく考えてみる必要があるだろう(そもそも政治やジャーナリズムに無関心な学生だというならともかく、あの野中さんの授業を受けにくるような若者たちがそういう意見を述べているということにも注意しておいたほうがいい)。
というか何より「反・石原」の立場をとる側こそ、今のこうした現実から目をそらすことなく真摯に向き合うべきなんじゃないかという気がする。というのも、私の周囲には「反・石原」の人が多いし、私自身も石原慎太郎という人物のキャラクターや言動には何かと反発を覚えるほうなのだが、さりとて先の都知事選を含めた「反・石原」側の戦い方にも正直「どうかな」と思うところが多かったからだ。
それはたとえば、先の
「オーマイニュース」の都知事選開票特番をスタジオで見ていた時にも頭の片隅でずっと考えていたことだった。だから
「敵(石原)に学ぶという姿勢も大事なんじゃないかと思います」
と、上記特番終了後にドサクサ紛れに参加した打ち上げの席でも「オーマイ」スタッフのみなさんを前にそう言った覚えがある(まあ、特に反応はなかったんだけど)。みんなで「石原ケシカラン!」の大合唱をするのもいいけれども、もはやそれだけでは彼に勝てないということは今度のことではっきりしたじゃないか。ならばこそ、捲土重来を期すためには敵の姿を改めてきっちりと見つめなおしていく必要があるんじゃないか。
それこそ「石原慎太郎が左派だ」という学生の声が上がってきたなら、それが何を意味するかぐらいのことを分析できるようでなければ、いくら内輪で「エイエイオー」って拳を振り上げたところで同じことの繰り返しになっちゃうんじゃないか……。
というようなことを、都知事選の結果が出て以来つらつら思っていたところに、8耐シンポで上記のような話を聞いたというわけだ。この項、とりあえず「つづく」にするけれど、不勉強な私の頭だけであれこれ論じても詮ない話なので、できればみなさんにも考えていただければと存じます。ではでは。

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